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第一章 最初の観客

このストーリーは前回の話を元にした完全版(?)みたいなものです。

呼吸の仕方を、いつからか忘れてしまったような感覚がずっとあった。 

柳魄栗(やなぎはくり)という人間の十五年間は、一言で表すなら「他人のための人生」だった。 

物心がつく前から、周囲の顔色を窺う癖が染みついていた。家庭内では不機嫌な両親の空気を察して、進んで「手のかからない良い子」を演じた。学校に上がってからは、クラスのカースト上位の人間には都合のいい聞き役に徹し、孤立している人間がいれば当たり障りのない優しさで場を繋いだ。 

誰からも嫌われないこと。

誰の感情の地雷も踏まないこと。それが、魄栗がこの窮屈な世界を生き抜くために編み出した、唯一の防衛術だった。


「柳くんって、本当にいつも優しいよね」

「柳に頼めば間違いないよな」 


そんな言葉を投げかけられるたびに、胸の奥が冷たく冷えていくのを感じていた。彼らが褒めているのは「柳魄栗」という人間ではない。彼らにとって都合のいい、無色透明な「仮面」だ。それでも仮面を被り続けたのは、素の自分を出して拒絶される恐怖に、耐えられるほどの強さを持ち合わせていなかったからだ。 

春。サクラの淡いピンクがアスファルトを染める季節に、魄栗は北巳里(きたみさと)高校へと入学した。環境が変わっても、やるべきことは変わらない。入学してからの数週間、魄栗は完璧に立ち回った。

クラスメイトたちの名前と性格、人間関係のパワーバランスを素早く把握し、求められる「気の利く同級生」のポジションに収まった。すべては計算通り。うまく馴染めた。いじめられることも、浮くこともない。それなのに


「……はぁ」 


放課後、夕暮れに染まる帰り道を一人で歩きながら、魄栗の口から重い溜息が漏れた。

うまくいっている。なのに、どうしてこんなに息が苦しいのだろう。

これからの一年間、いや、卒業までの三年間、自分は毎日こうやって神経をすり減らし、他人の顔色を窺って、死んだように生きていくのだろうか。どっと押し寄せてきた疲労感に足が止まる。人通りの多い通学路を歩き続ける気力が失せ、魄栗はあてもなく脇道へと逸れた。たどり着いたのは、住宅街の隅にある、すっかり寂れた小さな公園だった。錆びついたブランコと、ひび割れたコンクリートのベンチがあるだけの場所。誰もいない。ここなら、数分間だけでも仮面を外して、ただの抜け殻になれる気がした。 

ベンチに腰を下ろし、深く背もたれに体を預けて目を閉じる。その時だった。 

――ジャラン、と。静寂を切り裂くように、硬質で、それでいて温かみのある金属の音が響いた。心臓が跳ねる。驚いて目を開けると、少し離れた植え込みの影、大きな木の下に人影があることに気づいた。夕日に照らされたその影は、アコースティックギターを抱えていた。大きめのパーカーのフードを深く被り、顔はよく見えない。誰かが練習しているだけか、と魄栗は息をひそめた。立ち去るべきだと思ったが、なぜか足が動かない。 

やがて、その人影が小さく息を吸い込む気配がした。次の瞬間、公園の空気が一変した。響いてきたのは、歌声だった。突き抜けるようにまっすぐで、どこかハスキーな、少女の声。激しく、むき出しの感情が、アコースティックギターのコード進行に乗って弾け出す。それは、魄栗が今まで聴いたどのJ-POPよりも、粗削りで、独善的で、そして圧倒的に自由だった。言葉の意味を理解するより先に、その声の熱量に圧倒された。誰の目も気にしていない。誰の許可も求めていない。ただ、自分のためだけに、世界に向かって叫ぶような歌。周囲に気を遣って、自分の声を押し殺して生きてきた魄栗にとって、その歌声はあまりにも眩しく、そして暴力的だった。胸の奥が痛いほどに締め付けられる。

どれくらいの時間が経っただろうか。歌が、最後のコードの余韻とともに静かに終わった。静寂が戻る。しかし、魄栗の心臓は激しく鐘を打ち鳴らし続けていた。呆然としたまま、言葉が勝手に口から溢れ出していた。


