テスト期間(三十八)
腕組みをして、しばらく考える。
真治はピンと来た。そして、またまた興奮してきた。
これはもしかして、伝説の『中全音律』で調律されているのでは?
ピアノの調律は大別して二つある。
どんな曲も弾ける様に調律した『平均律』と、ドレミファソラシドが一番美しく聞こえる様に調律した『中全音律』だ。
ほとんどのピアノは『平均律』である。
トランペット等他の楽器は演奏しながら微調整ができるので、自然と『中全音律』になる。ピアノは演奏中にチューニングができないので、事前に合わせたらそれっきりだ。
だから、オーケストラとの共演で『特定の一曲』を演奏するためだけに、曲の調に合わせたドレミファソラシドが一番美しく響く調律をすることがある。
これが、きっとそれだ。
真治は考えた。『どの曲』に、合わせているのだろう。
きっと香澄が、今練習している『ショパンのバラード三番』用だ。
「確かぁ、♭が四つ。多いよ。
一つ目がシだから、二つ目がシラソファミのミ、
三つ目がミレドシラのラ、四つ目がラソファミレのレ。
四つ目のレの場所がファになる音階だな。
えーっと、レをファとして、ファミレド、ラ長調、
あれ、これは三個目の♭にヒットしているから、
半音下げてラ♭長調。こんな所かい。
ショパンさん、何でこんな所から始めた。
で、ここを左手で押さえといて、
えーっと、今度はドがハで、ハニホヘトイロハのー、
何でイロハのイからじゃないのかねぇ。
あ、判んなくなっちゃった。
えーっと、ハニホヘトイーのイで、
半音したーの、♭だから変で、
だから、変イ長調」
正解。
「でだ。ここからドレミファソラシドを弾く」
真治は人差し指一本で、頑張って弾いてみた。
「凄い! ビンゴだ! まじか、すんげぇ」
真治は再び鍵盤を見て考えた。目が輝いて来ている。
「するとですね。
このドから上がってドレミのミから半音下がってミ♭。
ハ長調のシか。
んでこのシをソと見立ててソファミレドのド。
ハ長調のミ、ここだ!」
真治は探し求めた二つの音、ド(ミ)とソ(シ)を、交互に何度も弾いた。『ドソ』『ドソ』『ドソ』『ドソ』。
「いたぁ! 『ウルフは実在した』んだっ! 凄いっ! あのお母様は、マジですんごい人だっ!」
真治は消音室で叫んだ。『中全音律』の弱点である『ウルフの五度』を初めて体験した瞬間である。
そして真治は、その場所をよく見る。
「あれ? これはハ長調だと普通に『ミ』と『シ』なんですけど」
だから『朧月夜がおかしいと感じた』のか。納得した真治は、両手を膝の上に乗せた。思わず呟く。
「これ、ダメなんじゃね?」
もう変イ長調の主音も、ウルフの住処も判らない。
そして真治は、ウルフのように唸り声をあげて悩む。
そう。ハ長調の曲は、全滅だ。
結局『愛のオルゴール』をハ長調から全体的に半音上げた、嬰ハ長調で弾くことにする。
直ぐに左手の助走が始まった。そして、右手の旋律が加わる。
真治は久し振りにピアノの調べを楽しんだ。
その調べは、これまでで一番楽し気で、オルゴールと言うより、むしろピアノだった。
真治は『愛のピアノ』を弾いていたのだ。




