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2日後、王都に戻ったハーシュメルトは急いで馬車を降り、一刻もはやく冷えた体を温めるため、屋敷への大階段を駆け上っていると、上方に人影が見えた。見上げると、そこにはおどろいたようすで立ちすくむレイミーの姿があった。
「ハーシュ!」レイミーは、生き別れた家族との偶然の再会によろこびが爆発したといった勢いで階段を駆け下り、踊り場にいるハーシュメルトにしがみついた。「いままでどこにいたの? あれからちっとも見かけないから、みんなで心配してたの! もしかして、叱られて監禁されてるのかもって、確かめに来たの!」
レイミーの大袈裟な心配ぶりに仰天している側近たちの顔に、ハーシュメルトは思わず吹きだした。
「ハーシュは無事だってみんなに知らせなくちゃ! それに、話があるの」
「心配してくれてありがとう、レイミー。それなら中で話をしよう。寒くて仕方ないよ」陽を隠す曇り空を見上げ、ハーシュメルトは屋敷を指した。
「うん、でも」レイミーは気掛かりがあるといった眼差しで、近くのおとなたちを見ている。「わたしの家に来て、ハーシュ」
側近たちに聞かれたくない話なのだとかれは思い、「いいよ」と答え、レイミーに上着の袖を引っ張られながら大階段をおりた。
「ぼくの部屋まで入ってきやしないよ」道中うしろから付いてくる側近を振り返っては警戒しているレイミーに、ハーシュメルトが伝える。
「絶対に聞かれたくないの。ねえ、あのひと、わたしの家にまではいってこないでしょう?」
「門の外で待ってると思うよ」ハーシュメルトはそう答えた。
ドルレアン邸に着くと中から騒がしい声が聞こえた。あわてて玄関の扉を開けるレイミーのあとに続いてハーシュメルトも家の中に入り、声のする居間へ駆けつけると、いきり立つヴァンクール・ドルレアンと目が合った。
「ハーシュメルトさま! これは家庭の問題です! 口をださないで頂きたい!」
「いきなりなんだ! ぼくはレイミーと話をしに来ただけだ!」
居間にはヴァンクールとその妻カミラ、おさないふたりの子ども、そしてドルレアン夫人がおり、夫婦喧嘩を夫人が仲裁にはいっている最中のようだった。
「あなたはいつもそう! 不躾にいきなりひとに怒鳴らないでください!」カミラは夫に食ってかかった。
「レイミーのお母さん、お邪魔します。でもぼくは帰ります。レイミー、また明日くるよ」ハーシュメルトはそう言って玄関へむかおうとした。
「待って、ハーシュメルトさん、息子が怖くて仕方ないのよ。外にルードベックさんはいらっしゃるかしら? もうあの方に息子をふん捕まえてもらって牢屋にでもどこにでも投げ入れてもらえるよう頼みたいわ。ねえ、ルードベックさん……それかクロ―ヴィスさんでもいいわ。あの方たちなら息子も強くはでられないはすだから。夫も地下に籠りっぱなしで、女ばかりであれの相手はもう疲れますの。とにかく、せっかくいらしたんだから、もう少しここにいてくださらない? レイミー、2階に行ってお話してらっしゃい。あとでお茶を持って行かせるから」ドルレアン夫人は少年を帰さぬようしっかりと腕を掴んで、外にいるであろう王宮騎士に助けを求められるかと、時おり窓を覗いていた。
「嫌よ、ママ。わたしの部屋の暖炉、火をつけてないでしょう? あっちの奥で喋るわ。来て、ハーシュ、兄さんなんか無視よ無視」レイミーは、広い居間の奥にある暖炉近くのソファまでハーシュメルトを連れて行った。
遮る壁もない同じ空間にいては、部屋の隅に来たくらいでかれらの声が届かなくなるわけではない。ハーシュメルトはヴァンクールを横目に、レイミーの隣へ座った。ものすごく居心地は悪いが、部屋の暖かさだけは唯一の救いだった。夫婦はこの家の来客にお構いなしに、言い合いを再開していた。争いの原因はあのロスカ人だった。ヴァンクールの独断に最初から嫌悪していた妻カミラの我慢がついに限界に達したのだ。子どもたちは慣れているのか気にしていないのか、ふたりで居間を走り回って遊んでいた。
「レイミー、話があるって、このこと?」ハーシュメルトは息巻くレイミーの兄を指す。
