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避けられないと覚悟はしていたが、その時機はみずから仕掛けたものであるほうが心構えが出来ている分、多少は安定して臨めるはずだった。あらかじめ用意しておいた言い訳はいざ言葉にしようとするとどうも安価に思われ、ハーシュメルトは潔く黙っていた。幸いこの暗闇がたがいの身を影にしているため、いくらか緊張は和らいだ。
グランディオは窓際の円卓に行きながら、少年にベッドに入るよう促した。ハーシュメルトはおとなしくもぐり込み、椅子と角灯を持ってくるグランディオを目で追っていた。
「理由を、聞かせてほしいのですが」椅子に座ると同時にグランディオは言った。
対面するグランディオの顔をろくに見れずにいるハーシュメルトは、シーツごと膝をかかえ、「帰りたくなった」と弱々しく答えた。
「残念です。わたしとしてはもう少しここに居てもらいたかったのですけれど」
グランディオの口調はいつも淡々としているため、真意を読みとれない。
「目的を果たすためだろ? ぼくは協力できない。1年前のぼくは間違っていたんだ。グランディオ、あのことがあったからぼくを国王にしようとしたの? ぼくが事件の被害者だと知ってたから、ここへ連れてきたの?」
「いいえ、知りませんでしたよ。我々が巡回でサンセベリアへ行ったとき、子どもたちからよく名前を呼ばれている子がいるなと気付いたことが、あなたを知るきっかけでしたから。そんな子どもたちを集めてサンセベリアの闘技場で試合をさせてみたとき、あなたは勝っても負けても女の子たちに騒がれる。このような、人気のある子どもをキングにさせてみたら闘技場が活気づくのではないかと思いました。それだけでしたよ、あなたをキングにさせた理由は。王都に連れて行くとき、許可をもらいにあなたの家でお父さまに会ったときに、はじめて知りました。事件の被害者であるスフォルツァ家のご子息であると」
ハーシュメルトはまだ頭を伏せていた。「元々ぼくは騎士になるつもりはなかったし、こんなに長くキングでいられるとも思っていなかった。国王だなんてもってのほかだよ。すぐに帰るつもりだったんだ。父さんをひとりにしたままなんて考えられない、それに」少年は独り言のように吐き出したあと。ためらいがちにつづけた。「ロスカは悪じゃない。グランディオは戦争をするつもりだろ? セザンも混乱する」
グランディオはなにも答えなかった。角灯の夢幻の灯火だけを見ているようで、いつかは消えゆく儚い生命に気を取られているようにも見えた。
「いつ、帰るつもりです?」
灯火から視線をずらしたグランディオと目が合うとハーシュメルトは下をむき、「明日かな」と呟いた。「はやくこの部屋を空けないと、リーズに悪いからね」
「急がなくてもいいと思いますよ。一度ノーラルへ戻って荷物を取ってくると言っていましたから」
「それでも、明日」と繰り返す。
「わかりました。今日はもうお休みください」
グランディオはそう言って、椅子を円卓のそばへ戻した。それからベッドの脇の角灯を取ったとき、顔が照らされないようハーシュメルトは咄嗟に光をかわした。グランディオはそのまますぐ扉へ移動した。
「グランディオ」少年は呼び止めた。グランディオの反応が予想していたよりも冷静だったことが、うしろめたさを膨張させていた。「ごめんなさい」暗闇から繊細に浮かびあがるその声はあまりにか細く、砕け散った星の破片が闇に溶けこむ寸前の吐息かと思わせた。
「気が変わったら言ってください。明日でなくても、ちゃんと送りますから」グランディオは部屋を出た。
思えばいつもそうだった。なにをしでかしてもグランディオは感情に左右される男ではなく、はじめはその甘さが楽であり、たしかに親しみはあったのだ。だが、今ではもうその情の気配のなさが、ハーシュメルトを惑わせる要因となっていた。目の前の王冠を取り損なっても冷静でいられるのは、結局のところ利用していた駒に効力がなくなり、執着する必要がないからだろう。かれはしばらく虚ろに考えていた。
