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カスミトシンジーノ(五)

「ああ。俺は、中一で二十三まで、行ったぜ!」

 オルゴールを宙に浮かせたまま、師匠はしたり顔で伸次を見る。


「じゃぁ、あと一曲は、いつ弾けたんですか?」

「いや、最後の『ありがとう』は最後まで弾けなかった。ふっ」


 何を思い出したのか、ちょっと吹き出すように笑って、師匠は前を見る。


「えー、あ、ホントだ

『最後のナンバー二十四は、十のメロディーが重なり合う幻の曲で、二人でも絶対に弾けない曲である。今だ多重録音以外で演奏されたことはない』なんですってぇ?」


 師匠はオルゴールを持ったまま、上を見た。


「それな。俺は思ったんだけど『少年少女』の後に『達』って入ってるからさ、

『大きくなって子供が生まれたら、その子供達と一緒に弾きなさい』 てことかなって、思ったんだけどさ」

「なぁるぅほぉどぉ」

 伸次が珍しく同意する。


「でもなぁ、そんなに沢山子供できなくてな。親子三人で六つが限界だった。まぁ、後は孫に期待しようってなっ」

 笑顔で伸次の方を見る。


「三世代ですかぁ。だから『ありがとう』なんですかねぇ」

「うん。かも、しれないって、思っている」

 師匠は頷いて、またオルゴールに目をやった。


「へー。で、行けたんですか?」

「いやぁ、それはダメだった。婆さん、孫が三歳の時、天国に逝っちゃって」


 師匠が寂しそうに言う。

 きっと師匠がピアノを弾かなくなったのも、それが理由なのだろう。いや、もう弾く意味が、無くなったのかもしれない。

「そうですか。それは、残念でしたね」

 伸次は慰めるように言った。

 師匠はゆっくり頷いてから顔を上げ、窓の外を見る。雨は峠を過ぎたのか、窓を叩く雨粒は、幾分静かになっていた。


「棺桶に、カスミトシンジーノ入れてやったから、天国で、一緒に弾くさっ」

「まぁ、師匠が天国に行けたら、って話ですけどね」


「この野郎っ! 人が良い話をしてるってのにっ!」

 デリカシーのない言葉を聞いて、師匠は頭に血が昇る。

 修理したばかりのオルゴールを握りしめて、振り上げた。しかし、顔は笑っているではないか。


「冗談ですってばぁ」

 両手を前に出し、伸次も笑っている。こんなやり取りは、日常茶飯事だ。

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