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花火の夜(一)

 夕方にしては暗い。そして風も強い。朝方パラパラと降っていた雨は上がり、天気は回復傾向にある。良いことだ。

 問題は、低く垂れ込めた雲であろう。


「花火、できると良いですね」

 香澄はにこやかに真治を見上げた。真治は前を向いたままだ。

「そうだねぇ」

 上の空で答える真治を見て、香澄は前を向いた。


 真治と香澄は、駅前のスーパーに予約していた『特製ちらし寿司』を受け取って、香澄の家に向かっている。

 早めの夕飯を家で食べてから、花火会場へ向かう。

 そういう作戦だ。


「ドーンって、すごい音、するんですか?」

 真治を覗き込んだ香澄の瞳が、期待でキラキラ輝いている。

「うん。結構大きな音するよ」

 真治は生返事した。顔も浮かない感じだ。

 それでも、香澄が不機嫌になる様子はない。前を向いて笑った。


「そーんなに緊張しなくて、良いのに」「うぅん」

 真治はまた生返事した。

 香澄は手を繋いだままの左肩で、真治の右肩をちょっと突いた。真治からの反応はない。それでも香澄は楽しそうな笑顔のままだ。


 花火を観に行く日に『ちらし寿司をごちそうする』と言い出したのは、当然真治だ。香澄は快諾した。

 そして手に持った特製ちらし寿司『四人前』が重い。


「お母さんと浴衣に着替えている間、お父さんと待っててね」

「うぅん」

 そう。今日は香澄の父・圭太が、『香澄の浴衣姿』を見る為に、はるばる西ドイツから、日本に帰って来ていたのだ。

 香澄は、ちょっと口を尖らせると、真治を覗き込んだ。


「お父さん、優しいから大丈夫だって」

「それは香澄さんにでしょ?」

 言われた香澄は、眉毛をぴくりとさせる。『そうかもしれない』と思って笑顔が一瞬消え、それでも直ぐに復活した。


「真治さんにだって優しいよっ。多分」

 香澄は真治を安心させるために、真実を述べた。迷いのない笑顔も追加で見せる。これなら安心だろう。


「今『多分』って言ったぁ!」

 駄目だったようだ。細かい男だなぁ。香澄は苦笑いだ。

 真治はちらし寿司を持った方の腕で香澄を指さした。どうやら真治は信じていないようだ。香澄はまた口を尖がらせている。


「だって、初めて会うんだから『多分』付けるでしょ?」

 つないだ手をブンブン振りながら言われると、もうそれで『納得する』しか、ないではないか。


「でもさぁ、何、クラリネット吹いた時のこと、手紙に書いたの?」

「書いた」

 真治は困った顔をしている。事実を答えた香澄も、今から思えば『ちょっと恥ずかしいなぁ』と思えて来て、短く答えたのだ。


「絶対言われるよー」

 真治は絶望的な気持ちになって、後ろに体を反らせた。

 香澄はそんな真治を見ても、笑っている。

「良いじゃーん。悪いことした訳じゃ、ないんだしぃ」

 そうだ。その通りだ。確かにあの演奏は『名演奏』だったのだ。だから『その点は済まない』なんて、思ってはいない。

 父への手紙には『ただ素直な気持ち』で書いた。そして『会いたい』とも書いた。


「絶対言われるよー」

 真治はまた後ろに体を反らせた。やはり真治には『ただの負担』でしかないようだ。


 香澄は、真治がとても気が小さいのを知っている。慰めようと真治の顔を覗き込み、真顔で言った。


「大丈夫だって。私が付いているから」

 そう言って真治をポンポンと叩いた。


 真治は、香澄がとても明るいのを知っている。目が笑っているのは明らかだ。真治はまた、香澄を指さして言う。


「いないじゃーん」「あ、そうだった」

 香澄はポカリと自分の頭を叩いて笑った。

 絶対判って言っている。そうに違いなかった。


 二人にとって香澄の父親は、尊敬するプロの音楽プレイヤーなのだ。何を言われるのか、予想できるだけに怖い。それだけだ。

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