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麗しきセザンの王都アストレーヴは島の最西端にあり、正八角形の市壁に囲まれた大都市である。市壁のまわりには天然の花畑が広がり、その彩り美しく、王都を据える色彩の台座のようで、訪れる者を魅了する。正八角形に十字をいれ4分割した東のふたつの区域が店や住居のある市街区、南西の区域が学校のある学区、北西の区域には王宮騎士の住居および宿舎、訓練所や厩、武器庫などのある騎士区がある。正八角形の中央に広場があり、この広場に面して北東の市街区側に闘技場が建つ。広場の西にある門を過ぎて大階段をのぼると王宮庭園が精彩を放ち、道なりにまっすぐ進んだ先の噴水の左手にキングの屋敷が、右手にはセザン国民であればだれでもはいれる王立図書館が、そして噴水の正面に王族の住まう宮殿がある。庭園にはアストレーヴの周辺から集められた様々な花が優雅に咲き、まさに花の名産地であるアストレーヴを象徴していた。
あくる日の朝、ハーシュメルトは物思いに耽りながら庭園を散歩していた。かれは噴水に腰掛け、ロスカの太陽神について考える。国宝とはどのようなものか、信仰心の強いロスカの宝なのだから神の像や絵かもしれない、と未知なるものへの好奇心に胸を高鳴らせていた。もし自分が発見したらいくらで売ってやろう、いや、大陸を明け渡せとでも言ってやろうか。
ハーシュメルトは図書館へ行き、手がかりになりそうな本を探そうと、大量の蔵書のなかを歩いた。かれは幼いころから両親の影響で各国の歴史や物語を様々読んでいたが、太陽神について目にしたことはなかった。ロスカに関する本は戦争のたびに燃やされ、ほとんど残っていなかったのだ。午後の用事の支度もあって早々にあきらめたハーシュメルトは、前から読もうと思っていたアクリの国の武士に関する本を手にとり、貸出し手続きを済ませ、屋敷へ戻ろうとした。
外へでるとひとりの少女がしゃがみこみ、花に手を添えていた。その姿に惹かれたハーシュメルトは立ち止まり、うつむく少女の横顔を見ていた。近づくと、少女の足元から蝶が飛ぶ。おどろいた少女は即座に立ち上がってハーシュメルトを見つめた。
「ごめん、逃がしてしまった」ハーシュメルトは空を舞う蝶を目で追い、持っていた本を少女に手渡す。「待って、いま捕まえるから」
少女は本を受け取りながら、「いえ、いいのです。蝶を見ていたわけでは……」と言って本を返した。
「そうなの?」ハーシュメルトは笑顔を見せてからたずねる。「えっと、きみはここでなにを?」
少女は体の前で手を下に組んで、ためらいがちに答える。「たまにここで、考え事を」
「そうなんだ。ぼくもよくこのあたり、散歩しながら考え事をするよ」
「あまり、お会いしませんでしたね」少女が微笑む。
「うん、もっと考え事の時間を増やすべきだった」ハーシュメルトがおどけて後悔してみせると少女は打ち解けるように笑った。
「きみは王宮に仕えているの?」薄紫色の上下に白い前掛けといった少女の着衣からかれは判断する。少女が肯定すると、「いま仕事中?」と聞き、昼まで休みだと知ると、「じゃあ、あとでぼくの部屋へお茶を持ってきてくれない? あそこの屋敷。そうだな、昼食前。ぼくに言われて来たって言えば、はいれるから。ね? 2人分」と言って誘った。
少女が承諾するとハーシュメルトは右手を差しだす。「きみの名前を知りたいんだけど、いいかな? ぼくはハーシュメルト。みんなハーシュって呼ぶけど」
「存じ上げております、ハーシュメルトさま。わたしはルディアーノと申します。ルディアーノ・セレヴィスです」ルディアーノはハーシュメルトの手に、自身の手を添えた。
それからハーシュメルトは急いで屋敷へ戻り、午後からアストレーヴに一番近いクーラントの町へ出かける準備にとりかかった。用意されていた豪華絢爛の衣装に着替え、肌にクリームを塗られ、化粧をされ、爪を整えられ、巻き髪は時間がかかるのでやめ、編んだ髪に花飾りをつけるだけにしてもらい、香水をふりかけ、耳飾りと指輪を身に着け、大きな羽飾りのついた赤い帽子を選んだところでハーシュメルトは自室から側近たちを追い出し、来るべきときにそなえ、ひとりおとなしく部屋中をうろついていた。
ハーシュメルトの自室は、3階建ての屋敷の正面から見た左端の2階にある。庭園からみえるかれの部屋の2つの大きな窓のあいだには、両開きのガラス戸付きの本棚があり、様々な国の本が並んでいる。壁際にある、両側面に花模様を浮き彫りした棚の上には葉模様が描かれたつややかな光沢のある花瓶が置いてあり、かならず花が飾られ、豪華なベッドのシーツの色はかれの好きな緑色、掛布団には金糸の刺繍が施されている。鏡台の引き出しには数々の宝飾品の一部、化粧道具、香水が収められており、必要に応じてここか闘技場の控室で身を整えるのだ。部屋の奥には衣装部屋があり、衣装棚や帽子掛け、全身鏡が壁一面を埋めている。
