7-3
朝早く目覚めたハーシュメルトはルディアーノが起こしに来る前に着替えを済ませ、部屋で待っていた。ルディアーノが来るとかれは茶を飲むため窓際の円卓へ移動した。茶を注いでいると、盆にのせていた包みをルディアーノから渡された。かれはおおいによろこび、包みを開けると香水がはいっていた。
「どれにしようか迷っているとき、わたしの好きな香りを見つけたのです。たまにでいいから、ハーシュさまにはそれをつけてほしい」ルディアーノは言った。
かれは香水の瓶を鼻に近づけてから、「毎日これにする」と言ってルディアーノの手をとった。
少女はその手を丁寧にはずす。「ハーシュさま、わたしはもう戻ります」
「まだ支度が残っているの?」名残惜しそうに聞く。
「きょうはいつ誰がお見えになるかわかりませんから、なるべくふたりでいるところを見られたくないのです」
「どのみち来客は午後だよ。まだ時間はある。もうすこし一緒にいたい」
ハーシュメルトはそう言って円卓の席に座らせようとしたが、ルディアーノは庭から自分たちの姿が見えやしないかと、しきりに窓の外を覗いている。
「ルディ、きみの気持をたしかめたい」
「ハーシュさま、そのお話はまたいずれ。きょうはこれからハーシュさまの御支度がありますでしょう?」
ルディアーノは相手の手から逃れ、部屋をあとにした。
かれは落胆してため息をつき、ルディアーノからもらった香水の瓶の蓋をあけ、手首に数滴たらし、首すじにも香りをつけた。この香水を自分で買ったかひとから貰ったかで持っていたかどうか気になったハーシュメルトは鏡台の引き出しを開けてみたが、整然と並ぶ数十個の瓶の中に同じ形のものはなかった。かれは引き出しを閉め、ルディアーノの香水に口づけをして鏡台に置き、茶を一気に飲み干してから部屋をでた。ほのかに甘く、温かみのある匂いが部屋に残った。
午後になると次々に客人が訪れ、1階の大広間へ案内された。ハーシュメルトの屋敷の客室に泊まっていたリーズは、朝から落ち着きなく屋敷内を歩き回っていたが、きょうの主役の姿をようやくみつけると、すぐに駆け寄った。
「ハーシュ! なんか、緊張してきちゃった。来るのはあの子たちだけじゃないのね! それもそうか、でも偉そうなひとたちが沢山……誕生会ってなにするの?」
「よく似合ってるじゃないか! よかった。もしかしたら着てくれないんじゃないかと思っていたよ」ハーシュメルトは一通り眺めてから、リーズの赤い衣装を称賛した。
「そんなことより社交界の礼儀? みたいなのがあったら教えてよ。先に聞いておけばよかった」リーズはうろたえている。
「きみもそんなふうに慌てたりするんだね。心配いらない、みんな食べて喋るだけの場だから。特別なことはなにもない。レイミーたちもそろそろ来るだろうから、一緒にいればいいよ。そうだ、セシルがきみに会いたがっていた。あとで紹介するよ。ああ、いけない、すこし待ってて」と言ってハーシュメルトは広間へ案内されてきた貴族のほうへ行き、あいさつを済ませてから再びリーズのいる廊下へもどった。
「セシルってだれ?」
リーズがたずねた瞬間、背後から若者の声がした。
「やあ! ハーシュ、おめでとう! まったく光栄だ! 楽士の入室を許可してくれるとは光栄だ。ぼくは心からよろこんでいる。ただ本番はこれからだ、気に入ってもらえるといいのだが」
「いまお客様とお話中よ。割って入っては失礼よ。ごめんなさい、ハーシュ」若者についてきた娘がたしなめる。
「いや、いいんだオリガ。ちょうどよかった。きみの話をしていたところだ、セシル」ハーシュメルトはリーズをひきよせて、「彼女がきみの会いたがっていたリーズ・ベルヴィルだ」と紹介してからリーズにこう伝えた。「セシルはセザンの王子だ。でも気張る必要はない。かれは気楽な人間だ」
セシルの表情はさらに明るくなり、リーズに手を差し出した。「きみが! 会えてうれしいよ、リーズ。きみはノーラルの出身だったね、ぜひ話を聞かせてくれないか? ぼくはまだノーラルへ行ったことがないんだ」