「……北巳里?」 


少女の着ているパーカーの隙間から、見覚えのあるチェック柄のスカートが見えたのだ。それは間違いなく、自分と同じ、北巳里高校の制服だった。


「ひゃっ!?」 


少女が短い悲鳴を上げて飛び上がった。完全に一人だと思い込んでいたのだろう。彼女はあからさまに狼狽し、抱えていたギターを落としそうになりながら、勢いよく振り返った。その拍子に、深く被られていたフードがハラリと頭から外れる。夕暮れの残光の中に、その容姿が浮かび上がった。肩を大きく越えて背中まで伸びる、艶やかな黒髪のロングヘア。少しつり上がった大きな瞳が、驚きで丸くなっている。そして、夕日にきらりと反射したのは、右耳の耳たぶに開けられた、高校の校則では完全にアウトな、小ぶりだが存在感のあるピアスだった。


「あ、あの……!」 


少女は顔を真っ赤に染め、人差し指を自分の唇に当てた。


「内緒に、してくださいぃ……っ!」 


先ほどまでの圧倒的な歌声とは一転した、蚊の鳴くような、必死の懇願の声だった。魄栗は数秒間、声が出なかった。彼女の慌てぶりを見て、ようやく状況を理解する。誰もいないと思って秘密の練習をしていたところに、クラスメイトでもない男が突然現れたのだ。驚くのも無理はない。同時に、ある事実に気づく。彼女の周りには、機材も、投げ銭のためのケースも、聴衆もいない。


「……客がいないライブは、俺が声をかけたことにより終わった、ってわけか」 


魄栗がぽつりと言うと、少女はきょとんとした後、恥ずかしそうに視線を落とした。


「うぅ……ライブっていうか、ただの練習です。スタジオ代、高いので……」 


少し落ち着きを取り戻した彼女は、ギターを大切そうにケースへ収めながら、大きく息を吐いた。


「……びっくりしました。まさか同じ学校の人に見られるなんて」


「驚かせて悪かった。通報する気も、先生に言う気もないから安心してくれ。……でも、すごかった」


「え?」


「歌。本気なんだな、って」 


お世辞ではなかった。普段の魄栗なら、相手が喜びそうな無難な褒め言葉を並べ立てるところだが、今はなぜか、本音の言葉しか出てこなかった。少女は一瞬、目を見開いた。それから、右耳のピアスを少しだけ弄りながら、不敵に、だがどこか誇らしげに笑った。


「当然です。私――伏波乃愛(ふしなみのあ)は、将来、ギターとこの声で飯を食っていきたいって、本気で思ってますから」 


伏波乃愛。それが彼女の名前だった。音楽で飯を食っていく。そんな浮世離れした夢を、彼女は一切の迷いなく言い切った。周りの目を気にして、平均値の殻に閉じこもっている自分とは正反対の生き物。これ以上、彼女に関わるのは危険だ。自分の平穏な日常が侵食されてしまう。


「そうか。じゃあ、俺はこれで。誰にも言わないから」 


魄栗は踵を返し、その場を立ち去ろうとした。


「あ、待ってください!」 


背後から強い力で制服の裾を掴まれる。振り返ると、伏波さんが真剣な、しかしどこか楽しげな目でこちらを見上げていた。


「目撃者は逃しません。……共犯になりましょう、柳くん」


「……は? なんで俺の名前」


「名札、見えてます。私は伏波さん、あなたは柳くん。ね? これで対等です」


「いや、何が共犯だよ。俺は嫌だ。関わりたくない」 


魄栗は彼女の手を冷たく振り払い、今度こそ逃げるように公園を走り出た。背後から「あ、ちょっと!」という声が聞こえたが、振り返らなかった。危ない。あの目、あの歌声。関われば、自分が築き上げてきた『安全な高校生活』がめちゃくちゃにされてしまう。明日からは、ただの他人のフリをしよう。そう心に決めて、魄栗は家路を急いだ。 

――しかし。 

翌朝、魄栗のその決意は、あまりにも無残に打ち砕かれることになる。爽やかな朝の光が降り注ぐ、登校時間。北巳里高校の校門前は、多くの生徒たちで行き交い、賑わっていた。魄栗はいつも通り、周囲のグループに自然な笑顔を振りまきながら、校門をくぐろうとしていた。 

