カスミトシンジーノ(四)
「なんですか? 師匠はピアノ、習ってたんですか?」
「ああ。昔な」
「へー。意外ー」
「うるせーな。良いだろ!」
ちょっと怒って伸次の方を見たが、直ぐにオルゴールの方に向き直る。慎重に持ち上げて、静かに振っている。
「この教本を使っていたんですか?」
「そうだよ!」
煩いなという感じで、短く答えた。
「へー天才だったんですか? 『カスミトシンジーノは指運の指示がなく』指運ってなんですか?」
「ピアノ教本の、音符の所にさ、どの指で弾けば良いかを、一から五の数字で書いてある奴だよ」
一応説明してやった。
「いやー、それがなかったら、教本じゃないじゃないですかー」
「それが良いんだよぉ」
師匠はオルゴールを持ったまま、首だけを伸次の方に曲げて言う。伸次は口をへの字に曲げる。
「えー『創意工夫でメロディーを奏でる教本で、名前の通り天才を対象としたかのような教本である』って。どういうことですか?」
「それな。一人じゃ絶対弾けない曲、ばかりなんだよー」
師匠はオルゴールを、静かに振っている。
「えー、だめじゃないですかー」
「だから、連弾するんだ。二人で弾くんだよ。ヒヒヒッ」
昔を思い出したのか、師匠はちょっと顔が赤い。
「何、笑ってるんですかぁ。そういうことですか。
あ、本当だ、書いてある
『発売当初、絶対弾けないピアノ教本として有名になったが、やがて研究の結果、連弾なら弾けることが判って来た。
しかし、それでも指と指が触れるようになってしまうことから、これも名前の通り「少年少女」つまり男女の連弾で弾く教本であることが判明した』って、なんですか? これぇ!」
「なー。画期的だろ? これで俺も、婆さんと出会ったって、訳だ。ヒヒヒッ」
師匠は伸次の方を見ず、前を向いたままだ。
「ああ『ピアノ教室で好きな子に「一緒にカスミトシンジーノを弾きませんか?」と誘うのが流行した』ですか。師匠、やりますねー」
伸次はタブレットから目を離し、師匠を見た。
師匠は、まだオルゴールを振っている。
「まあなっ。俺の場合は、バレンタインデーに婆さんから誘って来てな、ホワイトデーに、楽譜をプレゼント、したんだよぉ。かわいかったんだぞぅ!」
「あー、そういうの流行ったって、書いてありますね
『全二十四曲中、小学四年生までにナンバー十二の「ピエロ」まで弾けたら付き合える。中学卒業までにナンバー二十三まで弾ければ結婚できる、という伝説がある』まじすか!」




