2-3b
そしてまた、力強いリーズの一撃でアルベルトはよろめいたが辛うじて踏みとどまった、といったようすであったが、試合は終わらなかった。ハーシュメルトが審判員の挙動を観察していると、男はたまにこちらを見ていたがそれよりも、ある観客席を気にしているようだった。
「あれ、だれ?」
ハーシュメルトは左隣に座るテオジールに、審判員の視線のさきにいる、口髭を生やした額の広い男についてたずねた。男はノーラルの住人とは異なる身なりをしており、アストレーヴの貴族の普段着のような襟付きの上衣を着ていた。その服はきちんと染色された布地で作られていて、あきらかに農民とは違う身分なのだとわかる。男は観戦に飽きているのか、自分の爪を見ていたり、よそに目を向け耳を掻いたりと、場内に無関心のようである。
「ウィリアム・グローリン、ノーラルの領主、アルベルトの父親です」テオジールは答えた。村の管理をセザン国王から任されている王宮騎士で、王都以外の各町村にはかならずひとり、領主と称される責任者が配属されているのだ。
「ぼくより領主の顔色を窺うのか」ハーシュメルトは憤慨して言った。
リーズは疲れいらだち、思い切り剣をアルベルトに打ち付けるようになった。アルベルトは必死に盾で身をかばう。しかし、相手の猛威に気が動転したのか、アルベルトは盾ごとリーズに勢いよくぶつかると、その衝撃でリーズは地面に倒れてしまった。審判員はすぐさま試合終了の合図とする笛を鳴らし、アルベルトを勝者とした。
「あいつ、ぼくの目の前で堂々と不正するなんて、なに考えてるんだ」ハーシュメルトは呆れながら席を立ち、脇の階段をおりた先にある、腰までの高さの出入口用の戸から場内へはいった。「きみ、試合のルールを理解してる? 盾での攻撃は反則だし、アルベルトは2度も体勢をくずした。どうしてもリーズを勝たせないようにしているとしか思えないんだけど。説明して」自分より一回りは年上とみられる審判員に問い詰めたが、かれは口ごもるだけであった。「アルベルト、きみはこんな勝ち方をして恥ずかしくないのか」項垂れるアルベルトにも声をかけたが、返事はなかった。
仕方なくハーシュメルトは、ふてくされたまま座っているリーズを立たせて彼女の勝利を決定したが場内の空気は重く、だれもリーズを祝福する者はいなかった。ハーシュメルトはある方向を見やるも、ウィリアム・グローリンの姿はなかった。
「気にしないで。わたし嫌われてるの」リーズはそう言い捨て、場内を後にした。
リーズが去ったあと、アルベルトが不満を漏らす。「ハーシュメルトさま、なぜあの女だけ優遇するのですか? もともとあいつは男と偽って不正していたのに、規定まで変えて、どうして見逃されるのですか?」
アルベルト・グローリンは父親によく似た卵型の顔をしており、素振りの落ち着かない小胆者の気はあるが、父親同様の広い額には怜悧さがみえる。
「べつに見逃したというつもりはない。強ければ男でも女でもいいじゃないか。それともなに、彼女は戦い方で反則をしたことがあるのか?」
「それはありませんけれど。でもあいつ、逆賊なんですよ」
「どういうこと?」
「それは言いたくありません。告げ口みたいだし。それに言ったところでハーシュメルトさまにあいつを裁く権利ありますか?」
「ないよ。闘技場の外で起こったことにぼくは口出しできない」
「それならばなおさら。気になるのでしたら調べてください。あいつセザンの裏切り者ですから」そう言うと、アルベルトも場内を去った。
ハーシュメルトは側近たちと再度審判員を尋問したが、押しだまるばかりであった。不可解な判定をした理由を話すまで問い詰めるようグランディオに命じ、ハーシュメルトはルディアーノを連れリーズのいる控室へむかった。テオジールはすでに領主を追っているようだった。
古びた扉を開けるとリーズともうひとり、年上の青年がいた。
「よかった。もう帰ってしまったかと思った」ハーシュメルトはふたりにあいさつをした。青年はリーズの兄だった。
「お礼だけ、言おうと思って。あんたがいなかったらわたし、負けてたもん。ありがとう」リーズの口調にはいつものような活気はなかった。
「リーズ、そんな口のききかたはいけない。キングはセザン国王に次ぐ権威あるお方なんだから。ハーシュメルトさま、申し訳ございません。度々注意はしているのですが、どうも直らなくて」リーズの兄ロレンツが詫びる。
「いいんです、お兄さん。ぼくそういうの気にしないんです。王都にもぼくのことをそんなふうに呼ぶ子もいます。親しくしてくれたほうがぼくはうれしいんです」こだわりの少ない少年はあっさりと答えた。
リーズは気さくなハーシュメルトの顔を見て話しかける。「あいつ、なにか言ってたでしょ」
