最終話
プリメラに呼ばれ中庭を歩いていると、見覚えのある人影が木の根元に座り込んでいるのが目に映り、ロードはしばし悩んだがそのまま通り過ぎようとした。
しかしその目の前を横切るようにして、小柄な人影がすたすたと歩いていった。
「あなた、こんなところで何をしているの?」
腕を組み、声をかけたのはプリメラ。
声をかけられ驚き戸惑っているのはセイラ。
「何を、って……。この国に居場所なんてないんだもの」
「部屋を用意してあるでしょう? この国に慣れたら城を出るのも自由だし、家も生活に必要なものも用意するわ」
「それは私が『価値ある聖女』のはずだからでしょ? だけど私は魔王に近づくことすらできないまま、すべては私のいないところですべて終わっていたのだもの。そんな私に価値なんてないし、そこまでしてもらえる理由がない」
ロードはなるほど、と初めてセイラの心情が理解できた気がした。
突然わけもわからず異なる世界からやってきて、聖女だと崇められ、その分役に立たねばと思い詰めていたのかもしれない。
自分は主人公だとか、何らかの力を持っているはずだとか、とにかくロードたちには見えていない何かに突き動かされているようで、理解できないと頭が考えることを拒否してしまっていたが、セイラにはセイラの世界があり、それが通用しないこの国で生き抜かなければならないのだから、必死にもなるだろう。
だがプリメラはそんなことはわかっていたのか、たじろがなかった。
「たしかに空から降ってくるなんて異常な現れ方をしたものだから聖女だと崇める人たちは多かったけれど、そもそもこの国はそんな風に意図せず辿り着いたあなたを保護しなければ人道にもとる。価値とかそういう話じゃない。すべきことをしているだけよ」
「だけど、だったら私は何のためにこんな異世界にやってきたっていうの? 何か特別な力があって、それでこの国に呼ばれたんじゃないの? すごい改革するとか、世界を救うとか、なんかそういう役目があるんじゃないの?」
「いや、別に呼んでないわよ」
過去にも異世界から人がやってきたことがあったようだが、それもどこからどうやってきたのかわかっておらず、この国に召喚するようなすべなどないという。
しかしセイラは納得がいかないようで、なおも「でも……」と言い募る。
「そんなのおかしいわ! 私は何の意味もなく、ただこの異世界にたまたまやってきただけってこと? そんなの、ふざけてるわ! なんで私がそんな目に遭わなきゃならないのよ。誰かに必要とされたんだったらまだ納得できたのに。役に立って、みんなに誉めそやされて、崇められて、奉られて、貢がれて、いい暮らしができるんだったらわかるけど」
変わらずセイラはセイラだった。
だがロードも言っていることはわからなくもない。
何か理由が欲しい。必要だったのだと言われれば、仕方ないと思えるかもしれないから。
元の世界から一人だけ落とされ、家族とも友人とも離れ、大事な物も手放し、将来のために積み上げてきたであろう日々も意味をなくし、この異世界にはこれまでセイラが持っていたものが何もないのだ。
文化も慣習も異なる世界で、人間関係も地位も何もかも、ゼロからすべてを築かなければならない。
そんなの、ロードとて理由もなしに到底受け入れられはしないだろう。
「元の世界には帰れないのか?」
「帰れるわけないじゃない。そもそもどうやって来たかもわからないし、こういうのは大抵元の世界に帰る方法なんてないのよ」
「そっちでは異なる世界に行くことはよくあったのか?」
「現実ではないわよ。漫画とか――創られた物語にそういうのがあったっていうだけ」
なるほど。よくわからないことを当たり前の仮定のように話していたのはそういう情報を元にしていたのか、とやっと納得した。
「だったら試してみたらいいじゃない。これは現実なんだから物語とは違うわ」
腕組みを解かないままのプリメラに、セイラはしばし黙り込み、小さく口を開いた。
「――たしかにそうだけど。試すっていっても、方法がわかんないわよ」
「この世界に来た時と同じことをしてみるのは?」
