前編
レイチェル・メルヴィルには、フェリックス・グランヴィルという婚約者がいる。
メルヴィル家より格上の名門グランヴィル家の嫡男だ。
レイチェルの一族は、魔術に秀で、優秀な魔術師を幾人も輩出している。
その血筋を見込まれ、レイチェルはフェリックスの婚約者に選ばれた。
一方メルヴィル一族は、特に上昇志向はなく、魔術の研究さえ出来れば他のことは気にしないという家風だった。
幼いころに結ばれたこの婚約は、レイチェルの望んだものではなかったが、格上の貴族からの申し入れは断りづらい。
父親のギルバートは、その時の研究の方に気を取られ、うっかりと了承の返事をしてしまった。
フェリックスは見た目も良いし、外面も良いので、だれもこの婚約に問題があるとは思わなかった。
しかしレイチェルはやがて気づいてしまう。
フェリックスが嫌な奴だということに。
自分の両親やレイチェルの父親の前では、良い子の顔をしている。
でも人目のないところでは、
「我が家より格下なんだから、婚約者になれただけでも、ありがたく思え。」
「まだ固有魔法が発現していないなんて、出来損ないなんじゃない?」
「将来、私の妻になるんだから魔術の研究なんてほどほどにして、マナーや社交も勉強しろ!」
などとひどいことを笑いながら平気で言う。
こんな婚約者は嫌だ、婚約解消してくれとギルバートに頼むが、父は申し訳なさそうに言う。
「すまない。あちらの方が我が家より格上だから、こちらからは断りにくいんだよ。
それに私は、こういう交渉事が苦手でね。無理だよ......。
そのうちフェリックス様は、レイチェルより美人なご令嬢に気持が移るかもしれないし、それを期待してもう少し様子を見よう。」
お父様、本気で言っているの!?
我が子のためにたとえ相手が格上でも婚約解消を申し入れる気概もないの!
と思ったが、父はこういう人だった。
魔術は優秀だが、それ以外のことはダメダメなのだ。
レイチェルの母は、レイチェルが幼いころに亡くなった。
母がいればこんな婚約は結ばれなかったかもしれない。
そんなある日レイチェルに固有魔法が発現した。
『クーリングオフ魔法』という。
教会でどんな魔法か聞いても誰も知らない。
家に帰って父に聞いても、知らないという。
魔術馬鹿のお父様が知らないなんて。
「そうだ!元王宮魔術師のプリシラおばあ様に相談しよう。」
祖母のプリシラ・メルヴィルとは、父が自分の母親を苦手とするせいで、
あまり交流がない。
レイチェルの婚約の際にもまだ早いのではないかと父に意見をして、
喧嘩になったらしい。
プリシラならクーリングオフ魔法について、何か知っているかもしれない。
プリシラは王都の郊外に一人で住んでいる。
連れ合いをなくし、一人息子とは折り合いが悪く、孫娘とも滅多に会うこともない。
馬車で向かう道中、祖母は相談に乗ってくれるだろうか、レイチェルはそんな心配をしながらプリシラの家に向かった。
プリシラの家は一人住まいにちょうどよい、こじんまりした家だった。
ドキドキしながら、訪問を告げると、ニコニコした祖母が出て迎え入れてくれた。
「珍しいこともあるもんだ。でもよく来てくれたね。
今日はどうしたんだい?
バカ息子が何かしでかしたとか?」
「今日は、おばあさまに魔術のことでご相談に来ました。
私に固有魔法が発現したんですけど、『クーリングオフ魔法』ってご存じですか?」
「へぇー、これまた珍しい魔法を発現させたね。」
「やはり珍しい魔法なのですね。おばあさまの『おでき魔法』や『げりげろ魔法』よりも?」
「あの魔法は珍しいって言っても、何度も使ったから見たことのある人もいるだろう。
でも『クーリングオフ魔法』は、たいてい一生に一、二回ぐらいしか使わない魔法なんだよ。」
「どういう効果がある魔法なんですか?」
「不本意に結んでしまった契約を、後からなかったことにできる魔法だよ。」
なんと!レイチェルが今必要としている魔法ではないか。
「私、フェリックス様との婚約を解消したいのです。
お父様にお願いしたら、あちらの方が格上だから我が家からは断れないと、おっしゃるのです。
そのうちフェリックス様の気が変わって、解消できるかもしれないからもう少し様子を見ようと言って、解消に向けて動いてくれません。
この魔法で、婚約をなかったことにできませんか?」
「あのバカ息子!しょうがないねぇ。
『クーリングオフ魔法』は、契約の期間が問題なんだよ。
契約の期間が長ければ長いほど、魔力が多く必要になる。
今のレイチェルの魔力では、少しむずかしい。」
「え、せっかくぴったりな魔法を手に入れたのに、使えないってことですか?」
「今の魔力では足りない。少なくとも今の倍くらいはないと。
もし何が何でも婚約解消したいなら、私のもとで魔力を増やす訓練をするかい?」
「やります!ぜひ訓練をお願いします。」
「わかった。それでは、これからは週に一回ここに来なさい。
魔力を増やすためには、魔法を限界近くまで使って少しずつ増やしていくことになる。
小さいうちに結んだ婚約だから、期間が長い。
魔力をうんと増やさないといけない。
こんなことになるなら、最初から婚約の打診をバカ息子が断っていればねぇ。
あの子は昔から魔術以外はまるでダメだからねぇ。
交渉事なんてとても無理だ。」
とぼやきながら、祖母は魔力増加訓練を引き受けてくれることとなった。
レイチェルは、必死になって祖母の訓練についていった。
元王宮魔術師の祖母の指導は、なかなかきつい。
だが少しずつではあるが、魔力は増加し、レイチェルは手ごたえを感じていた。
父も自分のせいだと思っているので、止めたりはしない。
フェリックスは、もともとレイチェルと積極的に関わろうとしなかったので、
「もっと身ぎれいにしたらどうだ。ちっとも私と釣り合わない。」
などと嫌味を言うだけで、訓練のことは気づきもしない。
数か月後、レイチェルはとうとう目標の魔力量に達した。
「どうかフェリックス様との婚約が円満に解消されますように。」
願いを込めて、『クーリングオフ魔法』を発動させる。
魔法は小さな光の玉となって浮かび上がり、王都の方角へゆっくりと飛んで行った。
「これでいいの?」
あまりにもあっさりしていて、本当にうまくいったのか、自信が持てない。
「大丈夫。うまくいったさ。」
祖母は、そう言ってくれるが心配である。
これでだめなら後がないのだ。




