笑顔でサヨナラを
Ⅰの裏切りが届いたのは何もミストガンだけではない。彼以外にもこの報告を聞いていた者は多くいた。
「なるほど、彼が裏切ったか」
そのうちの一人、Ⅱの数字を賜った男は現在管轄であるはずのオーストラリアを遠く離れて英国へと足を運んでいた。残念ながら彼はⅣに滞在の旨を伝えていない。当の本人であるはずの彼女はいつも人形遊びをしているばかりであり、かといってこの地の監視を行っているわけでもない。そんなものにわざわざ連絡を入れる方がばからしいというものだ。
「ははっ、これが魔術の総本山か」
わざわざ何時間もかけてきた甲斐があるというものだ。やっぱり実物を見るのと見ないのとでは全然違う。もしこのシンボルが無くなったら……こんなことを考えるなんて、いつから私は悪役じみた思考回路に染まってしまったんだ。
「まぁいい。とにかく行こう」
こんあことでいちいち止まっていては、貴重な休日を無為に過ごすことになってしまう。それだけは避けなくては。彼はスーツの中に手を入れたかと思うとそこから拡声器を取り出す。彼からすればこの程度の事はわざわざ見せるほどでもない。なぜなら彼の本職は奇術師だからだ。
「あ、あ~。聞こえてますか?聞こえていたら返事をしてください」
だが、いつまで経っても彼の言葉の返事はない。何度か声をかけてもみたがあるのはせいぜい通行人がこちらを奇妙な物を見るような目で見つめてくるのみ。右腕に付けた時計をちらりと見てまたその視線を時計塔へと戻す。
「そろそろかな」
すべての針は一つに交わった瞬間、AとPが入れ替わったその時彼は一つの魔術を発動させた。
それは遠く遠くはるか遠くの赤道を越えた先にある小さな大陸を飲み込んだように見せる魔術だった。もちろんこんなところからではその様子を確認することはできない。だけどそれが正しく発動したという確信をⅡは持っていた。だから彼はもう一度だけ拡声器を持つと今度はさっきよりも自信をもって問いかける。
「私の声が聞こえているなら返事をしろ。君たちの動揺は痛いようによく分かる。それとここはその小さな工房の中で一生を過ごすような臆病者の集まりなのかな?それとも、私の正体がⅡだから君たちは怯えているのか。どちらにしてもわざわざオーストラリアから来たのだ。面会の機会くらいはあっても良いと思うんだがね」
きっと普段であればそんな挑発になど一切取りあわあないはずだ。だが、今回は違った。同盟を組んでいる組織の通信不能と研究地として有力な広大な土地を持った大陸の消滅はたとえ周囲にあまり関心を抱かない彼らであっても目を向けなければならない事案であった。
「……なんの用かな。ここはNo.0が気軽に足を踏み入れて許されるような場所ではない。そのような穢れた足でここを荒らすな。お前のような奴にはワシのような老獪が相手をするのが妥当だ」
やっとのことで出てきたと思われた老齢な男は自らを卑下するような者だったがそこには敵意は感じられない。こちらの話を聞くつもりはあるということか。でもそれなら話は早い。
「どうやら歓迎はしてくれるみたいだ。それなら安心だよ」
「これを歓迎というのであればな」
そう言って老獪は袖に隠れていた自らの手を出す。その手の中には何かが握られていてその手を開くと繋がれていた鎖がゆっくりと垂れて握りしめていたものが姿を見せた。
半日弱が過ぎた頃、やっとのことで赤道を越えて豪州へとやってきた。そこには本来の何万分の一しかないオーストラリアの土地があるはずだが、もちろんこんな上空からそんなものを見ることができるはずもなく、運転席からのアナウンスで上陸することができるということだけが知らされる。
その声を聞いてか、ずっと眠りについていたサイドゥンも目を覚ました。可愛らしい声を漏らしながら僕に今はどこにいるのか聞いてくる。目が見えているわけではないのにまるで見えているような上目遣いはとても凶悪的だが、愛くるしい。少しだけ自分が先祖返りで良かったなと思ったのもつかの間。突如ジェット機が飛行能力を失ったかのようにグラグラと揺れ始めた。これには起き抜けのサイドゥンも驚いた声を漏らす。こういうのがあるかもしれないから寝ていたところもあった彼女は、最悪だと言わんばかりの拗ね顔でまた眠りにつこうとするので僕は容赦なく叩き起こす。
「あ、なんてことするんだい!」
「逆になんでこんな状況で寝ようとするの。死んじゃうよ」
「起きてたら気持ち悪くなるんだもん」
とりあえず操縦席からの説明によると、突如見えない何かに激突したことによって片翼が破損したとのこと。飛行能力を維持できないためこのまま着陸を試みるとのことだった。
「なんかまずそうだね」
雪広が咄嗟にそんなことを漏らす。彼女は万が一のことを思いこのジェット機から脱出するために術式を起動する準備をする。10人程度を一気に飛ばすのは魔力の消耗が大きいが、幸い今の雪広の魔力は満タンなこともあり、ぎりぎりなんとかなるレベルだ。
「これより緊急着陸します。みなさん、衝撃に備えてください」
酒花さんの声がして窓から見える外は少しづつ地面を映し出す。近づいていくほどに感じたことのないような独特の魔力が残された大陸を覆っているのが分かる。これがノームの先祖返りの力によるものなのかな。
不安定な飛行状態だったけれども着陸はなんとかうまくいった。操縦室と声が繋がっていたので酒花さんの安堵した声がこちらにも聞こえてくる。何はともあれ無事に着陸することができて良かった。
一応念のためにと僕たちは先にジェット機から出ることになった。どうやら不安定になった原因がまだ分かっていないこともあってそれを調べてから彼らはジェット機から離れるらしい。
さて、これで何度目にかなる海外。僕を一番最初に襲うものと言えばそう、言語だ。基本的に彼らの会話は聞き取れない。ここにはサイドゥンや多少なりとも話せる雪広がいるからどうにかなっているが、自分一人になったらどうしようという不安は結局拭えない。
今回も例にもれず一人の青年が着陸したジェット機に近づいてきて何かを言っているが僕には理解できない。が、そんなときはこれ。僕は一枚の札を取り出す。
「英語くらい勉強すれば理解できるのに、そんなのに頼ってどうするの?」
「良いんだよ。勉強嫌いだから」
カラ爺から貰った札を使う時だ。多分カラ爺が一番得意な魔術は召喚系なのは間違いなくて札にあったのもそれが大半だった。だけど実用性っていうのを考えた時に、やっぱり意思疎通ができないっていうのはかなり痛い。話すのはともかくほとんど聞き取れる雪広と違って僕は何も分からないんだ。これくらいの補助があってちょうどいい。札を使うと途中から彼の言っている言葉が聞き取れるようになってきた。
こんな世紀の大発見みたいな魔術あるんだと素直に感動する。だがきっといずれこれもまた科学で成し得る事柄なのだろう。
「簡潔に言えば、オーストラリアにある魔術師協会は消えました。偶然残ることのできた者たちだけで簡易的な場所を作っていますが、そもそもこの原因が分かっていない以上どうすることもできないのが現状です。でもとりあえず皆さん来てもらえますか?ロビンソンが待っているので」
ルーカス・ロビンソン。彼こそが小さな大陸を残すことができた救世主でありノームの先祖返り、その張本人だった。




