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「それにしてもひどいな」王都に戻ったハーシュメルトが自邸での昼食中に口を開いた。
「味付けですか? どれもおいしいですよ。ねえ、ルディアーノ?」グランディオは上座に座るハーシュメルトを一瞥し、正面に座るルディアーノに微笑む。
ルディアーノはパンを口に運ぶ手をとめ、「はい。ですがハーシュさまはお料理の話をしているのではないと思います」実直に答えた。
「ノーラルのことですか」
「うん」
側近のグレンがたずねると、ハーシュメルトは燻製肉を口にいれながら子どものようにうなずいた。
「コーマックのことさ。かれ、ノーラルの現状についてはただ知らなかっただけかもしれない。でもぼくが言いたいのはそれじゃない。問題はリーズ・ベルヴィルのことだよ。かれはリーズの味方してたみたいだけど、それって女だってわかってるのにぼくに報告しないで見逃してたってことだよね。一応規定はあるのに。これって隠蔽してたってことにならない? ひどいな。ねえルディ、きみはコーマックと知り合いだよね? かれはどういう人物なのかな」
ハーシュメルトは非常に勤勉ぶった物言いをしていたが、かれにはよくあることであり、本心から怒っているわけでないのは明らかなので、側近たちは平常どおり食事をしながら聞いていた。しかしルディアーノは真に受けてしまい、誤解のないようコーマックをかばう。
「あの、マックスは嘘をつくような人間ではありません。真面目で正義感が強く、気さくであかるい、けっしてひとを欺くような人間ではありません。もし、報告がなかったのなら、正当な理由あってのこと。それかリーズさんが女だと確信していたわけではないのかもしれません。わたしに話してくれたときも、きっと女の子なのだろう、というような話し方でした。どうか罰する前にかれの話をお聞きください」
いまにも泣きそうな少女を哀れに思い、グランディオが説明する。「大丈夫ですよ。怒っているわけではありませんから。ハーシュさま、ルディアーノをからかうのはよしましょう」
「ああ、ルディ! きみがそんなに必死にかばうなんて」うっすらと涙でにじむ、宝石のように透き通る瞳に魅入られて少年はつぶやく。「ぼくは嫉妬してしまう」
「しかし、もしほんとうに事実を知ったうえで報告しなかったのであれば、それは問題です」少年の言葉の意味を考える隙すら与えないかのように、グランディオが割り込む。
ハーシュメルトは、か弱い表情でグランディオを見ているルディアーノを惚れ惚れと見つめていたが、やがて目が合うと照れながら目をそらし、皿の上に転がる赤い小ぶりな果物をフォークで射止めた。「あとで本人に聞くよ」かれは甘い果汁を口に含む。
「ハーシュメルトさま、なにかお忘れになってはおりませぬか」
唐突にテオジールが言うも、少年は赤い実を口に運びながら、「何を?」と聞いた。
テオジールの厳しい視線が注がれる。「以前コーマックからハーシュメルトさま宛に手紙が3通、届いております。お忘れですかな? もしや読んでいないなどとおっしゃるのではないでしょうな」
「そうだったかな」ハーシュメルトはとぼける。
「忘れていますね」グランディオが言う。「1通目と2通目が届いたのはもうだいぶ前ですけれど、1通目のはハーシュさま、返事を書かれていましたよ。3通目はついこの前です」
「そうだったね、そうだったような気がする。3通目のは知らないな。ぼく、受け取った?」
「お渡ししていますよ」とテオジール。
「そうか。じゃあまだ読んでないや。ほら、最近忙しかったじゃない? 急遽ノーラルへ行くことになったり、まあ、いろいろ」
「そうですね、あとで確認だけしておいてくださいね。コーマックも返事がもらえないままでは気が気でないでしょうから」
「わかったよ。ねえグランディオ、もうでかけてもいいかな」
「どちらへ?」
「どことは決まってないけど、広場かな。ウェルダーたちと会う約束をしてる」
「また遊びに行かれるのですか? わたしどもとしては、ハーシュメルトさまにはもっと日々鍛錬に勤しんでもらいたいのですが」
「休日は遊んでいいって言ってくれたじゃないか。やることはやってるんだ。ね、テオジール、いいでしょ?」ハーシュメルトが助けを求めると、テオジールは渋々承諾した。少年は満面の笑みを浮かべる。「ルディも一緒に行こうよ。きみを紹介したい」
突然の誘いにルディアーノは戸惑い、顔を赤らめ精一杯言葉にならない言葉で丁重に断った。
かれは残念に思ったが、もしかすると以前目撃した彼女の秘密が人前に出るのをためらわせているのかもしれない、と考えた。
「あの、ハーシュさま。差支えなければ、マックスからの手紙を探しておきましょうか?」ルディアーノはハーシュメルトの好意を無駄にしてしまったせめてもの罪滅ぼしの気持から、かれの役に立てることはないか思い巡らし申し出た。
「ほんとう? 助かるよ、ありがとう。たぶんぼくの部屋かきみの部屋にまとめて置いたままだったかな? どっちかにはあると思うんだけど。開けちゃいけない棚なんてないからさ、ひと通り探してくれると助かる。ああ、あそこかなあ、花瓶が置いてある物入れ。どうだったかな? なかったら明日探すから気にしなくていいよ」かれは表情豊かに喋る。「そうだ、ルディ。これだけは約束して。ぼくの部屋の壁に掛けてある剣、試合で使ってる剣なんだけど、あれには触らないでね。本物の剣だから。もしきみが怪我でもしたらぼくはもう生きていけない」
気を引こうとするわざとらしいかれのその表情にルディアーノはおもわず吹き出し、固く固く約束をした。
