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あの事件から数日。王子には子爵令嬢と側近が貼り付いていて、全く近寄れない。
〈マレの皇女が王子の真実の恋のお相手の子爵令嬢を嫉妬から池に突き落とそうとした〉
〈王子は、子爵令嬢をかばってけがを負って、記憶を失ってしまった〉
バステトにルークと子爵令嬢との仲を教えてくれたあの親切な令嬢が、今学園中で取りざたされている噂を教えてくれた。
そして、バステトがどう思われているかも。
≪マレの皇女は婚約破棄されてさっさと国に帰ればいい≫
結果としてバステトの作戦はうまくいった。
その噂は、バステトが望んだものだった。
婚約破棄したくて、問題を起こしたのだから、これでいいのだ。
でも、自分の望んだ結果のはずなのに、心の底がもやもやする。
もやもやの正体は、なんとなくわかっている。
今までずっとそれに向き合いたくなくて、見ないふりをしてきたけれど、それではだめだともうわかっていた。
バステトはルークに会って、謝りたい。
謝って、それから……
告げたいことがあるのだ。
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ルークは、寝室の窓枠にもたれかかると、外に見える古代遺跡の名残である円形劇場跡を覗いて、小さく息を吐いた。
王太子の部屋らしく特別棟の3階の窓からの景色はすばらしい。
が、癒されない。息が詰まる。
ルークは、部屋に控えている面々をちらりと横目で見た。
頭の怪我には安静が必要だということで、体は特に何ともなかったが、数日間はベッドに縛り付けられていた。今はもう、部屋の中を立ち上がって歩くぐらいのことは許されている。
問題は、記憶が曖昧なことだけらしい。
噂になってしまっているが、でき得るならば、記憶が元に戻るまでは不用意に外に出ることは避けるようにとの指示が、王宮から入った。
昨日は、母(といわれる人)が見舞いに来たが、心配そうな表情を浮かべるその人にあまり暖かい感情はわかなかった。
自分は薄情な人間なんだろう。
自分は、この国の王子、ルーク=フォン=ケイリッヒだ。
学園の特別棟の寝室で、そのことを聞かされたが、疑いは持たなかった。
鏡に映る顔は自分の顔だと認識できるし、王族しか知らないような必要な知識が自分にあるのも把握している。
どうも、人間関係に関しての記憶だけがぼやけてしまっているようだ。
側近だといういかつい大男、エルマーが自分の立場と今の状況を説明してくれる。
この男は信用できそうだと直感的に分かった。
おそらく、この男だけなら、ここまで気づまりに感じることもなかっただろう。
王子の寝室に入ってこれるのはわずかな者だけだ。
側近と、部屋付きの専任メイド、そして、懇意にしているという、子爵令嬢。ミケーネだったか。
彼女は自分が以前から寝室への出入りを許可していたのだという。
「それで、僕は、君をかばってこの怪我を負ったということなんだね」
ベビーピンクの髪に蒼い瞳の、落ち着いた雰囲気のかわいらしい令嬢だ。
あまり自分の好みとも思えないが、妃として自分の横に並べたら、映えるだろう。
「はい、お助けいただきありがとうございました。
私、お礼がしたくて。ルーク様のお加減がよくなるまでお側でお仕えします。
なんでもお申し付けください」
「君は、僕の婚約者、ということでいいのかな?」
彼女は、悲しそうに顔を伏せた。
「いえ、私は違います。ルーク様の婚約者は、マレの皇女様です。」
国外にいるのか。なるほど。
しかし、マレとは意外だ。
政略結婚にしても、隣国のローランドや、アレイスの方がメリットが大きいだろうに。
「ふーん。そう、それで、婚約者ではなく、君がここにいるんだ」
「はい、ルーク様はいつも私をお側において下さっていました」
感覚的に気の置けない者とは、とても思えないのに、寝室まで許可していたということは、そういうことなのだろう。
自分は存外つまらない人間のようだ。
まあ、外にも出られず、息が詰まるような今。
そういう楽しみかたもあるかもしれない。
この令嬢で少し暇つぶしでもするのも、一興か。
ルークは、彼女に向き直った。
一瞬、頭の片隅に黒猫の姿がよぎったような気がした。
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何度会いに行っても門前払いで、バステトは、ルークの部屋どころか、伝言すらまともに受け取ってもらえない。
バステトはもう、自分から会いに行くのはやめることにした。
自分が入れてもらえないなら、相手に出てこさせればいい。
ルークを部屋から引っ張り出すために、バステトにできることが、ひとつだけあった。
それは、唯一、バステトが誇れること。
バステトは、部屋の奥にしまい込んだトランクの中から、マレから持参した曲刀を取り出した。
曲刀シャムシール。猫の如く俊敏に切り裂く剣。
そして、それを振るう際に纏う、バステトの装束。
久し振りに目にするそれは、懐かしくて、誇らしくて、バステトに勇気と自信を取り戻させてくれた。
そして、視線を向ける。
あそこが、決戦の舞台だ。
王子の寝室の窓から、その小さな円形劇場はとてもよく見える位置にある。
誰にも私を無視させない。
次回、挿絵が入ります。
知り合いの絵師さんに描いてもらいました。
全6話になりました。
続きは明日投稿します。
シャムシールの由来が猫なのは実話みたいです。