「ちがうわ。アランのことよ」レイミーはハーシュメルトの父親に関する噂を吹聴していた少年の名をだした。「あんたがどこかに行ってるときに、アランの家に警告状が届いたみたいなの。あの後アランの姿も見えなくなって色々探ったの。そしたらやっぱりあの騒ぎが原因で、いまあいつ自宅で謹慎させられているのよ。だからてっきりハーシュも外に出してもらえないのかもって思っちゃったの」
「警告状? あの騒ぎが原因って、それは確かなの?」
「確かよ。アランの妹から聞きだしたの。最近友だちになったの、わたしたち、気が合うわ。たがいに兄の悪口を言ってるの」妻に責め立てられる兄を睨みつけながらレイミーが言う。「やっぱりハーシュは知らないのね。なんでもその警告状を出したのって、グランディオさんみたいよ。なんで国王さまじゃなくキングのほうの人間からそれが出るのか、みんな不安にしてたわ。闘技場の中での騒ぎじゃなかったのに。ねえ、ハーシュ」
レイミーが言いかけたとき、カミラがハーシュメルトの膝元へ飛んできた。
「ハーシュメルトさま、一体いつまであの男を野放しにしておくつもりですか?」
あの男とはどの男か、一瞬判断がつかなかったが、カミラは明らかにヴァンクールを指していた。
「ロスカ人を保護するなんて、反逆行為でしょう? なぜあの男は騎士の称号も剥奪されず、なんの咎めも受けないのです! 反逆罪は死刑のはずです、はやくあの者の首をちょん切ってくださいませんこと?」
カミラの物騒な訴えに夫人は手を震わせ、レイミーも目を丸くし固まっていた。
「よくそんなことを口にだして言えるな、本心か! 非道な人間め! おれのどの行動が反逆にあたるというのだ! おれは規則の話をしているのではない。ひとの根底にある心の話をしている。なぜわからない、エリオスが何をした? おまえに何かしたか? 食事の席も別にし、できるだけ日中は外出、ただ寝泊まりしているだけではないか! おまえの寝室にはいったことがあるか? すこしでもおまえの体に触れたか? 話かけられたことすらないだろう? 気をつかい、なるべく顔を合わさぬようにしている。かれは初め、体を休めるのは馬小屋で十分だと言った。おまえはじゃあそうしてくれと言うのか?」ヴァンクールは少年の膝元に座るカミラの傍へ行き、片膝をついて視線を合わせた。「エリオスの境遇を理解できないわけじゃないだろう。おれはそこまで辛辣な態度をとれるおまえが理解できない。ひとを助ける行為とは、そんなに愚かなことか? 理由なき排除がおまえの正義か? 改めるべきはおまえのほうだと思うがどうか」
カミラは夫を睨みつけ、その場を離れた。幼い子どもたちはアストレーヴの人気者にようやく気付き、はしゃぎながらハーシュメルトの膝の上で戯れていた。
「あなたはなにもわかっていない。何も知らないまま見知らぬ男と生活をしろと言えるあなたのほうが理解できない。ご自分の正義を貫くために家族を犠牲にするのね」エリオスや夫と同じ世代のカミラは怒りを抑えるように言う。
「説明しただろう! 一度良いと言ったものを、いつまで文句を言うつもりだ!」ヴァンクールは立ち上がり、カミラに近づく。
「良い、なんて一言も言ってないわ! 急なことだったし、仕方ないと言ったの。こんなに長くなるなんてわかってたら断ってたわ!」
夫婦喧嘩が再発するとハーシュメルトの膝の上に座っているヴァンクールの4歳の娘が、「パパとママが喧嘩したときはね、こうすればいいの」と言って自分の両耳を手でおさえた。
それに倣ってハーシュメルトとレイミーも耳を塞いだ。
しばらく経って、結局解決しないままカミラは子どもたちを連れドルレアン邸を去り、残ったヴァンクールはテーブル席に座り、母親に諭されていた。
その様子を見てレイミーが、「離婚だわ」と険しい顔で言った。
静かになると2階から扉の閉まる音がして、「もう帰った?」と言いながらレイミーの弟が居間におりてきた。
「いるわよそこに」
レイミーがテーブル席の兄を指すと弟は、「なんだ」と吐き捨てるようにつぶやいた。
「ねえレイミー、ぼくの古銭のはいった箱、どこへやったか知らない?」弟が姉のいるソファに顔を向けると、「あれ、お客さん? こんにちは」と、ぼんやり見えるひとの姿にあいさつした。
「ハーシュメルトさまよ」
含みをもたせてレイミーが教えると弟は、「えっ」と発し、一切の動きが止まった。
