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戴冠式当日の昼前、澄んだ空から暖かい光がふるアストレーヴの大通りでは、多くの花で飾られた屋根のない馬車に乗る新国王の姿をいちはやく見ようと、大勢のひとがあつまっていた。
赤に金の刺繍が施された裾の長い衣装に身を包んだハーシュメルトは、人びとの呼びかけに丁寧に応え、手を振っていた。
大通りを往復し、広場へ着いたハーシュメルトはこのあと王宮へはいる。重厚な両開きの扉の先を進み、王座までの直線上に一定の間隔で配置された7つの大きな金の杯型の器からひとつずつ取った指輪、手袋、首飾りを身に着けて、マントをまとい、王冠を頭上に乗せ、王笏を左手に、宝剣を右手に持って階段をあがる。王座の両脇に置かれた、上部が輪状になっている金の細い台座にそれぞれ王笏と宝剣を垂直にかけてから「歴代の王たちに己が姿を見せる」という意味で、王座と対面してひざまずく。王座にむかってセザンの繁栄、国民の安寧を誓い、王笏だけを取ってから、王座の間をあとにする。この間、国王以外の人間は王座の間に入れず、儀式は国王のみで行われる。神の介入しないセザンでは、国王があらゆるものの最上とする考えに基づいて決められた作法である。
儀礼的に用を終えたハーシュメルトは昼過ぎに王宮を出て、広場へおりる大階段の踊り場の、演説のために用意された壇上に立ち、広場から遠くの通りまで群がる人びとを見下ろした。王都へ来たばかりのときには誰の顔も知らなかったが、それから約2年半が経ち、多くのひとと知り合えた。通りを埋め尽くすのは友人たちをはじめ、闘技場でかならず声をかけてくれる応援者、ベリンダを含む行きつけの店の店主たち、会食の席で知り合った有力貴族たち、どこで会ったかは忘れたが顔は覚えているアストレーヴの住人、そしてクーラントからの見物人もいた。
ここにいる多くの人びとが、身勝手な少年の本心を知らずにセザンの未来をたくし、ハーシュメルトを国王に選んだ。王都出身でもない未成年に国を任せるなど、それこそかれらのほうが勝手であるとハーシュメルトはなげやりな心情でいたが、いざ壇上に立ち、慣れ親しんだ街並みと左手に見える闘技場を背景に並ぶ人びとを見ていると、懐旧の情もはたらいて、思うように言葉がでなかった。
ハーシュメルトは青天を見上げ、深い息とともに迷いを吐き、自らへの決行の合図として左手の王笏を足元でひとつ突き、一歩前へでた。
「今日、ぼくはセザンの国王となりました」
観衆のざわめきがいっせいにやむ。
「数年前、なにもわからずぼくはこのアストレーヴへ来ました。未熟なぼくがこれまでキングとしてその役割を務められたのは、みんなの応援があったからです。そのあたたかい声援は、ぼくの支えとなっていました。いまぼくがこの壇上にいるのは、みんなの支えがあって成し遂げられた、闘技場での大きな功績が認められたからだと思っています」
階段にあがれぬよう壁のように警護する王宮騎士たちのむこうで、人びとは少年を見上げ、若い国王の言葉に聞き入っている。
「セザンのために尽くし、セザンの繁栄を約束するセザンの国王には、心身ともに潔白であり、その歩んだ道に一点のけがれもない徳の高さが求められ、じっさいそう心掛けるべきだとぼくは思います。なので、ぼくは今日限りで国王をやめます」
できるだけ遠くのひとにも伝わるよう声を張り上げるハーシュメルトは、背後に立つグランディオを意識しないようつとめた。
観衆はおどろきのあまり声を失ってかたまり、聞き間違いではないかと周囲の者と話し合っていた。なかには冗談だと思って笑っている者もいる。
ハーシュメルトはさらに声を張り上げ、再度自身の決意を繰り返した。「ぼくは国王にはなりません。もう一度言いますが、ぼくは本日をもって国王の立場から退きます。このセザンの王冠はぼくには重すぎます」
王冠を脱ぎ、そっと足元へ置く。少年は自身の発言が引き起こしたであろう背後の側近たちの変化をたしかめる余裕はなかった。のちに説明する必要はあっても、いまは眼前の人びとに集中せねばならない。
ハーシュメルトが王冠をはずした動作で、かすかに声が届く遠くの者たちにも壇上の少年の真意が伝わり混乱し、集団の前列にいる者たちは騎士を押しのけ少年に詰め寄ろうと躍起となっていた。群衆を押し戻そうとする騎士たちの背中を見ながらハーシュメルトは鎮静を待ったが、説明を求める声はふくらむ一方であった。