さて、あとは時を待つだけとなったハーシュメルトだが、しきりに窓から庭を覗いては気をもみ、近くにある白い円卓の席に着いては熟考し、と落ち着かないようすであった。円卓に置いてある、今朝方図書館から借りた本を開くが、視線は窓の外である。身近にいたわりには会ったことのない少女に、少年時代にはよくある一目ぼれをしただけであったが、かれにとっては新鮮な体験で、これほど胸を打つ衝撃はおそらくはじめて経験したのだ。
やがて扉をたたく音がするとハーシュメルトはルディアーノを招き入れ、用意されたカップをテーブルへ置き、3人掛けのソファに少女を座らせ、かれはその隣りへ腰かけた。
「お好みはございませんでしたか?」ルディアーノが茶を注ぎながら聞く。
「とくにないよ。なんでもいいんだ、ありがとう」
ハーシュメルトが茶を飲むあいだ、ルディアーノはかれの長い髪に編み込まれた色とりどりの花飾りと、華やかさをこしらえた顔面をじっとみていた。「午後から闘技場に行かれるのですか?」
「そう、クーラントのね。きょうは準決勝。ぼくはただ観戦席に座っているだけだけど」
かれがいれば会場は満席になる。これも仕事のうちなのだ。
ハーシュメルトはカップを置き、ルディアーノのあかるい黄金色の、綿のようにやわらかい髪にふれた。「女の子でここまで短いのはめずらしいね」
ルディアーノの前髪は額をおおっていたが、耳も首筋もあらわになるほどみじかかった。
「あこがれている人を真似ているんです」少女ははにかむ。
「わかった」ハーシュメルトが無邪気な笑顔をみせてから、「当てようか?」身を乗り出すと、ルディアーノは答えを聞きたがった。
「リーズ・ベルヴィル」かれが得意げに言うと、少女は可愛らしくうなずいた。
ハーシュメルトはソファの背もたれに肘をのせて体ごとルディアーノのほうをむき、少女のしぐさ表情ひとつ見逃さないよう努めた。一点のけがれもない潤う白い肌は彼女の純潔をしめし、つややかに燃える唇は彼女の宇宙をあらわし、たおやかな指は知性を隠し、繊細に輝く緑眼は真実を物語る。暗鬱とした世界を澄み渡らせる声音。うぶな森林を抜け出すにはまだ心もとない乙女の足先。
稀有な美を前にしてすっかり魅入っていると、ルディアーノは目をふせ下をむいてしまった。いささか不行儀であったかと我にかえったハーシュメルトは姿勢をなおして話をもどす。
「リーズを知ってるの?」
「マックスから聞いたことがあって」
「だれ?」
「王宮騎士です。闘技場の審判員をやっている、マクスベルト・コーマック」
「ああ、知ってる。いっときノーラルにいたね。知り合い?」
「父が王宮騎士なんです。小さいころ、母が亡くなってからも父とふたりで宿舎に住んでいたので、そのころからの知り合いです」
「そう、やっぱり。きみの名を聞いてもしやと思ったんだ。知ってるよ、セレヴィスさんのことは」
ルディアーノの父親は、4年前の襲撃事件の犠牲者のひとりだった。
「小さいころあこがれていました。父のような王宮騎士に。わたしは女だからなれないことはわかっていたけれど。それであるときリーズさんの話を聞いて、外見だけでも真似してみたくなって」
透きとおるような白い頬を赤らめ恥じらう少女の姿にハーシュメルトは心うばわれた。「そうだったんだね、よく似合っているよ。ねえ、こっちを見て。きみまったく化粧をしていないみたいだけど、これもリーズ・ベルヴィルの影響?」かれはそっと少女の頬に触れる。
「これは面倒なだけなんです」
ルディアーノがそう言って困った顔をすると、ハーシュメルトもつられて微笑んだ。
「ねえ、ルディアーノ。リーズを見たことはあるの?」
「いいえ。わたし、アストレーヴを出たことがないんです」
「そうなの? だったら今度ノーラルへ行こうよ。ぼくは一度リーズに会ったことがあるんだ。リーズの試合を観に行こう。いつがいいかな、休みをあわせるのが手間だな、そうだ、ルディアーノ、きみぼくに仕えない? いままでと仕事は同じようなものだと思うんだけど」
思い付きともとれる突然の提案にルディアーノは困惑した。
「もしかしてグランディオやテオジールも知り合い? かれらもここに住んでる」
「はい、父が亡くなってからたくさん助けてもらいました」
「じゃあ決まり。悪いようにはしないよ、話はつけておくから。ここの隣の部屋、いまは物置にしているけど、そこをきみの部屋にしよう。3日待って。3日のうちにきみがここに住めるようすべて終わらせておくから。終わったらきみを迎えにいく」ハーシュメルトはルディアーノの両手をしっかりと握り、「どうしても嫌だと言うのであれば無理強いはできないけれど、お願いだ、ルディアーノ。ぼくはきみを好きになってしまった」と告げた。
