121話『変わる前提、刺さる視線』
「詩織、いったん休憩。……次、秀人」
ディアがそう言って、指先をひらりと振る。
影が盛り上がって――今度は僕の正面に、さっきより大きく“硬そう”な魔物が出た。
腕が長い。目が合った瞬間に分かる。こいつは強い。
「……はいはい」
軽く返しながら、呼吸を整える。
背後では、早見さんが座り直して、ルミエルの輪を落ち着かせていた。
癒泉導脈の淡い光がふわっと流れて、空気が少しだけ柔らかくなる。
「……行く」
魔物の腕が、鞭みたいにしなる。
正面から受けたら骨が持っていかれる。
「コユキ!」
「わかってる」
視界の端、コユキが影から出てくる。爪が一閃――魔爪強化
魔物の視線が一瞬だけそっちに吸われた、その瞬間。
僕は一歩横へ、斜め前。
腕が薙ぐ。
――来る。
黒想鋳具で作った黒い棒で受ける、じゃない。受けたら持っていかれる。
“当てて逸らす”。
カンッ、と鈍い音。
衝撃が肩まで抜けて、歯を噛む。
「っ……硬いな」
「硬いのは今さらでしょ」
ディアの声が背中に刺さる。笑ってないやつ。
次の一撃が来る前に、僕は“線”を張る。
空間斬糸
指先から、見えない糸が走る。
空間そのものに刃を通す感覚。
糸が魔物の腕の軌道を“削る”。
完全に斬れない。外殻が硬い。
でも、軌道がほんの数センチずれる。それで十分。
「今だ」
コユキが炎弾連射を放つ。
スーラが服の内側で形を変える。
ぷに、という感触が腕に沿って広がり、籠手みたいに密着した。
――衝撃、吸って。
魔物の拳が来る。
僕は半歩だけ踏み込み、黒い棒を“突く”んじゃなく“押し当てる”。
ドンッ。
衝撃が籠手に吸われる。完全じゃない。
押し当てた反動を“軸”にして、身体を回す。
闘気増幅。
黒い棒が、外殻の継ぎ目を叩く。
狙いは“割る”じゃない。“剥がす”。
バキ、と嫌な音がして、外殻の欠片が飛んだ。
「いい、そこ」
ディアの声が少しだけ軽くなる。
魔物が怒ったみたいに吠え、腕を二本同時に振り下ろす。
左右から壁が来る。
――挟まれる。
風圧跳躍――跳躍し避ける。
そして、糸をもう一本。
空間斬糸。
今度は“縫う”。
魔物の腕と腕の間に、斜めに糸を張る。
無理に動けば、自分で裂ける位置。
魔物が気づかずに踏み込む――
ギィン、と耳障りな音。
外殻が糸に擦れて火花みたいな光が散る。
「効いてる!」
コユキが笑って、影から飛びついた。
今度は爪じゃない。影を“絡める”みたいに――影縫い。
「動き、止めた」
魔物の足元が一瞬だけ沈む。
完全拘束じゃない。だけど、踏み込みが遅れる。
僕は呼吸を一つ。
黒い棒を握り直す。
黒想鋳具
棒の先端が形を変え、短い“刃”になる。
黒い武器は、僕の意図にだけ従う。
「終わらせる」
僕は外殻の割れ目に刃を差し込み、横へ“裂く”。
ガリッ、と抵抗。
そのまま、空間斬糸で一瞬だけ補助線を入れる。
スッ、と割れ目が広がった。
「……開いた」
僕が呟いた瞬間、魔物が暴れる。
反射で腕が飛んでくる。
「スーラ!」
ぷるっ、と震えて返事になった。
籠手が厚くなる。衝撃を吸って、腕が痺れる程度で済んだ。
その代わり、身体が一瞬だけ止まる。
――止まるな。
僕の横を、コユキがすり抜ける。
「秀人、止まると負け」
分かってる。
僕は最後の一歩。
露出した部分へ、黒い刃を突き立てる。
そして、糸を“内側”へ。
空間斬糸――断つ。
魔物が、音もなく崩れた。
影みたいに溶けて、床に吸い込まれていく。
静寂。
僕は息を吐いて、肩を回す。
スーラが腕からすっと落ちた。
「……きついな」
「きつい方が、顔が生きるわよ」
ディアが言う。今度は少しだけ笑ってる。
後ろを見ると、早見さんが立ったまま、こちらを見ていた。
守られる側の目じゃない。学ぶ側の目だ。
そして――その視線が、さっきより逸れにくい。
僕は気づいたふりをしない。応えたら、支える意味まで歪みそうな気がする。
早見さんが小さく息を吐いた。
「……すごい」
言葉が漏れたのを、本人も気づいて慌てて口を押さえる。
「……すみません、いまの」
「謝ることじゃない」
僕は短く言って、ディアが用意した水を飲んだ。
……今は、見なかったことにする。
コユキがぼそっと言う。
「今の目、刺さってたね」
「コユキ。今はやめとけ」
「今だから、でしょ」
夕食は城の食卓だった。
ディアが手際よく並べて、スーラがぷるんと皿の横で跳ねている。
食後のデザート――カラフルなゼリーが、ガラス皿に盛られていた。
赤、青、黄、緑。妙に鮮やかだ。
早見さんがスプーンで一口すくって、口に入れる。
「……これ、美味しい……なんだか、元気が出る」
コユキが即答する。
「スーラの体の一部」
早見さんの動きが止まった。
スプーンが空中で固まる。
「……え?」
スーラがぷるん、と誇らしげに揺れた。
「いや」
早見さんは言いかけて、止める。
嫌悪じゃない。単に情報量が多すぎる顔だ。
ディアが平然と言う。
「大丈夫。再生する」
「再生……」
コユキが追い打ちをかける。
「つまり、すぐ戻る」
「やめて……」
早見さんはそう言いながら、もう一口食べた。
そして、ほんの少しだけ笑いかけて――すぐに引っ込めた。
笑っていいのか、まだ迷っている。
でも、迷えるようになった。
それだけで、今日は進んでいる。
夜。
僕は家に戻った。
シャワーを浴びて、ソファに沈む。
コユキも隣で丸まり、スーラはクッションの上でぷるんと形を変える。
ユキ丸は、壁際で静かに光っている。
テレビのニュースが流れた。
『自衛隊が、ゲート一階のクリア訓練を正式に発表。訓練プログラムの中でスキル習得を――』
画面のテロップが踊る。
アナウンサーの声が、妙に明るい。
“制度化”。
「……日本もやっと、だな」
コユキが目を細める。
「荒れる」
「荒れるだろうな。でも――遅れてた分、巻き返すしかない。もう各国は始めてる」
ニュースは続く。
『米国では一般市民も希望制で――』
追い打ちだ。
世界が、前提を変えに来ている。
身の回りも、日本も、世界も、変わり方が速すぎる。
僕は、ため息の代わりに息を吐いて、背もたれに頭を預けた。
ユキ丸が淡い光を揺らして、空中に短い表示を出した。
【SNS状況:伸びは緩いが拡散継続】
安心したい。
でも、安心できない。
僕は目を閉じて、明日の予定を頭の中で並べる。
明日は、また仕事。そして――。