その時。


「――あ! 柳くん!!」 


鼓膜を突き刺すような、よく通る大声が響き渡った。校門付近にいた生徒たちの動きが、ピタリと止まる。全員の視線が、声のした方向へと向けられた。そこには、昨日の黒髪をなびかせ、制服の胸元を少し崩した伏波乃愛が、満面の笑みで大きく手を振って立っていた。右耳のピアスは、朝の光を浴びて容赦なくきらめいている。


「待ってたよ〜! 一緒に教室行こう!」 


周囲の視線が、一斉に魄栗へと突き刺さる。


「おい、あいつ伏波さんと知り合いなのか?」


「嘘、あの地味な柳が?」 


ひそひそ声が波のように広がっていく。魄栗は硬直した。頭の中で、自分がコツコツと積み上げてきた「無害で目立たない優等生」という平穏な日常の壁が、ガラガラと音を立てて崩壊していくのが見えた。


(……最悪だ) 


伏波さんは、周囲の動揺などどこ吹く風で、弾むような足取りでこちらへ歩いてくる。柳魄栗の、偽りの平穏に満ちた高校生活は、終わりを告げた。そして、騒がしくも鮮烈な、二人の「共犯関係」の物語が、今ここから始まろうとしていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


校門前での爆弾発言の余韻は、冷めるどころか周囲の好奇の視線となって、じっとりと俺の背中にまとわりついていた。


「……おい、伏波さん。なんなんだよ一体」 


周囲のひそひそ声を遮るように、俺は早足で校舎へと向かう。その後ろを、伏波さんはカバンを軽く揺らしながら、楽しげについてきた。


「なんなんだよって、一緒に学校に行こうって言っただけですよ? あ、もしかして照れてます?」


「照れるわけないだろ。目立つなって言ってるんだ。俺のこれまでの努力を数秒でぶち壊してくれたな……」


「努力って、あの『みんなに都合のいい柳くん』でいるための努力ですか?」 


伏波さんが、歩調を速めて俺の隣に並ぶ。すれ違う他クラスの生徒たちが、あからさまにこちらを見ているのが分かった。黒髪ロングの美少女として一部で有名な伏波乃愛が、冴えないクラスの便利屋である俺と親しげに歩いているのだから、無理もない。


「私たちはもう、秘密を共有した『共犯者』なんですから。これくらい普通です」


「普通じゃない。だいたい、クラスだって違うだろ」


「あ、それなんですけど」 


伏波さんは、俺のすぐ隣の教室――1年B組のプレートを指さした。


「私、お隣のB組なんです。ほら、すっごく近い」 


俺の教室はA組だ。壁一枚挟んだだけの距離に、この爆弾が潜んでいる。絶望的な気分になりながら、俺は「じゃあな」とだけ言い残して、逃げるように自分の教室へと駆け込んだ。案の定、自席に座った途端にクラスの男子数人に囲まれ、「伏波さんとどういう関係なんだよ!」と質問攻めに遭った。俺はいつもの「あはは、昨日たまたま道で落とし物拾ってあげただけだよ」という仮面を張り付け、事なきを得た。


だが、授業が始まってからも、黒板の文字は全く頭に入ってこなかった。窓の外の青空を眺めながら、俺の思考は完全に伏波乃愛という存在に占拠されていた。あの右耳のピアス。夕暮れの公園で聴いた、胸を掻きむしるような歌声。そして、「音楽で飯を食っていく」と言い切った、あのまっすぐな瞳。周りの顔色を窺い、誰の地雷も踏まないように、自分の色を消して生きてきた十五年間。そんな俺にとって、彼女の存在はあまりにも鮮烈で、劇薬のようだった。

関わってはいけない。平穏が壊れる。

そう自分に言い聞かせるのに、ノートの端に無意識に「伏波」と書きそうになり、慌ててシャープペンシルを動かす手を止めた。そして、憂鬱なまま昼休みを告げるチャイムが鳴った。胃がキリキリと痛むのを感じながら、俺は購買へと向かった。早くパンを買って、教室の自席でひっそりと息を潜めよう。そう思っていた。 

しかし、購買前の大混雑の中で焼きそばパンを掴み、会計を済ませたその瞬間だった。


「や〜なぎくん♩」 


背後から、鼓膜に直接響くような、あの鈴の鳴るような声がした。弾かれたように振り返ると、人混みをすり抜けて、満面の笑みを浮かべた伏波さんがこちらに手を振っていた。その瞬間、購買にいた他の生徒たちの視線が一斉に俺に集まるのが分かった。


(またこれか……っ!) 