ルディアーノは呆気にとられてしばらく言葉を失っていたが、相手の熱意に押され、ちいさく頷いて、うつむきながらささやく。「では、おまかせします」なんとも可憐な声だった。
だが、ハーシュメルトの返事がなく、ルディアーノが顔をあげると、先ほどまでの満面の笑みがかれから消え、気をとられるようにある一点を見つめていた。少女の心に不安がよぎる。
「きみ、これ……」ハーシュメルトはルディアーノの髪にふれる。
ルディアーノはすぐさま鏡台へ走り、自身の姿を確認した。安心しつつあった変化が意地悪くここであらわれたのだ。案の定、髪の一部があわい水色に変化しており、動揺したルディアーノは懸命に髪をなでつける。
床に座り込む少女のもとへ駆け寄ったハーシュメルトは、やさしく肩に手をおいて、「いったいこれは。どうしたの、大丈夫?」戸惑いながらも声をかけた。
少女は涙をこらえ、「なんでもないんです、申し訳ございません」と言って髪を隠すように押さえていた。
「なんでもないって、だってきみ、突然色が」
「なんでもないんです。どうか、なにも聞かないでください」
ルディアーノは怯えているようだった。
「ああ、ルディアーノ、どうか泣かないで」ハーシュメルトは落ち着かせるため少女の背中をさすった。「わかった。きみがそう言うなら、ぼくは何も聞かない。だれにだって秘密はあるものさ、もちろんぼくにだって。ぼくは自分の家名をひとに教えるなとグランディオに言われている。家をつきとめられて家族に迷惑がかかるからだってね。グランディオも大変だったみたいだよ、知らない人間が家へ押し寄せてくるんだって。テオジールも言ってた。兄弟が危険な目にあうこともあるってね。ほら、キングだからってみんなに好かれてるわけじゃないから。といってもぼくは一人子だからその心配はないけれど。ね? ほら、色はもう元に戻ってるよ、安心して。でも、どこか具合が悪いというわけではないんだよね? 気分は悪くない?」
少女はかすかにうなずく。「ハーシュメルトさま、やっぱりわたし、ハーシュメルトさまにお仕えすることはできません」
「どうして? 理由をきかせて」かれは悲しみをあらわにした。
「ご迷惑をおかけしてしまうかもしれません。それにきっと、不愉快な思いをさせてしまいます」
「不愉快だなんて! きみを不愉快に思うはずがない。むしろきみがいない毎日が不愉快だ。ぼくが不愉快なのは」ハーシュメルトはここで言葉をきって、ばつが悪そうに、「もしかしてロスカが関係してる?」とたずねた。
「いいえ、まったく」ルディアーノは涙目で首を横にふる。
「それなら! なにも問題ないよ」ハーシュメルトはルディアーノをゆっくりと立たせ、「はなせる時がきたら話してくれればいいよ。それまでぼくはなにも聞かない。もしそれについて困ったことがあれば、いつだって相談してくれてかまわないし、それ以外のことでもなんでも。できる限りちからになるよ。まあ、できないことはすくないと思うけど」得意満面の笑顔をうかべた。
こうして屋敷に迎え入れるにあたってハーシュメルトは、ルディアーノの父親と親しかったグランディオから少女の過去を聞いた。父親を亡くした引取り手のない11歳の少女が、男ばかりの王宮騎士の共同宿舎で生活することを不憫に思い、グランディオが引き取って妻子のいる別の町の自邸へ住まわせようとしたことがあったが、見知らぬ土地にひとり行かせるのはかわいそうだとの声もあり、結局は断念したようだ。それならば、当時キングだったグランディオのこの屋敷で面倒をみようとしたが、やはり使用人も含め男しか住んでいない環境を憂慮していたところ、事情を知ったアーノルフィニ王女の好意の計らいで、王宮に仕えるようになったという。これはルディアーノ自身の「王都にいたい」という意向を汲むものでもあって、強く反対できずにいたのだが、グランディオとしてはセレヴィスの娘が使用人として働いていることを芳しくないと思っていたのだ。そのため、目が届く範囲のこの屋敷で生活させるほうが近くで用心でき、王宮の使用人でいるよりは望ましいかとグランディオは考え、また、ルディアーノには親しい同世代の友人がおらず、町へもあまりでかけず、ひとりで過ごすときが多かったゆえ、社交的なハーシュメルトと仲良くなって気晴らしができるならば、それは好ましかった。
それでもハーシュメルトの動機がどうも不純のようだったので、グランディオは念のため、「丁重に扱ってくださいね。わたしの娘のようなものですから」と釘をさした。




