第十話-3
◇◇◇◇
涙が一筋零れる。
あたしの心の中に渦巻いていた、感情の暴風雨。
言葉に出来ない・・・語彙を見つけられないもどかしさが、あたしの心を掻き乱す。
あたしは如月くんに感謝を伝えたい。
それだけなのに。
なのに、あたしの手にある言葉は途轍もなく少ない。
『良かった』?
『嬉しかった』?
それだけなの?
たったそれだけの言葉で、彼への感謝が終わる?
それだけの言葉で、感謝が伝わるの?
そんな訳ないっ!
もっともっと沢山の言葉じゃないと伝わらない。
あたしの心の中にある感謝は、全然伝わらない。
なのに・・・なのに・・・。
言葉が出て来ない・・・。
気持ちだけが焦り、胸の奥が粟立つ。
如月くんへの感謝と、あたし自身への苛立ちとが混ざり合い、言葉にならない感情が渦を巻く。
もっと真面目に勉強していれば。
勉強したって、感情に色は付かない。
でも感謝は伝えられる。
感謝の言葉は、たくさん伝えなければならないの?
当たり前じゃないっ!
彼はあたしを見てくれた。
『役割』じゃない、『あたし』自身を。誰も・・・親でさえ『役割』を期待したのに、彼だけは違うのっ。
彼だけなの?
彼だけっ!
だから、あたしは言葉で伝えななきゃいけないのっ。
言葉じゃないと伝わらないの。
全部、全部、全部。
なんて伝えたいの?
どれだけの感情を伝えたいの?
それはどんな感情なの?
それは・・・。
・・・
心が震えるのが判る。
熱く冷めて行くのが判る。
彼への深い感謝が黒い感情に置き換わるようで、そんな自分が許せない。
どれほどの言葉を重ねれば、この胸にある感謝が彼に届くのだろう。
もっと大きな言葉?
強い言葉?
・・・違うよ。
もっと近づいて、この胸の中の気持ちを直接伝えるの。
そうすればきっと・・・。
刹那、『あの人』の顔が、あたしの意識の前を過る。
『あ・・・』
感情に流され、距離感を間違えれば、また『あの人』の様に・・・?
彼も・・・如月くんも、あたしの前には立ってくれなくなる?
心の中の言葉にならない感情が、一瞬、恐れの色を帯びると同時に動悸が強く打ち、息苦しさが現実へとあたしを引き戻す。
言葉にならない感情の高まりが目に集まるのか、涙が込み上げて来た。
泣きたいんじゃないのに・・・。
なのに。
感情を言葉に出来ない事が、これ程に苦しいなんて・・。
涙が溢れそうになった時、視界の隅に動くものが入って来た。
ふたりで食べていたクッキー。
その最後の1枚を、如月くんはあたしに差し出した。
彼が買ったクッキーなんだから、最後は彼が食べると思っていたのに。
少しだけ視線を上げると、彼の顔が目に飛び込む。
優しい笑顔。
切れ長の目元に柔らかな色を湛え、小さく頷いてくれる。
そしてひと言。
「ありがとう」