「べつに」ハーシュメルトは侘しく狭い部屋をながめている。
「逆賊って言われてるの」リーズは味気ない長椅子に腰かけた。
「心当たりはあるの?」
「あるって言ったらどうするの?」
「どうもしないけど。きみがいけないことをしていたとしても、それを捕らえるのは国王さまに命じられた王宮騎士の仕事だし、ひとを裁けるのは国王さまだけさ。ぼくが取り仕切るのは闘技場内のことだけだから」
「見て見ぬふりするってこと?」
「ぼくまだなにも知らないよ」
「ふうん、変な奴。問い詰めたりしないんだ。それってわたしの味方してくれるってこと?」
「どうかな? 内容にもよるけれど。それよりもいまは剣闘試合を盛り上げてくれるほうがうれしい」ハーシュメルトは壁にもたれた。「王都ですでにきみは有名人なんだ。前にも言ったけど、もしきみがキングの座をかけてぼくに挑んでくれれば最高に盛り上がるんだよ。だからなるべくぼくはきみを応援したいし、困っていればちからになりたいと思っている」
「わたしも前に言ったけど、キングになるつもりはないよ」リーズは遠慮がちに笑う。
「今度アストレーヴへおいでよ、ぼくの誕生日にでも。会を開くから招待する。お兄さんも一緒にどうぞ」
「会だなんて。着ていく服がないよ」リーズが言う。
「そんなの、いくらでも用意するよ。来てくれるなら迎えに行くし、ぼくの屋敷の客室を使ってくれてかまわない。自分の人気ぶりを知ったら気が変わるかもしれないよ。ね、考えておいてよ。まだ当分先のはなしだから」
「わかった、気がむいたらね」
リーズがとりあえず約束すると、ハーシュメルトの口元は喜びの曲線を描いた。
「それはそうと、きみいつもあんな扱いなの? よくいままで勝ってこられたね」
「今日までひどいのははじめて。今までの審判員のひとがいなくなったからだと思う。よく味方してくれてたんだ、理由は知らないけど。コーマックさんってひと、あんた知ってるでしょ? なんで移動になったの?」
「これといった理由があるわけじゃないよ。定期的にひとを入れ替えてるだけさ。でもきみが困らないように考えておくよ」
ハーシュメルトが話していると扉を叩く音が聞こえ、ルディアーノが開けるとグランディオが立っていた。報告を受けるため、ハーシュメルトはベルヴィル兄妹に断ってから部屋の外へ出るが、相変わらず白状する気がないらしく、進展はなかった。
「ちょっといいですか、失礼」グランディオは少年の両肩を掴んで横によけ、開いている扉の隙間から顔をのぞかせた。「すこしお話を伺いたいのですが、よろしいですか?」
ロレンツは先代キングに驚いていたが、リーズは快く応じた。
グランディオは兄妹に、領主と王宮騎士のあいだに不審な繋がりがないか、すこしでも気になることがあれば教えてほしい、と頼んだ。妹とは対照的にまだかれらを警戒しているロレンツは、領主と王宮騎士がふたりで話をしているのを見たことはあるが、内容まではわからない、と答えた。
「その騎士はきょうの審判員ですか?」
「はい」グランディオの問いにロレンツが返す。
「お金でも渡して言うこと聞かせてるんだよ、絶対。王宮騎士だけじゃないよ、村のひともみんな領主には逆らえない。今日のことだって、なにがなんでも息子を勝たせたかったからでしょ」リーズはえらく立腹しているようで、「わたしを女だってばらしたのもあいつだよ、絶対」と、兄に怒りをぶつけていた。
「ノーラルはこの通り辺境の地です。国王の目が届きにくいことを利用して、領主が力をもっています。王宮騎士の方にこんなことを言うのは気が引けるのですが、もうずいぶん前からです。セザンの法はここでは通用しないようです」
ロレンツの含みのある言い方にグランディオは、「なにかお困りのことがあるのですか?」とたずねる。
「いえ、わたしの言ったことは気になさらないでください。ただ、これ以上はなにも知りませんので憶測でしか話せません。それに、さきほどの場内での雰囲気で気づかれたと思いますが、わたしたちは村で孤立しています。わたしどもが何を話そうと、みな領主を守るでしょう。あまり余計なことをしてリーズの邪魔だけはしたくないのです。それだけはどうか、ご理解ください」
グランディオはロレンツの意向を汲み、一先ずそこで話を終え、退室した。戻っていたテオジールによると、領主ウィリアム・グローリンの反応は「無関係で、わたしの関知するところではない」の一点張りだったという。
その後ハーシュメルトはマクスベルト・コーマックをノーラルへ移動させ、不正した審判員は白状するまで王都会場の地下牢へ収容させた。ロレンツの言っていたノーラルの現状も気になったが、国王の権限に手を出すのをためらうと同時に、事を荒立てリーズの不利に動かぬよう、しばらくは静観するだけにとどめた。




