EP 7
魔人ギアンの強襲と、ただの迷惑客
油っこい肉汁の香りと、芋酒のアルコールが充満する小料理屋『鬼龍』。
男たちが競馬の勝利の余韻に浸り、少女たちが炒飯を掻き込んでいる最中、その熱気を冷水でぶち壊すかのように、店の外から禍々しい気配が押し寄せてきた。
「……フフフフフ。ハァーッハッハッハッ!!」
突如、店の入り口の暖簾が不自然な風でめくれ上がり、耳障りな高笑いが響き渡った。
「見つけたぞ、ポポロ村の愚民ども! 我が愛しき死蟲たちを鉄クズのように解体し、あまつさえ『追加装甲に使える』などと宣った冒涜者どもめ!」
月明かりを背に現れたのは、不気味な道化師の仮面を被り、身の丈を優に超える巨大な大鎌を手にした怪人――天魔窟の死蟲軍を統べる指揮官、魔人ギアンであった。
その背後には、闇夜に紛れて蠢く無数の『死蟻型』や『死蜘蛛型』の群れが、不気味な機械音を立てて控えている。
完全に、村を一つ滅ぼす気満々の戦力である。
「さあ、恐怖に顔を歪ませろ! 絶望に泣き叫べ! 貴様らの魂を一つ残らず刈り取り、天魔窟の贄として――」
ギアンが両手を広げ、演劇の主役のように仰々しい大見得を切った。
圧倒的な死の軍団を前に、並の人間であれば腰を抜かして命乞いをする場面である。
だが。
「……んぐっ、ごきゅっ、ごきゅっ。ぷはぁーっ!」
座敷のど真ん中では、ハンチング帽を阿弥陀に被ったルーベンスが、芋酒のジョッキを勢いよく飲み干している最中であった。
彼は赤い顔をして、面倒くさそうに片目だけを開けてギアンを睨んだ。
「うるさい。今、いいところなのだ」
――スッ。
ルーベンスがジョッキを置く手首を、ほんの僅かに返した瞬間。
大見得を切っていたギアンの足元の『影』が、まるで意思を持った蛇のようにヌルリと伸び、ギアンの両足を背後から思い切り引っ張った。
「えっ? ――ブギャァッ!?」
ドゴォォォンッ!!
魔人ギアンは、見事なまでに顔面から地面に激突し、被っていたピエロの仮面が「パリンッ」と情けない音を立てて真っ二つに割れた。
「……あいたたた。な、何をする! 貴様、ただの酔っ払いの分際で、この私に……って、痛ァァッ! 鼻血出た!」
ギアンが涙目で鼻を押さえながら身を起こす。
狡猾で残忍な死蟲軍指揮官の威厳は、登場からわずか十秒で完全に消え失せてしまった。
「おい、大将。店の入り口で騒いでいる変質者がいるぞ。塩まいとけ」
「ああっ! せっかくの美味しいお肉の匂いに、変な虫が寄ってきちゃいましたぅ!」
ルーベンスがポポロシガーを吹かしながら吐き捨て、リリスが炒飯の皿を両手で抱え込んで抗議する。
「お前ら……! 恐怖しろと言っているんだ! なぜ誰も絶望しない!?」
ギアンがワナワナと震えながら立ち上がり、大鎌を構え直した。
「い、いいだろう。ならば私の恐ろしさを物理的に刻み込んでやる。行け! 死蟲たちよ! この店ごと奴らを食い破れ!」
ギアンの号令と共に、背後に控えていた巨大な死蟻たちが、酸の涎を撒き散らしながら一斉に店へと向かって突進してきた。
「しゃあねェなァ。メシの邪魔すんじゃねェよ!」
いち早く動いたのは、自警団のイグニスであった。
彼は椅子を蹴り飛ばして立ち上がると、巨大な両手斧に爆炎を纏わせて店先に飛び出した。
「オラァッ! 『イグニス・ブレイク』ッ!!」
爆炎の一撃が死蟻の群れをなぎ払う。
だが、ギアンも指揮官だけあって、すぐさま後続の死蜘蛛型に糸を吐かせ、イグニスの斧の動きを封じようとした。
「……やれやれ。騒々しい夜だ」
拙者は箸を置き、ゆっくりと立ち上がった。
「軍師殿、少し待っておれ。すぐに片付けてくるゆえ、餃子が冷めぬうちに戻る」
「ああ、頼む。私はもう一杯、酒を煽るとしよう」
ルーベンスがジョッキを片手にニヤリと笑う。
拙者は店先へと歩み出ると、イグニスに襲いかかろうとしていた死蜘蛛たちの前に立った。
「……チッ。ヒョロい侍がしゃしゃり出てきおって。死蜘蛛の炎で丸焦げになれ!」
ギアンが嘲笑う。
だが、拙者は『備前長光』を抜くことすらしなかった。
左手に握った鞘の先端に、研ぎ澄ませた闘気を一点集中させる。
――ガキィィィンッ!!
死蜘蛛が放った炎のブレスを、そしてイグニスを狙っていた死蜘蛛の鋼鉄の脚を、鞘の一振りで円を描くようにいなし、完全に軌道を逸らしたのだ。
「なっ……!? 装甲ごと弾かれただと!?」
ギアンが驚愕に目を見開く。
「……小次郎! この死蟲たち、なんだかすごく良い匂いがしますぅ!」
不意に、店の中からリリスの間の抜けた声が聞こえてきた。
見れば、イグニスの炎で焼かれた死蟻の残骸から、なにやら香ばしい匂いが漂い始めているではないか。
「ん……? 確かに、エビやカニを焼いたような……」
リーザが鼻をクンクンとさせ、ヨダレを拭う。
「おい、龍魔呂殿。これは……」
拙者が厨房の方を振り返ると、龍魔呂は柳刃包丁を片手に、死蟲の残骸を値踏みするように見つめていた。
「……甲殻類特有の、極上のアミノ酸の匂いだ。死蟲の装甲の奥にある生体組織は、上等な食材になるらしいな」
龍魔呂の言葉に、鉄火場で勝負師の顔になっていたルーベンスまでもが、目を輝かせて身を乗り出した。
「ほう! それは美味そうだな! 先ほどの競馬の祝勝会に、新鮮な海鮮(虫だが)が追加されるとは!」
「「「やったーーーーっ!! デリバリーだぁぁぁっ!!」」」
リリスとリーザ、そしてイグニスまでもが、フォークと皿を手にして店先に飛び出してきた。
その目は完全に、死の軍団を『歩く高級食材』としてロックオンしている。
「は……? え……? 食材……?」
圧倒的な恐怖と絶望を与えるはずだった魔人ギアン。
彼は今、ヨダレを垂らした少女たちと、酒気帯びの酔っ払い親父、そして包丁を構えた料理人に囲まれ、自らが『新鮮なデリバリー業者』として歓迎されているという狂気の現実に、完全に思考を停止させていたのである。