「しずかにしてください、みなさん、ぼくの話を聞いて! みなさんが騒いだってぼくの考えは変わりません。今から説明するんです、うるさくして聞き漏らしたって、ぼくは知りません。聞こえなくたってぼくは勝手に喋ります! ぼくが国王にならないのは、その資格がないからです。この世界には、ひとを殺めた人間が一国の王となれる国はどこにもありません。ぼくは周知のとおり、1年前、あの闘技場でロスカ人の命を奪いました」
少年が喋り続けていても騒ぎはなかなかおさまらなかったが、それでも宣言通り話をとめる気配がないので、かれらは聞き漏らすまいと次第にしずかになっていった。
「あれが闘技場でのことでなければ、ぼくは間違いなく罪人となります。セザンの法に守られ、そして傷つけた者がロスカ人だからというだけの理由で、ぼくは称賛されてきました。ぼくはその賛美を受け止めきれなくなりました。法が絶対だという常識があったとしても、殺人が罪にならないというのは異常だと思います。けれどぼくがそう思ったところで現実はぼくを赦し、擁護さえされます。ですが、納得のいかない、ひとの意見に従いたくありません。罪の意識がある以上、ぼくは自らを罪人とし、自らを律します。こういう理由でぼくは国王にはなれません。罪人は国王になれない、これは古くから定められているセザンの法のひとつです。ひとを殺せば罪人となる、それがセザン人であろうとロスカ人であろうと同じことです。かつてぼくは個人的な理由からロスカに仕返しをするため、闘技場の規則を変えました。それによる行為が原因でぼくはセザンの希望といわれ、期待され、いまここにいます。けれどあのおこないは大きな誤りであったといまは思っています。1年前のぼくの心には憎しみがありましたが、もうその心はありません。いまのぼくにはロスカに反する精神はないのです。ぼくは今日限りで国王ではなくなりますが、いまこの場で国王として言いたいのは、ロスカとあらそわないでほしいということです。みなさんのなかには5年前に起きた襲撃事件が、セザンに対するロスカの宣戦布告と捉えているひとも多くいるでしょうが、それは違います」
ハーシュメルトはここでマントの中に手を入れ、腰帯にさしておいた書簡を取り出した。先日サンセベリアから届けられた、ジークたちの荷袋にあったものだ。
「これはロスカの皇帝からの書状です。この書状には、5年前アーノルフィニ国王が出した『事件に対してのロスカの真意を問う書状』を受け取ってすぐ、セザンへ送ったものと同じことが書かれています。襲撃はロスカの意図するものではなく、内乱に巻き込んでしまい、誰ひとりとして望まないもっとも不幸で忌まわしい事件となってしまったこと、そしてそれを阻止できなかったことへの謝罪が書かれています。けっしてロスカの総意でセザン人のみを狙ったものではない、とロスカ皇帝は伝えたかったのです。5年前、ロスカ皇帝はアーノルフィニ国王に返書をちゃんと送っていたのです。けれど、ロスカ皇帝の元に、セザンからの返事がなかった。怒りによる拒否か、配送事故か、ロスカ皇帝は様々なことを危惧し、それから2度セザンへ書状を出したけれど、一向にセザンから返書は届かなかった。ですが、書状はロスカ国内の事故で紛失し、セザンへ届いてすらなかったと、あとになってわかったのです。このままでは誤解がふくらみ、やがて大きな混乱となることを心配したロスカ皇帝は、自分の子を使者として3通目となる書状を持たせ、セザンへ送りました。それが1年前のことです。ぼくが手に持っているこの書状は、使者としてセザンを訪れたジーク皇子から受け取ったものです。この書状ひとつでみなさんの考えが急に変わるとは思いません、けれど、ロスカは信義に反していませんでした。あの事件を起こしたロスカの一部の国賊に惑わされ、セザンが武器をとっていれば、いまここにいるみなさんにだって、約束された平和はないのです! 非難に耐え、セザンの安寧を第一に考え、争いを回避したアーノルフィニ国王の判断は正しかった! ぼくはそう断言します!」
ハーシュメルトがロスカの名をだしたあたりから、観衆を押しとどめている王宮騎士たちも後ろをふりかえり、少年の言動を断続的に確認していた。そのうちのひとりがハーシュメルトの断言で起こった人びとの罵声に紛れ、不同意の態度を見せたが、すぐに改め、何事もなかったかのように警護に戻った。
少年の背後で剣を抜く音が聞こえた気もするが、気のせいか。しかし先ほどの騎士の動きを見る限り、少年の背後にいる側近のだれかが騎士を牽制したと考えるほうが妥当であろう。ハーシュメルトは当初から恐れていたが、突然の寝返りともとれる自身の言動によって激高したグランディオに、この演説のさなか背後から刺されてしまうのではないかと気が気でなかった。それに加え、次第におおきくなる人びとの反発の声に、立っているのもおぼつかないほど心が張り詰め、逃げてしまいたかったが、もうすでにこの場にいるのだから主張は出し切らねばならない。