「来た時と同じこと……。えっと。学校からの帰り道に水たまりがあって、よけようと思ってジャンプしたら目測を誤って足から突っ込んじゃって、そしたら水が跳ねたところに開いた扉が浮かび上がってて、その勢いのまま飛び込んじゃってて、気づいたらゆっくりと落ちてて、このお城に辿り着いたって感じだったんだけど」
「水たまりが意外と深いこともあるし、平らじゃないこともあるから気を付けたほうがいいわよ」
「それはもう肝に銘じました」
意外と深いどころの話ではなかったわけだが。
きっと二度としなかったことだろうが、今からそれをしてみては? という話の流れだ。
セイラはしばらく考えていたが、「帰りたいなら、やれることやってみてから悩めば?」とプリメラに言われ、立ち上がった。
「そうね。何にもならなかったらすんごく恥ずかしいけど。どうせあなたたち二人しか見てないし」
実はここは城内であるからあちこちに人の目があるのだが、ロードもプリメラも何も言わなかった。
ちょうどよく少し離れたところに水たまりがある。
セイラは勢いをつけて「せえのっ!」と走り出したが、怖くなったのか水たまりに踏み込む直前で足を止めた。
「やっぱ怖いわ!」
「少し前のあなたの無鉄砲さを思い出して。無防備さを思い出して。無頓着さを思い出して」
「絶対悪口でしょう」
「励ましているのよ。あなたならできると」
「やっぱり悪口にしか聞こえない」
「いいからさっさとおやりなさい。駄目なら別の方法を考えなければならないのだから」
いきなり王女然として叱られ、セイラは反抗的な目を向けるも、再び息を整え、「いきます!」と再び駆け出した。
「よいしょーー!」
そうして今度こそ水たまりにちょうどよく片足を突っ込むと、水が跳ね上がった。
しかし扉など浮かび上がっては来ない。
やはりそう簡単にはいかないか、と思ったのだが、ロードはすぐに目を見開いた。
驚いた顔のセイラの姿が、何もない空間に吸い込まれるように消えて行ったからだ。
「嘘だろ――?」
しかしその方法でセイラはこちらへとやってきたのだ。
目の前の現実を受け入れるしかないのだがなかなか信じられずにいるところに、ひょこりとセイラの顔だけが現れた。
まるで片足だけ踏み込んだ扉の先からこちらに顔だけを戻すように。
「あ。戻った」
そうしてまた消える。
かと思ったらまた顔だけ戻る。
どうなっているのかと不思議に思い、ロードはその境に手を伸ばそうとした。
しかしぐいっと腕を引かれ、驚いて振り向く。
「何してるのよ! ロードがあっちに行っちゃったらどうするのよ!」
プリメラのその必死な顔に、そうか、とその危険に気が付いた。
好奇心で試していいことではなかった。
「すまない」
プリメラがロードの腕を放すまいとするように怒った顔でしがみついているのを見下ろし、反省した。
「ロード一人で行かせはしないけどね」
どこまでも男前で、どこまでも痺れる女だ。
そして一国の王女にそんなことをさせてはならないとより反省した。
「あなたも何をしてるの。せっかく戻れたならそのまま行きなさい」
たしかに、そのセイラにだけ見えているらしい扉が消えてしまっては大変だ。
二度と戻れなくなるかもしれない。
だがこの国に未練はないのだろうか。
置いてきたものとか、挨拶をしておきたかった人とか――。
そう考えて、ロードは気が付いた。
そもそもあちらの世界からやってきた時もそんな準備などできなかったのだし、セイラにとってはこちらの世界には事故でやってきただけ。
「ありがと、プリメラ! ロードも! 他の人にもお世話になりましたって言っておいてね。じゃ、私帰るわ! バイバイ!」
それだけを言うと、セイラは晴れ晴れとした笑顔で完全に姿を消した。
「まさか本当に帰れるとはな……」
「何事もやってみるものよ。試しもしないで諦められるほど未練がない世界ならかまわないでしょうけど」
もしかしたらもう一度あちらの世界で水たまりに足を踏み入れたら同じことが起きるのかもしれない。
だがその後、セイラが現れることは二度となかった。
そしてプリメラはロードの腕にしがみついたまま、しばらく離れることはなかった。