休日は丸一日ハーシュメルトの自由時間であった。友人たちと遊んだり、屋敷で読書をしたり、風呂にはいったり、側近たちと食を楽しみ盤ゲームをして過ごす。休みがあけると朝日とともに目覚め、日々の訓練にはじまり、昼は各会場の視察や自身参加の興行試合、ときには狩りにでかける。夕食は招待された貴族の家で済ませることが多く、また、自身の屋敷にも招いた。
ところで、キングになってから自分の時間が確保できずにいた当時15歳になったばかりの少年ハーシュメルトには、大人たちに泣き崩れながら哀願し、なんとか情状酌量、自由時間を勝ち得たという経緯があった。一回り以上年上のテオジールはハーシュメルトの軟弱な態度に対し精神が弛んでいる、と叱咤したが、元々みずから望んでキングになったわけではないハーシュメルトに高い志などあるわけもなく、大人たちも初めのうちはかれをどう育て上げるか苦心した。グランディオとしては自分が見定めた責任もあることから、なんとか折合いをつけようと努力した。そこまで遊びたがるのも友人が多いからこそ、幼いころのハーシュメルトを知るグランディオは、かれは剣の素質はそこそこでも、求心力に優れ、やがてアストレーヴの人びとの心を掴むから、とテオジールを説得し、自由時間を譲歩させたのだ。気晴らしができるようになると少年は大人たちに素直に従い、生まれもった丈夫さと利発さから期待以上に成長していった。
ハーシュメルトがキングになって間もないころは、テオジールとグランディオが少年の生活の面倒をみてやり、とくにグランディオは外見を彩るに必要な衣装を惜しげもなく買い与えた。出自が貴族であるハーシュメルトはどんなに煌びやかな衣装も見事に着こなし、すれ違う人びとから褒めたたえられ、この頃から自分に与えられた美の才能を意識するようになり、女たちの前では意図して求められる振る舞いを心掛けた。男たちのなかには華々しい若き王を王宮騎士の傀儡、つまり当時の闘技場の不動の王を実力で打ち倒し、絶大な羨望と権力を獲得したグランディオ・ルードベックに利用されているだけだと蔑む者もいたが、闘技場の試合では人間相手でも猛獣相手でも負けることはなく、また、街中で嫌がらせのような決闘の申し出にも臆さず対応し、力を証明してみせ、相手をだまらせた。ハーシュメルトの実力不足を見透かしているテオジールは「天運、これに尽きる」と評するも、少年は「日々の苦行に耐え抜いている結果だ」と言い張った。テオジールはそのようなとき「ならばこれ以上一切泣き言を言うな」と思い上がらぬよう戒めた。テオジールからすれば少年は脆い精神の持ち主なのだ。時として、キングとなったハーシュメルトがこれまでの経験にない厚遇に自惚れるような場合には、テオジールが強烈な一撃を与え、己の技量不足を認識させ、慢心の芽を摘み取った。
厳しい指導に弱音を吐かなくなり、キングとしての自覚が芽生えた原因のひとつに、アーノルフィニ王家の近戚であるウォールフォード家の娘との婚約があった。幼いころ、好みの女の子と手を繋いだり、ふたりきりになって自慢話を聞かせたりといった淡い涼やかな思い出はいくらか持っていたが、その誰にも、そして将来を約束したひとつ年下の娘にもときめくことはなかったので、かれとしては密かに描いていた激烈な恋物語を省略して結末にいたるのは、非常に惜しまれる思いであった。この道のりは少年時代との早すぎる決別を意味したが、それでもやがて来る、10代の男子ではほぼ成しえない自立の証である結婚という未知なる世界への旅立ちは、大人になる覚悟を決める動機付けには十分だった。
グランディオが思うに、ハーシュメルト本来の性格からすればあのロスカ人たちへの仕打ちは異様なものだったが、それも少年に思うところがあり、セザン国王が病に倒れている今、標を失い不安を感じているセザン国民を救うべくひとり立ち上がったのだと解釈し、好きなようにさせた。
アーノルフィニ国王がながらく快復しないことから、王都の各所でしきりに囁かれるのは後継者問題である。国王の息子がキングにならずとも武勇に優れ、国民に愛されている場合はそのまま王位が世襲される事例もあるが、それが認められない場合もあり、たいていは力の強い者、すなわち闘技場の覇者であるキングが跡を継ぎ、国を治める傾向がこのセザンにはあった。現在のアーノルフィニ国王は自身がキングであったとき、子のいなかったセザン国王から任命され、王座に座る役割を担ったのだ。
現在次期国王候補に名が挙がる人物はハーシュメルトである。驚異的な華でひとを惹きつけ、人びとの望む結果を出し、誰よりもセザンを愛しセザンの誇りを忘れぬかれに、セザンを託したいと願う者は多かった。
アーノルフィニ国王にはふたりの息子がいたが長男は病弱で部屋に引きこもり、次男は夢見がちに遊び呆けていて、どちらも国政に興味がなく己の道を好きに歩んでいた。王座への執着がなかったため、かれらはハーシュメルトと仲が良く、そして好意的だった。ただ、これは歴史上稀な関係で、後継者問題は大昔から主な争いの原因として、幾度もセザン国民を苦しめてきた。国王が無理矢理王位を息子に渡せばキングの支持者が集結し、反乱を起こし、王宮騎士たちも国王派とキング派にわかれ戦った。大抵武断派のキング側が支持され勝利するため、なかなか世襲制は国民の間でも受け入れられず、争う前にキングに王位を継承するほうが、反乱を回避するという意味では賢明であった。この問題を解決するため権力の統一を試みる議論が度々行われてきたが、伝統を破壊する行為だと、キングの称号の廃止に異を唱える者は多かった。この難題は後世のセザンに暗い影をおとし、その時代の人びとに突き付けられる課題として、避けられない試練となる。