ハーシュメルトは書簡をしまい、右手をたかく突きだし、「まだ終わっていません。最後まで聞いてください」と群衆の騒音に対抗し、続ける。「ぼくは1年前、かれらがセザンへ来たとき、いっさいの事情を聞かず、己の憎悪にのみしたがってしまった。そのおろかな行為はこのセザンを戦禍に陥れかねない浅はかな行為であり、間違いであったと認めます。なので、今日限りではありますが、国王としてぼくはアーノルフィニ国王の志を継承し、ウォールレストの教会の存続を認め、戦争に巻き込まれ行き場のないロスカ人をこのセザンへ受け入れます。そしていまもアストレーヴにいるジーク皇子は時期をみてロスカへ送り届けます。今後このセザンにおいて、罪なきロスカ人への加害行為は禁じます。ひとを傷つけた場合、それがセザン人でもロスカ人でも同様に裁きます」
人びとの怒りは頂点に達し、ついに警護する騎士たちを押しのけ階段をあがり、ハーシュメルトのいる踊り場近くまで詰めかけた。側近たちはすばやく移動し、群衆が本日限定の国王に触れないよう押しとどめた。
側近たちの壁越しに、人びとはハーシュメルトへ絶え間なく詰問した。なぜ突然ロスカの味方をするのか、書状も含め騙されているのではないか、正気か、我々を裏切るつもりか、アーノルフィニに懐柔させられたのか、としまいには王宮騎士たちも疑問を解消するべく群衆に紛れてハーシュメルトを問い質していた。
ハーシュメルトはふと右を向き、踊り場の端にいるアークを見た。体の弱いアークのために用意された椅子に座るかれは両手で頭を抱えていて、表情からかれの心情を推し量れないが、もしかしたらこの悲惨な状況をおもしろがって笑いをこらえているのかもしれない。アークの周囲にいる側近たちは、群衆のいきおいでアークに危害が及ばぬよう目を光らせていた。
視線を戻すとグランディオの背中が目に入ったが、ハーシュメルトは意図して目を逸らし、まだ言い終えていない主張のため顔を上げた。
「ぼくの手元には一室埋め尽くすほどのたくさんのお金があります。ほとんど闘技会で得たお金です。この半分は国へ納めるつもりです。残りの半分はぼくの自由に使わせてください。この半分のお金はジーク皇子に渡します……静かにしてください! 話を聞いて! 謝罪金ではありません! かれに渡すお金で、現在ロスカで苦しむセザン人奴隷を解放してもらいます。かれはすでに承諾してくれました。知らないひともいるかもしれませんが、大昔、ロスカ人とのあらそいでぼくたちの祖先がこの島へ来たときに取り残されたセザン人は、その後捕虜となり、いまもロスカで苦しみのなか生きています。ぼくはかれらを救いたい。同じセザン人として迎え入れたいのです」
人びとの怒号が衰えないなか、ハーシュメルトは言い切った。前列にいる人間は未だ険しい顔で少年を責め立てていたが、他の一部の人間は心配そうにハーシュメルトの声に耳を傾けていた。
「それがぼくの国王としての最後の仕事です」ハーシュメルトは置いていた王冠を取り、脇に抱えた。「次の国王はぼくが指名します。アーノルフィニ国王の意思を継ぎ、ぼくの意見にも賛同してくれているアーク・アーノルフィニにこの王冠をたくします。みなさん、最後まで聞いてくださってありがとうございました。ぼくの話はこれで終わりです。ぼくはもうアストレーヴを去りますが、ここでの生活はほんとうにかけがえのない貴重なものでした。ありがとう! それじゃあ、さようなら!」
一方的に話をきりあげたハーシュメルトはわき目もふらずに壇上をおり、アークのところへ行くと、青ざめた顔で動揺するかれに王笏を渡し、王冠を頭に乗せ、マントを体に巻き付けてから、「丸投げするけどよろしくね」とだけ伝え、徐々に迫る群衆には無言を貫き、階段をかけのぼって行った。
群衆はハーシュメルトを追いかけようとしたが、騎士らに阻まれ、踊り場の手前で足止めされた。どうにかして鬱憤を晴らしたかったかれらは次に、王冠を託されたアークへ、ハーシュメルトの無責任な態度への怒りをぶつけていた。当然、その文句のなかにはアーノルフィニへの苦情もあり、アークの身に及ぶ危険を案じたロドルフたち側近は、早々にアークを王宮へ避難させるべく尽力した。
階段をのぼりきり、下を確認するころには踊り場から広場まで隙間なく群衆は埋まり、そのはげしい声を聞きながらアークは、「無理だよ、こんなの」と、いつかは自分で混乱を鎮めなければならない重責の不安を、ロドルフに呟いていた。