俺は返事をする代わりに、掴んだパンを握りしめ、脱兎のごとく走り出した。


「あ、待って、柳くん! 逃げないで!」 


背後から追ってくる足音が聞こえる。俺は階段を2段飛ばしで駆け上がった。どこへ逃げるべきか。教室に戻れば捕まる。人がいなくて、彼女が追ってこられない場所――。気づけば、俺は最上階のさらに上、「立入禁止」の札が下がった屋上への扉を押し開けていた。普段は鍵が閉まっているはずの扉が、なぜか少しだけ隙間を空けて開いていたのだ。バタン、と激しく扉を閉め、屋上のコンクリートに飛び出す。心地よい春の風が吹き抜け、フェンスの向こうに街並みが広がっていた。


「ふぅ……ここまで来れば……」 


そう言って息を整えようとした、次の瞬間。


「……ぷはっ! 柳くん、足、速すぎです!」 


重い鉄の扉が再び開き、伏波さんが肩を上下に揺らしながら入ってきた。額にうっすらと汗を浮かべながらも、その表情はどこか楽しげだ。


「なんで……ここが分かったんだよ」 


俺が呆然と呟くと、彼女は自慢げに胸を張った。


「当然です。ここ、私の『定位置』ですから。いつも昼休みや放課後、ここでギターの練習をしてるんですよ。先生たちも見逃してくれてるんです」 


伏波さんは、屋上の隅に置かれた大きな給水タンクの影を指さした。そこには、彼女のアコースティックギターのケースが立てかけられていた。


「……そうか。お前の縄張りに、俺が自ら飛び込んだわけか」


「そういうことです! 運命ですね!」


「運命なわけあるか。……なぁ、伏波さん。本当に勘弁してくれ。俺は普通の、平穏な高校生活を送りたいんだ。頼むからこれ以上、俺に関わらないでくれ」 


俺の切実な言葉に、伏波さんは少しだけ笑顔を収めた。そして、フェンスに近づき、街を見下ろしながら、右耳のピアスをそっと指で触った。


「柳くん。『共犯』って言葉、嫌いですか?」


「嫌いというか、意味が分からない。昨日、お前が公園で歌ってたのを、俺が偶然見ただけだろ。それがどうして共犯になるんだよ」 


伏波さんは振り返り、真っ直ぐに俺の目を見つめた。その瞳には、昨日の公園で見た時と同じ、強烈な光が宿っていた。


「私は、本気でプロを目指してます。でも、この学校じゃ誰も、私の歌を真っ直ぐ聴いてくれない」 


彼女は一歩、俺に近づいた。


「でも、柳くんは違った。私の歌を聴いて、『すごかった』『本気なんだな』って言ってくれた。お世辞じゃなく、心から。……私の本当の姿を見て、認めちゃったんです。だったら、もう無関係な他人には戻れません」 


伏波さんは、いたずらっぽく笑って、俺の胸元を細い指で突いた。


「私の秘密を知って、私の歌を最初に肯定した男。それが柳くんです。だから、あなたはもう、私の夢の『共犯者』なんですよ」 


その言葉が、俺の胸の奥にストンと落ちていくのを感じた。拒絶しなければいけないのに、彼女のその強引な理論に、どこか救われている自分がいることに気づいてしまった。他人のために仮面を被り続けてきた俺に、「お前が必要だ」と言ってくれているような、そんな錯覚。


「……勝手な理屈だな」


「ふふ、なんとでも言ってください。というわけで、共犯者の柳くん。さっそく、お願いがあるんですけど……」

 

のあが、ギターケースへと歩みを進める。


「お願い……?」 


嫌な予感しかせず、俺は思わず半歩ほど後ずさりした。そんな俺の警戒心を面白がるように、伏波さんは給水タンクの影からアコースティックギターではなく、一冊の使い古されたノートを取り出した。


「はい。柳くんには、私の活動の『裏方』をやってもらいたいんです。具体的には、音響の担当と、あと……作詞の手伝い!」


「はあ!? 音響に作詞……!? ちょっと待て、なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだよ。俺はただの、目立たないように生きてる一般生徒だぞ。そんな専門的なことできるわけ――」


