花火の夜(二)
香澄の家に着くと『呼び鈴を二回連続押し』をすると、返事を待たずに、そのままバラのトンネルをくぐる。
「それさ、悪戯だったらどうするの? 不用心じゃない?」
真治は心配性である。香澄が笑顔で振り向いた。
「お母さんね、私とそれ以外の区別、付くんですってぇ」
当然という顔をして香澄が答える。
真治は目を丸くした。『音楽家の耳』って、そんなことも?
「すごいね。何か流石だわ」「そうでしょー」
嬉しそうに言っていた香澄が前を向くと、やっぱり『カチャ』っと音がして玄関が開く。いやはや。今日も正解である。
「ただいまー」「こんばんは」
「おかえりなさい」
笑顔の恵子だ。久し振りの家族全員集合。余程嬉しいのだろう。
「いらっしゃい。今日はよろしくお願いしますね」
恵子が真治を見て笑顔で頷く。真治は再び会釈した。
促されるまま玄関に入った所で、真治が恵子に四人前のちらし寿司を両手で差し出した。
「こちら、どうぞ。皆さんでお願いします」
「香澄から伺ってますよ。ごちそうして頂けるそうで、ありがとうございます。あら、美味しそう」
ちらっとビニール袋を開いて、透明の蓋越しに覗き込む。
「いつもごちそうになってますので、こんな時位は」
「とぉんでもございません。お気遣い、ありがとうございます」
笑顔でお辞儀の後、左手にちらし寿司を持って、右手で奥を指す。
「ささ、こちらへどうぞ」
いつもよりちょっと長い玄関トークが終わった。その間に香澄がスリッパを用意してくれている。真治は一礼してお邪魔した。
香澄の父親が玄関にいない。
今日は急用で来れなくなった、というケースも想定したが、香澄の様子から見ても、それはない。
だとしたら歓迎されていないのかと、真治は怖くなった。
歓迎されていない所にお邪魔するのは、遠慮したい。
恵子はちらし寿司を持ってリビングの扉を開けた。香澄と真治もそれに続く。するとそこに人影が。誰なのかはピンと来る。
「圭太さん、小野寺さんお見えになりましたよ」「お、そうか」
ソファーで、ピアノ教室用の『絵本』を読んでいた圭太が腰を上げる。真治は『絵本に夢中になっていた』圭太を見て、気持ちだけずっこけた。どういうこっちゃ。
訪問時間を事前に伝えておいたのに、判らなかったのだろうか。
しかし、立ち上がった圭太は、中学生でも大きな方の真治より、ずっと大きかった。やっぱり『大人』である。
「初めまして。小野寺真治です」
「小石川圭太です。家の香澄を泣かせた、真治君だね」
ほら。やっぱり言われた。開口一番じゃないか。
真治は香澄を睨むことはせず、その場で固まった。
大人には、何事も正しく伝わらないものなんだよ。もう帰りたい。
「あらあら?」
恵子は初耳だったらしい。ポカンとした顔で、圭太と香澄を交互に見ている。
「ちょっとお父さん! 絶対に秘密って書いたのにぃー」
怒りだしたのは香澄だ。真治に怒っている姿は初めて見せる。
「え、そんなこと書いてあったっけ?」
圭太はオープニングトークに失敗したなと思ったが、もう遅い。香澄がおろおろし始める。
「別に『泣いた』って言ったって、いじめられた訳じゃないのよ? お母さん、感動して泣いただけよ?」
恵子の方に向かって、早口で言う。恵子が苦笑いをしながら何度も頷くのを確認すると、直ぐに怖い顔をして、圭太の方に振り返ると、声を荒げて叫ぶ。
「ちょっと、もう、お願いだからやめてっ! お父さんも『そんな風』に言うんだったら、もう、手紙書いてあげないからねっ!」
香澄の援護射撃に、真治は胸を撫で下ろした。
圭太は初めて娘に怒鳴られた。目を見開き胸の前で手を合わせる。
「いやいや、すまなかった。本当に、すまなかった。ごめんねぇ」
長い外国暮らしの中で唯一の楽しみ『娘からの手紙』が、来なくなるのだけは勘弁して欲しかった。それは幾ら何でも辛過ぎる。
「良いけどっ」
香澄は直ぐに許した。目は怒ったまま、口だけは微笑んで睨む。
真治は挨拶から『苦笑い』をするしかない。『木の役』のように立ち竦み、じっと三人の様子を眺めていた。




