第九十八話 ドゥクス・アナンタ
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大地が大きく揺れた。
その地震はノヴァ大陸全体を包み込み、それと同時に南北に伸びる壁峰の両端が、だんだんと持ち上がっていく。
あまりにも現実離れした光景に、それを目撃した人々は、今目の前で起きている事は夢なのではないかと疑う者が多かった。
しかし、残念ながらこの事象は夢ではなく現実だ。付け加えるなら、限りなく悪夢に近い現実、と呼べばよいだろうか。
壁峰の両端が完全に持ち上がり、その先端部から積層物がまるで痂のように剥がれ落ちていき、その中からさながら翼のように青銅色をした二対の腕が大きく広げられた。
だが、変化はそれだけでは終わらない。
翼腕の起点が起き上がり、まるで鶏冠を思わせる邪神の頭が姿を顕わす。
そこから更に、地下に埋もれていた下半身を引き上げると、大蛇の如く長い尾が、大陸を割る。
それだけで、地獄絵図とも言える光景を作り出した。
そして、その中心に居るモノは、下半身は蛇、肩から生えた翼には四本の腕を備え、中心部が辛うじて人間のように見えなくもない異形の巨神。
これが、ドゥクス・アナンタ。
アナンタの獣達の原点にして頂点だ。
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「あれが……」
「ドゥクス・アナンタ。まさかもう復活を遂げるとは……」
一世とジョウが驚嘆する。
しかし、翼のように伸びる四本腕に、一世は違和感のようなものを覚えていた。
腕の数が、少ない。
そこに気付き、一世はすぐに夢の中で見た敵の姿を思い出す。朧げにしか思い出す事は出来ないが、それでも翼に六本の腕を備えていたのは確かだ。
それが、果たしてどのような意味を持つのか、この時の一世にはまだ理解できていなかった。
しかし、その事をジョウに語り、その知恵を借りる事は出来る。
「なあ、アレがドゥクス・アナンタだとして、なんで腕が四本しか無いんだ?」
「それは、どういう事ですか?」
質問に質問で返すジョウに、一世は自身の夢で見たドゥクス・アナンタの姿を語った。
ジョウも、その事を知った上で幾つかの可能性を捻り出す。
「本来、六本である筈のドゥクス・アナンタの腕が四本しか無い……これは、恐らく敵の復活がまだ完全ではない、という事なのかもしれません」
ジョウのその仮説を、一世は「やはり」と肯定する。
「本来の目覚めより早いが故のミスか、それとも何らかの要因が重なったのかは分かりません。が、これは我々にもまだ猶予が残されているという事です。アルカニック・ギアの完全覚醒を急ぎましょう」
ジョウのその言葉を受け、一世達はセントノヴァの地下遺跡へと急いだ。
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セントノヴァの地下は、オルベイルが眠っていた宇宙船……スヴェントヴィト帝国は「星渡りの船」と呼んでるそれと、同じような構造をしていた。
恐らくはこの遺構もまた、人々が星の海を航海するべく作り上げた船の内の一隻なのだろう。
そして、一世達はこの船のジェネレーターを使い、アルカニック・ギアの完全なる再結合を試みようとしていた。
「そんな事ができるんですか?」
一世達と共に地下に同行して来たドギーが、ジョウに聞く。
「オルベイルはこれまで、取り込んだ棺であっても一時的な再結合しか行えていませんでした。これは、オルベイルそのものに、複数のアルカナの棺を稼働させるだけのスペックが、備わっていないからに他なりません」
そもそも、オルベイルが作られたのは、スヴェントヴィト帝国がこの棺を発見した、何百年も前の話。
皇帝機と同じアルカニック・ギアとの合体能力を持つ事を当時の技術者は理解していたものの、流石に全てのアルカニック・ギアとの合体までは、想定すらしていなかったのだ。
このまま全てのアルカナの棺と再結合しても、トリニティアのように能力が不完全になる事もあり得るだろう。
故に、この船のジェネレーターをオルベイルに直結させ、エネルギーを送り込む事で世界のアルカナの棺の能力をフル回転させ、その上で全ての棺との再結合を果たす。
これが、今の一世達に出来る最大級にして、唯一の手だ。
今現在、オルベイルの腹の中には二十二のアルカナの棺が全て揃っている。他のアルカニック・ギアは、動力源をこの遺構で発見されたジェネレーターに換装し、スートアーマーとして運用される事になるという。
アルカナの棺の能力も、機体の再生能力も発揮出来ない機械となってしまうものの、それでも神に挑むには頭数が必要だった。
「着きましたね」
ネインがそう言って、大仰な隔壁扉を見上げた。
動力区画。
細かな振動が、そこが未だに稼働し続けている事を語っていた。
「まだ目的地に着いただけだ。やる事は、まだ山程あるぞ」
そう言って、一世はオルベイルに乗り動力区画の隔壁を開放した。
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ドゥクス・アナンタの復活に伴い、その足元では大量のアナンタの獣が群れを成しているのが観測出来た。
元から世界中に拡散していた獣が、主の下へと集まったのか、それともドゥクス・アナンタが新たに生み出したのか。
どちらにしろ、あれらが一斉に牙を剥けば、恐ろしい事になる事実は揺るがない。
セントノヴァ以東のコロニーは、既に住民の大半の避難を終え、無人となっている。
しかし、一晩で人類を守護する砦としての役割を与えられたセントノヴァに、戦力は未だ集まりきれていない。
世界の各所でも、ドゥクス・アナンタの復活に呼応するようにアナンタの獣の活動が活発化しており、その対応で戦力を振り分ける余裕が無いのだ。
現時点で、ドゥクス・アナンタに対抗出来るのは、キール皇帝率いるスヴェントヴィト聖封騎士団、アガトラ王国軍、そしてノヴァ軍の即席合同部隊のみとなる。
数にして、スートアーマー二千機。だが、それで山をも見下ろす巨大な敵を打ち倒せるのかという不安が、一同の心を蝕んでいた。
「あんな化け物に勝てるのか?」
「無理だ、勝てっこない」
「生きて帰ってこれる自信が削がれる」
負の感情に囚われている兵士達の姿を見て、キール皇帝はその現状を憂いた。
このような心構えでは、勝てる戦すらも勝てなくなる。
故に、キール皇帝は彼らの士気を上げるべく、奮闘する。
「貴公らは、そのような考えで、大切なものを守れるとでも思っているのか?」
皇帝という、ある意味で雲の上の存在から声をかけられ、兵士達は思わず各々の勢力の敬礼を、キール皇帝へ捧げた。
「改まらずともよい。しかし、戦争とは一人の英雄によって終結するものではない。貴公ら兵士一人ひとりの奮闘あって、初めて平和を掴む事が出来るのだ。それは、アナンタとの決戦においても同様だ」
「お言葉ですが、陛下。あの大型は、およそ人智の範疇に収まるような相手には見えませんが……」
「だが、相手もまたカタチあるモノ。そこに滅びが訪れるのは、世の必定だ。ならば、それを我らの手で成し遂げるくらいの威勢を見せてみろ」
「……は、はい!」
キール皇帝が兵士達を説き伏せるが、彼は皇帝の棺を一世に預けていた。つまり、もう彼には支配の力は残されていない。
それでもなお、士気を挫かれた兵士達を鼓舞し、説得し、一人ひとりと心を繋げあった。
そして、一晩の内に、キール皇帝はこの場に残った全ての兵士達の顔と名前を覚え、そして彼らの心を掴んでいた。
それは、皇帝の棺の力による支配などではない、キール皇帝自身の資質によって成されるものであった。




