第十五話-2
「・・・柚葉・・・」
小さく呟くような、瑠璃ちゃんのひと言。
真ちゃんも、言葉が無くただ立ち尽くす。
他のクラスメイトも、ただ柚葉ちゃんの背を見つめるのみ。
誰ひとり、かける言葉もなかった。
廊下から聞こえる笑い声。
歩いて行く生徒たちの足音が、壁を、ガラス戸を、扉を超えて響く。
でも、賑やかな・・・騒がしい明るさが、どこか遠く聞こえてしまう。
そのガラス戸越しに見える柚葉ちゃんの横顔。
俯き口元は結ばれ、視線を前に向ける事もしていない。
そこに涙があるかは判らない。
けれど、確かに判る。
心の中に、涙が降り続けていると・・・。
その姿が見えなくなるまで、クラス中誰も言葉を発しなかった。
時間にすれば、僅か。
それでも、まるで永遠かと思えるほどに、緊張が続く。
息をするのすら苦しいほどに・・・。
そして・・・。
柚葉ちゃんの姿が消え、間があって後に、誰かが『ふうっ』大きく息を吐く。
まるでそれが合図であるかのように、クラスの中が騒めきだす。
ざわざわと、皆が口々に話を始める。
普段の様子に戻ったと言えばその通りだけど、だからって柚葉ちゃんの姿が無くなった途端に・・・。
でも、それを私が言う資格など無いのは判っている。
柚葉ちゃんの変化を誰にも聞かせないよう、皆に合図を出したのは私なんだから。
この重苦しい空気を作ったのは私なんだ。
判ってる・・・。
私には、何も言う権利が無い。
それは痛いほどに判ってるのに・・・。
それでも、皆の態度に憤りを感じてしまう。
まるで喉を焼くかのように・・・。
『なんて勝手・・・』
目元に力が籠り、思わず奥歯を噛みしめる。
握った掌に熱が籠り、汗ばむのが判る程・・・。
自分の仕出かした事の大きさを感じれば感じる程に、自身への怒りが湧いてくる。
私にも、こんな感情があるんだ・・・。
当たり前の事ではあるのだけど、今までそんな自覚も無かったなど、口が裂けても言えるものではない。
でも、そうなんだ。
優しいと言われてきた。
親切だって評価されてきた。
良い人なんて、どれだけ言われた事か・・・。
それが、周りからの評価なのだと思ってた。
でも違う。
私が、そう見られたかったんじゃないの?
自分が安心する為に、そう評価されるように振舞っていただけじゃないの?
そして、それに安心して。
自分が傷つくところには近寄らず、ただの傍観者になっていたのだとしたら・・・。
その場所から、ただ優しくあろうとしていただけなら・・・。
だとしたら・・・。
なんという傲慢・・・。
なんて不誠実・・・。
そんな事を『当たり前』と思っていたなんて、私は・・・どれほど人に対して不義理を働いていたの・・・。
友達の・・・大切だって思ってた柚葉ちゃんに、あんな思いをさせるなんて・・・。
気を使ってるつもりだった。
変わった事に気が付いてても、それを話題にしない事が優しさだと思ってた。
触れられたくない事なら、触れないようにするのが良い事だと思ってた。
でも、それは私が思う優しさ。
私がそうして欲しいと願う事。
それは私の価値観。
柚葉ちゃんが望んだ・・・『こうして欲しい』と願った事じゃないっ!
触れない方が良いか聞いてすらいないのに、私が勝手に選んだ事。
それが・・・。
柚葉ちゃんに、あんな顔させてしまった・・・。
彼女の気持ちを無視してしまったから。
私のエゴの為に・・・。
瑠璃ちゃんと真ちゃんは、お互い顔を見合わせて小さく肩を竦めている。
そして机を動かして、お昼を食べる準備。
周りの皆もそう。
たちまちに普段の日常に戻って行く。
早めに教室を出た人を除けば、もう普段のお昼の教室の風景。
そこここで集まり、他愛のない話に花が咲く。
まるで、柚葉ちゃんの事が無かったかのように・・・。
このふたりも、そうなんでしょうか・・・。
そんな思いを秘めつつも、ゆっくりと目を遣れば、すでに座ってお弁当を出している。
いつもの・・・最近、真ちゃんが作った一品を納めたタッパーも、そこにはある。
・・・ふたりもそうなの?
柚葉ちゃんや私って、あなたたちにとっては・・・。
胸の奥が冷えるような・・・凍えるように感じる。
怒りで熱くなった頭に、まるで冷や水を掛けられたような不快感。
握った拳に熱が籠り、思わず一歩足が動く。
それでも・・・。
真ちゃんは、優しく笑いながら・・・。
「碧さん。・・・肉詰めは残しておくから、柚葉ちゃんと早めに戻って来てね。待ってるよ」
そう、ゆっくり言ってくれる。
瑠璃ちゃんも頷きながら、
「早めに戻ってこないと、私が全部食べちゃうよ?」
そう笑う。
・・・うん、そうだね。
でも、全部食べたらカロリーオーバーじゃない?
知らないうちに肩の力が抜け、気が付けば頬が緩んでいる。
「ふふっ」
少しだけ・・・本当に少しだけだけど笑えた。
さっきまでの教室の空気を作った切っ掛けは私だし、そこに飲まれていたけれど、今は少し安心出来ている。
だから・・・。
私は、お弁当の入ったバッグを手に、足を前に進める。
ふたりの前に立ち、いつもみたいに・・・は出来なくても、少しだけ笑いながら・・・
「・・・行ってきますね」
そう、短く告げると、ふたりとも笑顔で頷く。
ふふっと小さく笑うと、私は教室を後にする。
・・・ありがとう、信じてくれて。