夜陰をむなしくまわる思考に疲れ果て、このまま眠りにつこうとしたが、意識の底にある焦燥がそれを許さなかった。かれは身を起こして窓をあけ、星の瞬きから夜の深さを知る。
少年は屋敷を飛び出しアストレーヴの広場で足をとめた。このまま何事もなくサンセベリアへ帰れるのか、かれは不安に取りつかれていた。人類共通であるはずの罪が、この地においては赦されるなどあり得るのだろうか。いまこの場で稲妻に身を裂かれるでもいい、得体の知れぬ炎に焼き尽くされるでもいい、降臨したロスカの神の怒りの指先で、この魂を貫かれるでもいい。赦されるにはなにか、この咎に相当する災いが必要なはすである。かれが己の運命をたしかめるため、暗いアストレーヴの夜道を闇雲にさまようのは、これで4度目だった。
以前も同様であったが、途中でかれは自身の行動が滑稽で憐れと感じて、歩みを止めた。いままで幾度か試してもなにもなかったのだ、ここまでくればもう危険は去ったか、元々来るつもりもなかったのだ。ちがうとしても、このように自ら災いを出迎えるような行為は無意味でばかげている。真の罰とは、その者が至福の虜となっているその隙に、なんの前触れもなく現れるものだ。気を引き締めているときになど訪れない。もしくはほんとうに自分は赦されていて、怯える必要などなかったのかもしれない。他国で異常であろうとも、ここはセザンである。セザンに神がいない以上、神罰は下らない。それに歴代の国王が定めてきた法が絶対であり、その法に則って与えられた権利を行使したまでなのだから。とはいえ、害したのがセザン人であれば確実に非難されたであろう。大半の者が嫌うロスカ人だったから、ハーシュメルトはもてはやされたのだ。
あの忌まわしい剣はすでにアークに渡してある。もう二度と手にすることはないだろう。まじないだったのか、永遠に明らかにはならないだろうが、明らかになったところであの所行がなくなるわけでもない。これからはやはり大袈裟な罪滅ぼしなど考えず、アークの言うようにロスカのためになるおこないを心掛ければいいではないか。そう思いながらかれは、ここが屋敷から遠く離れた市街区の端であると確認し、大通りへの道を探した。
朝を待ち、ルディアーノに会い、約束を守り、サンセベリアへ帰る馬車のなかでこの夜の苦悩を打ち明けるのだ。曖昧な態度によってたいそう悲しませてしまったかもしれない。だがそれが最善と考えたからだと釈明しよう。災いが誤ってルディアーノにふりかかってはならなかったのだ、と。
こうして4度も災いは訪れなかった。これで一旦罪の意識にとらわれるのをやめてみるのはどうだろうか。思い返せばそのつもりだったではないか。今日、何事もなかったのだからそれを受け入れ、これからは自分の望む生活を慎ましく誠実に生きるのだ。ルディアーノなら許してくれるだろう。きわめて華やかだったころに出会い、それを失ったいまも、彼女はそばにいたいと言ってくれた。これほどひたむきな少女はほかにいるだろうか? きっと内気なルディアーノの世界には、ぼくしかいないのだ。母親がエルトリア人という特殊な秘密を打ち明けたのは唯一、ぼくだけだと言っていたから。
これ以上ルディアーノに寂しい思いをさせてはいけない。彼女ほど清らかな人間に、災いはどう間違ってもふりかからないだろう。精神が弱っているがゆえの思い過ごしであった。ルディアーノをサンセベリアへ連れて行き、時にリクトワールへ旅立つのだ。あそこには劇場や美術館もある。王都にいるよりルディアーノにとってすばらしい世界ではないか!
朝を待たずに起こしてしまおうか。馬車での告白をこの夜のうちにしてしまうため、朝まで眠らず語らうのだ。明日、目覚めてからにしてくれと言われても、眠るきみから離れるわけにはいかない。ぼくだってきみのそばにいたいのだ。
ハーシュメルトは大通りにでると、まっすぐ屋敷を目指した。遠くから敷石の上をゆっくり移動する馬車の音が聞こえる。こんな夜中に急病人がでたのだろうか。行き先は医師であるウォールフォード卿のいる家かもしれない。マリーヌの顔がちらりと浮かんだが、ハーシュメルトは振りきるように夜道を駆けた。