口を開け、凝視したまま動かない少年にハーシュメルトは、「はじめまして、こんにちは」と返す。
「あの、ハーシュメルトさま」レイミーの弟はその場で恥ずかしそうにまごつきながら。「近くでお顔を見てもいいですか?」と言った。
「いいよ、こっちへおいでよ」
そう答えるとかれはうれしそうに駆け寄って、ハーシュメルトの顔を眉をひそめて目を凝らし、はたから見れば睨みつけるような顔つきでじっくりと見た。満足するとかれは姉とハーシュメルトのあいだに座り、難しい顔で思索に耽っていた。
「やっぱりぼくの想像通りだったよレイミー」弟が言う。「ハーシュメルトさま、ぼくちょっと目が悪くて、闘技場で拝見したことは何度もあるんですけど、顔まではっきりと見られなかったんです。レイミーがハーシュメルトさまの顔を教えてくれましたけど、ぼくは絶対に違うと思いました。だって、これといって特徴のない普通のあっさりとした顔だったら、あんなに女のひとたちに騒がれるはずがないもの。レイミーは嘘をついたか、感覚がおかしいかのどっちかだ」
「ぼくのことをそんなふうに見ていたのか、レイミー」ハーシュメルトはわらい出し、白を切るレイミーに言った。
「ハーシュメルトさま、ぼくはお願いがあります」
「お願い? ぼくに?」
「はい。ハーシュメルトさまは、もうすぐ国王さまになるんでしょう? そうしたら、ウォールレストの教会を取り壊してください。あれがすべての元凶です。あの教会があるからロスカ人はセザンへ来るし、セザンも強く追い返せない。アーノルフィニのひとは多分ロスカの血がはいっているから、最後までロスカの味方をします。いまのままでは絶対になにも変わりません。まずは、セザンにあるロスカの象徴を廃絶しないことには、いつまで経ってもセザンからロスカ人はいなくなりません。ぼくはまだ子どもだから投票ができないけれど、ハーシュメルトさまを支持します。応援しています」
「できる限り努力するよ、ありがとう」ハーシュメルトは少年と固い握手をかわした。
「フィス、あんたの古銭入れ、地下にあったわよ。いまパパもいるから探してらっしゃいよ」
照れ笑いしている弟をレイミーが促すと、かれは満足げに地下へ行った。
「信者よ信者。あんたの信者なの」
「ほんとに11歳?」
「気にしないで。パパが言ってるのを真似してるだけだから」レイミーはため息をつく。「何を話してたんだかすっかり忘れちゃったわ。また今度にしましょ」
「ハーシュメルトさま、お待ちください!」
レイミーたちが居間を出るとき、ヴァンクールが突然席を立ったがハーシュメルトは、「家庭の問題に口を出すつもりはないよ。レイミーのお母さん、お邪魔しました。大変なときにごめんなさい。それではまた」と言い、速やかにドルレアン邸をあとにした。
さて、急な仕事を押し付けられ、ドルレアン邸前で寒さに凍えるあわれな側近、アーヴィン・モーントは剣の才能に優れ、17歳で王宮騎士となった20歳の若者である。16歳のころから闘技会に出続け、仮徽章は9枚持っていたが、あるときグランディオに声をかけられ現在の地位についた。かれは闘技場の頂点を目指していたようだが、いつその座をおろされるかもしれない不安定なキングよりも、安定した騎士になってもらいたかった母親の説得もあって、決意した。王宮騎士となってはじめての配属先が約束通りキングの側近だったことに、母親は涙を流して喜んでくれたのだった。
当初アーヴィンは自分より年下のキングとはどんな奴だと敵対心を燃やしていたが、いざ会ってみるとかわいげのある迂闊者で敵意が折れ、すっかり仲良くなってしまったのだ。それでもアーヴィンは9枚の仮徽章を、キングの屋敷の自室のベッドに並べて眺めていた夜もあったのだが、グランディオの意図を知って、9枚すべてを換金し、闘技場の王座に座る望みを捨てたのだ。
アーヴィンの過去をハーシュメルトが知る由もない。が、アーヴィンは少年の過去を知っている。計り知れない悲しみをひと知れず抱えながら務めを果たしているハーシュメルトを見ていれば、少年に対する猜疑心などというものは生まれなかった。
外ではもう雪がちらついている。ドルレアン邸を出たハーシュメルトは門の外に立つアーヴィンに声をかけ、ねぎらいの手を肩に置き、いまの少年には必要のない防寒用の襟巻をかけてやり、ようやく屋敷へ帰宅した。