リーズは慎重に王子の手を取って、「わたしも、そんなふうに言われてうれしいです。わたしの話でよければいつでも」できるだけ愛想よく笑ってみせたあと、オリガとも握手をした。
その後レイミーたちと同じテーブルについたリーズは、大広間の檀上に立つハーシュメルトの、招待客にむけてのあいさつに行儀よく耳を傾けていた。が、そのうちに飽きてしまった。
大広間には白い布がかけられた6人掛けの円テーブルがいくつも置いてあり、その上の中央には花が飾られ、数々の料理に彩りを添えていた。この場にいる客人は主に王都の貴族、側近たちの親族、婚約者の親族、付き合いのある各地の商人、そしてハーシュメルトの友人たちである。かれらは時おり杯に口をつけ、拍手をしたり、となりの席の者と会話をしていた。ある貴族の席ではその夫人たちがテーブルの花について、趣味がいいだの、その花によって思い出す過去の男の話などを語り合っている。後方の席にいる商人たちはそれぞれ礼儀正しく談笑しているが、ハーシュメルトの最新の趣味嗜好に関わる情報を聞き出そうと必死である。かれらが今日のために仕入れてきた品物はグレンとキースが監視している屋敷の大玄関に置いてあり、会が終わってから商いをはじめるのだ。商品はおおよそ外国製品で、衣装や装飾品、宝石類、食器、茶器、収納小箱、香、茶葉、セザンにはない珍品高価な甘味料など様々である。
大玄関にいない他3人の側近は大広間の扉付近に静かに立っており、ルディアーノは使用人たちと同じように給仕をしていた。
「あいさつが最高につまらないな」広間の中央あたりの席にいるアークが呟いた。
「アークさま、聞こえます」同じテーブルにいるオリガがあわてて口をひらく。
予想通りのオリガの反応に気を良くしたアークは微笑した。「だってオリガ、今日の天気がどうとか、17になったとか、日ごろの応援にたいする感謝とか、今後の抱負――それもありふれた内容の――そんなものを聞いて面白いと思う? ぼくはもしかしたら今日、かれがなにか面白いことを言うのではないかと期待していたのだけれど、肩透かしを食った気分だ」
「ハーシュのあいさつについてはぼくも同感ですけどね、兄さん、あれでいいんです。普段が奇抜でひと目につきやすい人間なものですから、こういう場では真面目にふるまうんです。信用のためです」杯を持ちながらセシルが言う。
「信用って言ったってここにいる連中はみな、かれに好意的なひとばかりではないか」
「アークさま、聞こえますから」
身をのりだして言うオリガに対し、アークは笑っていた。
ハーシュメルトのあいさつが終わらないうちから、レイミーたちの席ではある話題で盛り上がっていた。この席にはレイミー、マリーヌ、リーズとほか3人の娘たちが座っている。いずれもハーシュメルトと親しい娘たちだ。王都の学校内の男たちの話をしているようだが、当然リーズは聞くばかりとなり、たまにレイミーやマリーヌが解説するものの、適当に相槌を打つだけだった。そのうちにいつのまにか話題がハーシュメルトの側近に移り、問われたリーズは闘技会における武功や戦歴伝説のようなものがあれば知りたく、テオジール・クローヴィスの名を出したが娘たちからは不評で、感性がおかしいとまで言われていた。よくよく聞いていると好みの顔について述べているらしく、娘たちの口からよく名が挙がるのはグレンだった。かれがたまたま広間へやってきたときには、娘たちから黄色い歓声があがったほどだ。そのリーズたちの隣、ウェルダーやアデルのいる男の友人席では、次回の闘技会出場者の順位を予想しあっていた。
あいさつも終わり、広間ではセシルが呼んだ楽士たちの演奏が流れはじめ、客人らは思い思いに食事をしたり、席を立って目当ての人物と話をしていた。アークの歳の近いふたりの妹は茶の飲みくらべをしており、アークは顔馴染みの商人を呼んで、香炉について相談をしていた。セシルとオリガは広間の端へ行き、離れた場所から音の響き具合や人びとの反応を窺っていた。
