それから(十一)
三年生で唯一コンクールメンバーから外れた真治は、もう屋上にはいない。
一、二年生の指導と、村田が不在の時に指揮をした。
マイトランペットは、時々吹いた。
各パートを廻り、『こんな感じ』を表現する為だ。しかし一、二年生は、真治が指導を終えて見えなくなると口々に『無理』『真似できない』と言って溜息を付いた。
香澄の家にもお邪魔した。
基礎練習と、香澄にトランペットで歌を聴かせる為でもあるが、受験勉強の為でもあった。
そして香澄の部屋で、香澄が昨日書いた交換日記を読み、その日の分の交換日記を書かされた。
調べてから答えるような『難しい質問』をされても、それには答えられない真治は、苦し紛れに『猫の絵』を書いて、トランペットを吹かせたり、飛んだり跳ねたりさせたのだが、香澄がそれを気に入って毎回書かされた。
桃の花が満開になった日。久し振りにカーテンを開け、窓も開けた。香澄は爽やかな風を感じた。
あの時と違い、香澄と真治は『同じ窓』から桃木を眺めていた。
初めての『桃花の記憶』は遠い昔の『にほひ淡し』となり、二人の思い出だ。
やがて、再びカーテンが閉じられると、二人はそれを、鮮やかな『桃花の記憶』で上書きする。
南からの東風が桃木を揺らした後、カーテンも揺らしていた。
窓辺の二人はそれに気が付きもせず、お互いすらも、眺めてはいなかった。
香澄は真治の許可を得て、一人でピアノを弾く時はトランペットを隣に飾り、毎晩トランペットを抱いて寝た。
ウォークイン・クローゼットには、世にも珍しい『トランペット用の寝間着』があったのであるが、入り口には当然、レーザービームがセットされていた。
香澄は夢の世界でだけ、何度も真治と結ばれた。
六月も終わり頃になると、香澄は姉になった。
目を細くして、赤子の面倒をみる香澄と真治を眺めていると、恵子は自分が、お婆さんになったと錯覚した。
音楽ノートに作曲も始めた。
真治がメロディーを歌ったり、人差し指でピアノをつついて出した音を、五線紙に泳がせて行く。
ページの一番上の段だけを使い、そこに『トリガー』となる旋律を書いた。
それを香澄がゆっくりと弾きながら、真治が次のメロディーを弾くと、それを香澄が弾いて覚える。
そうして二人は、おたまじゃくしを生み出して行った。




