第1部 * 8 *
引越しから3ヵ月半。降園時の幼稚園上空に日空人を見た日以来、日空人の姿を見かけることはなく、また、清次が人前で翼を出してしまうようなこともなく、平和で穏やかな日々が続いていた。
ただ、このところ毎日、夕食の時間が来る度に、ショーコの心の平和は乱される。
今日も、その時間がやってきた。
ショーコは、台所のテーブルの上に夕食を並べ、
「はーい、ゴハンでーす」
貫太を呼ぶ。
ハイハイも、つかまり立ちも出来るようになり、だいぶ動きが活発になってきた清次から逃げて、あちこち移動しながら、いらなくなった幼稚園のお便りの裏にクレヨンで絵を描いていた貫太は、
「はーい」
返事をし、手にしていたお便りとクレヨンを清次にグシャグシャにされないよう本棚の上に置いてから、台所へ。
今日のメニューは、豚小間70グラム入りの野菜炒めと、切干大根の味噌汁、御飯。
貫太はテーブルの上を見、一度は寂しそうな顔になるが、自分の席に座り、箸を持ち、頑張って作ったに違いない笑顔で、
「いただきまーす! 」
元気に言う。
ショーコの心の平和を乱す原因は、それだ。
実は1週間前、通帳を解約して、最後の1714円を下ろしてきた。貯金が完全に底をついたのだ。
貫太が幼稚園で惨めな思いをすると可哀想だと思い、幼稚園で昼食時に食べるために持参する弁当は、よその子の物と比べて遜色ないような物を持たせているが、朝食は、もともとトーストとミルクのみ。夕食も、だいぶ前から今日のような感じ。オヤツは、引っ越しを境に1度も食べさせていない。
貫太は、今日のような夕食になった初日、不満げな顔をして食べた。
2日目は、
「きょうも、これだけなの? 」
と、口に出した。
しかし、ショーコが、金が無いことを説明すると、以降、不満な顔もせず、文句も言わなくなった。
不満を顔に出したり口に出したりしてくれていたほうが、まだ、良かったように思う。まだ5歳なのに事情を理解し我慢してくれている優しい貫太の心を思うと、ショーコは辛かった。
明日は、貫太の6歳の誕生日。誕生日くらい、いいものを食べさせてあげられたらいいのに……。
だが、今、ショーコの手元に、現金は321円しか残っていない。冷蔵庫や冷凍庫にも、これまで無駄の無い節約生活を心掛けてきたのが裏目に出、どんなに一生懸命工夫を凝らしたとしても ご馳走に化けるような食材は残っていない。321円全てを注ぎ込めば、貫太の分くらい、貫太の喜びそうな物を用意できるだろうが、それが全財産。とても、そんな勇気は無い。