「だれも聴いてないな」
「聞こえては、いるわよ」オリガがセシルに返す。
「なぜ、セザン人は感性が乏しいのだろう」
「みんなじゃないわ。ほら、ルディアーノは聴いてるもの。それにあの方、クローヴィスさん。目を閉じて、きっと聴き入ってるのよ」
「眠たいだけだろう。ねえオリガ、ぼくはこう思うよ。リクトワールの会なんかではかならずこうやって音楽を流して、それに合わせて踊ったりするってね。合わせるのは芝居だっていい。いい題材ならセザンにもある。英雄ソルドの話なんかみな知ってるし、だれにだってわかりやすい勧善懲悪の物語なんだから。こうしたらどうだろう、オリガ。ハーシュを舞台にあげるのさ、そうすれば女のひとたちは劇に興味がなくても観に来るのではないか。どうやってかれを説得するかが問題だが」
「歌ってないで闘えって言われるでしょうね。それにまわりが許さないと思うわ。とくにあの方」オリガはちらりとグランディオを見る。「それにとっても残念だけど、ハーシュに歌の才能はないわよ。かれが口ずさむのを聞いたことある? 聞けばわかるわ」
若いふたりの芸術家が話している対角線上では、ようやく目をひらいたテオジールがある人物を探していた。その人物、コルナの商人を見つけるとテオジールは声をかけた。この商人は普段、アクリから仕入れた美術品としての刀をリクトワールの愛好家に売っている人物で、前回調査不足で大玄関に刀ばかりを並べてしまい、ハーシュメルトに見向きもされなかったというにがい経験をもつ。今回は抜かりなく、ハーシュメルトが闘技会で着飾る際に必要なアクリ産の独特な髪飾りを多数そろえてきた。かれはそれをハーシュメルトに伝えようとしていたのだが、いまこうしてテオジールに話しかけられ、冷や汗をかくはめになった。前回興味をもったテオジールが刀を見せてほしいと頼んできたからだ。
後日持参を約束しながら刀の価値についての見解をテオジールに答えている商人の横で、ハーシュメルトは夫人たちに囲まれながら談笑していた。少年は次々に夫人たちから昼の茶会や夜の会食に誘われ「かならず行きます」と親しみをこめた笑顔で答えていた。そしてきりのよいところでレイミーたちの席に移動すると、娘たちはハーシュメルトの前に一列に並び「誰の衣装が一番かわいいか」という質問を投げかけてきた。ハーシュメルトは6人の娘たちそれぞれの、巻いた髪の毛、飾り付きの靴、胸元のリボン、ドレスの色、貝殻の耳飾り、首飾りとそろいの髪留めを誉め、その場をしのいでいた。ウェルダーたちの席に移ると、かれらは論争中だった。
「ハーシュ、きみならどれをいれる?」
ウェルダーがたずねてきた。
「いれないという選択もある」アデルが続ける。
ハーシュメルトはテーブルの上を見渡し、「ぼくはなにもいれない。これははじめから一貫させている」と答えた。
テーブルには数種類の茶と、甘味料として使う花弁や蜜が置かれていた。
「ぼくもだ」アデルがハーシュメルトと握手をかわす。「なぜ茶の味をごまかそうとするのかがわからないね。まず、甘い飲み物というものがぼくの好みではない」
「同感だ、アデル。ぼくは茶本来の味をたのしみたい。甘くするとどれも同じ味になってしまう」ハーシュメルトが言う。
「同じ味にはならない。いれる花びらによって風味も舌触りも違ってくる。茶と花びらの相性は奥深い。可能性は無限だ。おいアデル、笑うな、いいか、これとこれを飲み比べてみろよ。茶は同じだ、違う花びらが入っている。ほら、香りからして違うだろう? これなんだよこれ、おれが言いたいのは」
このようにかれらが自由に会話をたのしむなか、ハーシュメルトは空いた皿を片付けながら時おり楽士に目を向けるルディアーノを見ていた。広間にいるあいだ、かれは幾度となく少女を視界にいれていたのだが、ついに一度も目が合うことはなかった。




