それから(十三)
そんな部員達に、村田は『早く帰れよ』と笑って言い残し、真治を連れて音楽室を出た。没収した十枚の楽譜を返す為だ。
真治はすっかり忘れていたようで、村田の後に続く。
真治と一緒に帰るつもりでいた香澄は、そのまま机の上に座って、遠巻きにピアノを眺めながら、真治が戻って来るのを待っていた。
真衣は演者の左側に陣取って、次に弾く人を指名して仕切っており、何人かの後、机の上に座って拍手をする香澄に気が付いた。
真衣が香澄に来るように言ったが、香澄は遠慮して手を振ると、机から飛び降りて逃げ出そうとする。
しかし、クラリネットの仲間達に捕まって、ピアノの前まで連れてこられ、椅子に座らされた。
香澄は『高校の特待生』を目指して、コンクール用の曲を練習していたので、それを披露する。
香澄のピアノを聞いた部員達は驚いた。特に驚いたのは、香澄と同じクラスの歌声委員であろう。
ピアノが弾ける吹奏楽部員ということで『指名』されたのに、明らかに『常軌を逸した腕前の持ち主』が、目の前に現れたからだ。
その辺は真衣が『香澄の気の小ささ』をアピールし、ことなきを得た。香澄は、ほっとしていた。
そこに、音楽室の建て付けの悪い扉を開けようとする音がして、真衣は香澄を『ピアノの下』に潜るように言って、急かせる。
香澄は、訳も判らずピアノの下に隠れた。
扉を開けて入って来たのは、楽譜を返してもらい、香澄と一緒に下校しようと音楽室に帰って来た真治だった。
真衣が真治を指さして『ピアノを弾くよう』に言うと、ピアノの周りにいた部員達が驚いた。
まぁ、指揮もしていたし、ピアノ位弾くんだろうと思う部員達が半分。残りの半分は『へー意外』だった。
しかし真治は、例によって『好きな人の為にしか弾かない』と、言ってのけ、右手を振って断ると、香澄を探す。
一同『オー』と言ったが、ピアノの下にいる香澄のことは、誰も内緒にしていた。
食い下がる真衣が、今度は自分を指さして『ライク! ライク!』と真治を挑発する。
真治の顔が曇った。確かに『好き』は『ライク』でも表せる。
納得した真治は、やっぱりどこか抜けている。溜息をすると渋い顔をしてピアノに向かった。
苦虫をかみ殺したような顔をした真治だったが、それでもピアノに正対すると顔つきが変わる。
一同『シン』となって固唾を呑んだ。目を開けた真治が、静かに演奏を始める。
それは『左手のドミソミドソミソ』から始まる曲だった。
右手の旋律が、始まろうとした時だ。
真衣が真治に抱き着き『それはダメだよ』と言いながら左手で真治の左手に触れ、演奏を止めさせる。
驚いた真治は、椅子の右から転げ落ち、ステージ上でワンバウンドした後、さらにその下まで転げ落ちた。
ピアノの周りから、一斉に笑い声が起きる。
顔を真っ赤にした真治は、起き上がると、並べた机にぶつかりながら走り出し、迂回して階段を使うことなく真っすぐ進む。
普段はトロンボーンが陣取っている最高段から出口に向かって飛び降り、勢いよく開けたドアを閉めることもなく、そのまま音楽室を飛び出して行った。
ピアノの下にいた香澄は『愛のオルゴール』が始まったと思ったら、真治が椅子から落ちて来て目が合った。
そして、更に下まで落ちて行く真治に手を差し出したが、届かない。いつものことだった。
頭に衝撃が走る。それでも痛みを堪えて転がり続け、自分もステージから転げ落ちると、真治と同じように音楽室を真っ直ぐに突っ切って、そのまま飛び出して行った。
部員が言っている言葉は、何も聞こえなかった。ただ真治を探す。
しかし、真治はもう、どこにもいなかった。
教室にも、屋上にも、図書室にも。
真治と過ごした場所は、全部探した。
最後に下駄箱へ行くと、いつもあったはずの『黒い傘』が、なくなっている。
すると香澄は、眼前に真治を見つけた。
右手に傘を持ち、緊張しつつも、優しい笑顔で振り返る。
やっと見つけた!
香澄は嬉しくなり、髪が水平になる程の勢いで、飛び出す。
真治と一緒に買った『髪留め』が、壊れて弾け飛ぶ。
それでも腕を振り、髪をなびかせながら、上履きのまま『ダン』『ダン』『ダン』と、勢い良くスノコを蹴って、愛しい真治と傘に向かって、走った。
だが、そこに真治はおらず、傘もなかった。
そのまま校舎を飛び出した香澄は、春の穏やかな光を浴びながら、滝のような雨に、打たれていた。
卒業式で香澄は、約束していた真治の『第二ボタン』を、貰えなかった。
そして、翌日に降った季節外れの大雪の日、香澄は転んで骨折し、ピアノコンクールを辞退した。
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一 一
一 朗 一
一 記 二 一
一 日 大 一
一 換 島 一
一 交 永 一
一 一
一 説 者 一
一 小 著 一
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