ロードもプリメラが侍女に呼ばれて行ってしまうまで、そのままにしていた。
これほどかわいい生き物は見たことがなかったから。
もしもロードが突然姿を消したら。
そう考えて、プリメラの取るだろう行動はなんとなく想像がついた。
そんな風にあちらの世界にはセイラを探す家族がいるのだろう。
これまでロードは、家族も、友人も、離れて行ったらそれまでだと諦められるほどの関係しか築けなかった。
これほどまでに離れたくないと思った人はいなかった。
だからこそ思う。
セイラが家族や友人に早く会えているといい、と。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
ロードも貴族だ。
社交の場に行かねばならない時もあったから、そこがどういう場かは知っている。
だから自分とプリメラの婚約お披露目のパーティがこんなことになるとは思ってもいなかった。
ロードが掲げた腕には細い腕でぶら下がるプリメラ。
そして満面の笑みで広いホールに哄笑を響かせる。
「おーっほっほっほっほ! みなさま羨ましいでしょう? 私の婚約者はこぉんなこともできますのよ!」
羨ましがるわけがあるか。とは思ってもツッコめようはずもない。
プリメラをそっと下ろしてやるが、まだ終わらない。
ロードのジャケット越しに盛り上がった筋肉をふにふにふにふにと揉みしだきながら、輝かんばかりの笑みを周囲に振り向ける。
「ご覧なさい、この筋肉を! ロードに触れられるのは婚約者である私だけですのよ! おーっほっほっほ!!」
これはなんの罰だろうか。
ぐっ……、と耐え抜くロードの耳に、しかしぽつりとした呟きが聞こえた。
「ずるいですわ……」
「羨ましい……」
嘘だろ、である。
周囲を取り巻く令嬢たちがこぞってうらやましげな目を向けるのを、ロードは信じられない思いで眺め回した。
「今更後悔したって遅くってよ! これまで幾度でもチャンスはあったというのに、あなた方はこぉんな逸材をずっと敬遠し、遠ざけていたのよ。ほぉら、悔しいでしょう? 己の浅はかさが悔やまれるでしょう?」
「くっ……!」
くっ……! ではない。
どこの令嬢も一様にそんな悔しがる目を向けるな。
「どんなに歯噛みをしようとも、ロードは今や私だけのもの。指一本たりとも触れさせませんわ! おーっほっほっほっほ!」
「プリメラ。その辺にしておけ。誰が王女かわからなくなるぞ」
もはや悪役にしか見えない。
「まあいいわ。これで言い伝えなんてあいまいなものに踊らされて真実を見ようとしないと損をするってことがよくわかったはずだもの。たっぷり後悔して、今後は自分の目で見て確かめるようになるがいいわ」
言い方は悪役のままだが、やはりその中身は王女だ。
「プリメラは徹頭徹尾格好いいな。俺など太刀打ちできん」
「あら。呪いなんてあるのかないのかわからないものに振り回されて、たくさんのことを諦めて生きながらも他人への優しさや気遣いを失わず、どう生きたらいいかわからなくなっていた私にまだやれると希望をくれたロードのほうがよほど格好いいわ」
そう言って嫣然と微笑むと、プリメラは細い腕をそっと差し出した。
「さあ。仕上げに観衆の前で踊って見せつけてから去るとしましょう」
「では観衆が飽きるまでお付き合いいただこうか、プリメラ王女殿下」
大事だから触れたかった。
大事だから触れられなかった。
けれどもうロードがその手を伸ばすのをためらうことはない。
ロードのごつごつと節くれだった手に小さな手がのせられる。
それをくいっと引っ張ると、プリメラの軽い体がふわりとロードの広い胸に収まる。
そのまま腰を抱き、曲に合わせて踊りだせば、周囲の目が一斉にこちらを向いたのがわかる。
もう、元呪いの騎士が元生贄の王女に振り回されているだなどと言うものはいなくなるだろう。
ロードがプリメラに向ける瞳は心から慈しみ、温かみに溢れたもので、目を合わせた二人がどこまでも晴れるような笑みを浮かべ踊っていたから。
それから二百年後。
リンデリア王国には、とある昔話が言い伝えられていた。
それは呪いの騎士と、生贄の王女のお話。




