テスト期間(二十五)
「夕飯食べて行って下さいね」「えっ、いやいや、大丈夫です」
その途端香澄は笑う。それどころか、目も輝く。もちろん真治の答えなんて、聞いている訳がない。
真治は右手をブンブン振って断っている。
早く帰って、香澄にはピアノを弾いて貰わないと困る。それに家に帰ったら、何て言われるか。その方が怖い。
真治は、年がら年中言われている。
『人柄はいくら取り繕っても、一緒に食事をすれば一発で判る』
これだ。今誘われている『夕飯』とは、正にこれなのだ。
「遠慮しなくて良いですよ」
あっ。これ、もう『決定事項』だ。真治は覚悟を決める。
「香澄さんお使い行ってきて頂戴。あと一人、レッスンがあるから」
香澄は渋い顔になった。どうやらこっちも『決定事項』のようだ。
香澄も『お使い』は嫌いではない。しかし、今はないだろう。
「はぁいぃ」
嫌々香澄が答える。香澄にしてみれば、デート中に皿洗いをお願いされるようなものだ。
真治も同じ気持ちで、困ったなと思った。
「あのー、お電話お借りして、家に連絡しても良いですか?」
恵子は笑顔で頷く。その笑顔を見て、真治も覚悟を決める。
恵子はピアノの上にある『インターフォン』を、指さした。
「どうぞ。その『電話』で、外線かけられますよ」
消音室の所にあるのはインターフォンではなかったようだ。
真治は驚いた。『電話のかけ方』までか。早速トランペットをケースの上に一旦置くと、一礼して受話器をそっと上げる。
「ゼロを最初に押して下さい」
「はい。すいません。お借りします」
真治は返事して、ピポパと自宅に電話した。呼び出し音が鳴る。
一回目。ふう。二回目。
(はい。毎度ありがとうございます。マルエイです)
ドスの効いた声。父上だ!
真治は自然と『気を付け!』の姿勢になる。
「真治です!」
(おう、どうした)「今日、夕飯をごちそうして頂くことになりましたので、母上にお伝え下さい」
(おう判った。靴屋から聞いたけど、おめぇ、恵子先生家かぁ? 失礼のないようになっ)「はい!」
(母さん、真治ぃ、友達ん所で飯食うってぇー)
(あらー、そう。今日、ハンバーグだったのに)
(やったー、お兄ちゃんの分、私もぅらいー。ヒュー)
(今日ハンバーグらしいけど、良いのか?)「はい!」
(何だ? おめぇ、熱あんのか? 本当に良いのか?)「はい!」
(判った。熱あんのか。まぁいぃ。あんま『風邪』ばら撒くなよ? 判ってんなっ。本当に馬鹿やるんじゃねーぞ。切るぞっ)
「あー、お父上様、一つお願いがございまして」
(ん? 何だ、五秒以内。ゴオ、ヨン、サン)
「三Gに二番と、お伝えして頂きたいのですが」
三号店に『本日出勤しない』という連絡のことだ。早口で伝えた。
(ニィ、そんなんおめぇが連絡しろよ。たぁくっ、めんどくせぇ)
「お手数お掛け致します。ちょっとお借りしている電話なので」
(おいっ、それを先に言えっ! こぉの馬鹿たれがっ。しょうがねぇなぁ。もっ切るぞ。ガチャ)「よろしくお願いします」
真治は深々と頭を下げた。受話器からは『ツーツー』としか聞こえて来てはいないが、指で電話のフックを押してから受話器を置く。
「まぁ、丁寧なこと」
恵子は感心しながら言う。真治は『ちょっと違うんだけどなぁ』と思ったが、勘違いさせたままにしておくことにする。
電話で人に頼むとき『様を付けろ』が、我が家のルールなのだ。
「すいませんが、よろしくお願いします」
「いーえー。じゃぁ香澄さーん、お願いねー」
恵子の声が演技がかって、ちょっと高くなっている。
何だか『お上品ごっこ』が始まったようだ。
「はーい。お母さまー」
香澄も、ちょっと声が高くなっている。立ち上がりながら、右手を真っすぐ前に出し、左手を後ろに出す。踊り出しそうだ。
すると、真治の方に向き直る。
「小野寺先輩さまぁー、一緒に行きましょぉー」
まるで、演技のような高い声のままだ。