「できますよ」 


のあは、俺の言葉を遮るように、まっすぐ俺の目を見つめて微笑んだ。その笑みには、確固たる確信が満ちていた。


「だって柳くん、中学の時、文化祭でバンドのPA(音響)やってましたよね? あと、あの時に配られたプログラムに載ってたオリジナル曲……あれ、作詞のクレジット、柳くんの名前でした」 


ドクン、と心臓が嫌な音を立てて跳ねた。全身の血がすっと引いていくような感覚がする。忘れたはずの、いや、意図的に心の奥底に封印したはずの記憶が、伏波さんの口から鮮烈に引っ張り出された。


「……なんで、それを知ってるんだ」


「私、柳くんと同じ中学の、隣の学区の学校だったんです。友達に誘われてあの文化祭のライブを見に行って……衝撃を受けました。体育館のボロいスピーカーなのに、音がすごくクリアで、ボーカルの声が信じられないくらい綺麗に響いてて。それに、あの曲の歌詞……。周りに合わせて死にそうになってる人の痛みが、そのまま言葉になってるみたいで、ずっと忘れられなかったんです」 


伏波さんはノートを胸に抱きしめ、少しだけ遠い目をした。


「高校に入って、同じ制服を着てる柳くんを見つけた時、最初は人違いかと思いました。だって、あんなにすごい音を作って、あんなに刺さる言葉を書いた人が、学校じゃ誰にでもヘラヘラ笑って、自分を消して生きてるんだもん」


「……やめろ」 


俺の声は、自分でも驚くほど低く、掠れていた。中学の時のあのライブ。当時の俺は、まだ「良い人」の仮面を完璧に被りきる前だった。自分の内側にあるドロドロした感情を歌詞にぶつけ、少しでも世界に抗おうとしていた。だけど、結果はどうだ。クラスの連中からは

「なんか重くてイタイ歌詞だな」

「柳って暗い奴」

と陰口を叩かれ、結局、俺の言葉は誰にも届かなかった。だから俺は、音楽を捨てた。自分の本音を言葉にすることをやめ、完璧な仮面を被って、誰の地雷も踏まない「無害な柳くん」として生きる道を選んだのだ。


「もう終わったことだ。今の俺は、そんなことやらない。伏波さん、人違いだよ」


「人違いじゃありません! 昨日の公園での柳くんの目、あの時のステージ袖にいた柳くんと、全く同じでした。ねえ、柳くん。あの才能を、そんな退屈な仮面の下に眠らせておくのは絶対におかしいよ」 


伏波さんが一歩、また一歩と距離を詰めてくる。右耳のピアスが、昼の太陽に照らされて激しく主張していた。彼女の圧倒的な熱量が、俺が必死に守ってきた防衛線を容赦なく焼き尽くしていく。


「私は本気で上に行きたい。でも、一人じゃ限界があるんです。私の歌には、柳くんの作る音と、柳くんの言葉が必要なんです。……お願い、共犯者になって」 


伏波さんは、抱えていたノートを俺の胸元にそっと押し付けてきた。ページを開くと、そこには彼女が書き殴ったコード進行と、荒削りなフレーズの断片が、あふれるような熱量で並んでいた。断るべきだ。ここで首を横に振って、屋上を飛び出せば、明日からはまた「無害な日常」に戻れるかもしれない。だけど、俺の指は、押し付けられたノートの端を、無意識のうちに強く握りしめていた。誰の記憶にも残らず消えたと思っていた俺の言葉を、俺の音を、三年間もずっと忘れずにいてくれた人間が、目の前にいる。その事実が、凍りついていた俺の胸の奥を、信じられないほどの熱さで溶かしていく。


「……作詞の『手伝い』だけだぞ」 


俺の口から、掠れた声が漏れた。


「え……?」


「音響の機材調整と、歌詞のアドバイスだけ。表舞台には一切出ない。学校でも、基本は他人のフリ。……それでいいなら、手伝ってやる」 


伏波さんの瞳が、みるみるうちに歓喜で染まっていく。


「やった……! ありがとうございます、柳くん!」 


伏波さんは飛び跳ねるようにして喜び、俺の手を両手でぎゅっと握りしめた。


「約束ですからね! これで本当に、私たちは一蓮托生の『共犯者』です!」 


彼女の手は、ギターの弦で少し固くなっていたけれど、驚くほど温かかった。こうして、俺の平穏な高校生活は、完全な終わりを迎えた。

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