第八十八話 侵食
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壁峰。
ノヴァ大陸の東の果てにそびえ立ち、そこから世界の東西を分断している、文字通り壁の如き巨大な山脈だ。
その周辺はアナンタテリトリーが無数に存在し、容易に人が立ち入る事が出来る場所ではなく、永らく前人未踏の地として扱われて来た。
それもその筈。
何せ、山そのものがアナンタの獣達の始祖たるドゥクス・アナンタの亡き骸なのだから。
魔術師の棺から引き出した情報をそのまま口に出した一世に対して、アルエはそのスケールの大きさに困惑している様子だった。
「ちょっと待って。壁峰って、あの、壁峰よね。それが、ドゥクス・アナンタ?」
「ああ。地質学的にも、あれだけ巨大な山が、南北に伸びているなんて不可解なんだと」
棺から得た知識を呼び出し、一世は軽い頭痛に見舞われる。だが、それでも頭を抱えながら、彼は言葉を紡いでいく。
「そして、壁峰の向こうにあるっていう最大規模のアナンタテリトリーも、実は山の中に存在しているという事になる」
「……ねえ、一世。頭、大丈夫なの?」
アルエは心配そうな顔を見せながら、一世の額に手を添える。しかし、一世はそれを払い退け、目を見開いてこう言った。
「大丈夫だよ。むしろ、調子がいいくらいさ」
その言葉と共に、一世はにやりと頬を釣り上げた。
「これまで、話半分に聞いていたジョウの言葉の意味が、ハッキリと理解出来る……今まで何処かにせき止められていた膨大な知識が、自分の中に流れ込んで来たような、そんな感じかな」
思考に加え、目つきが明らかにこれまでの一世と異なる事に、アルエは不穏なモノを感じ取った。
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「ふむ……これは、まずい事になりそうですね」
未来予測の最中に意識を覚醒させ、ジョウは開口一番にそう言った。
「導師、何か不測の事態でも?」
ジョウが寝台から起き上がると、傍らにシイナが音も無く現れる。ジョウはそれを幸いと思いながら、彼女に問うべき事を問いた。
「古城正典……この名前に、覚えはありますね?」
「……元の世界で、私を殺した男の名前です。そして、元は正義のアルカナの棺に選ばれた騎士でもあります」
「なるほど、やはりペラウンで出逢った彼でしたか」
ジョウは、シイナに辛い過去を思い出させた事を詫びると、すぐに宿の寝室を後にした。
シイナはジョウが焦っている事を理解しながら、彼の後を追う。
彼女は、ジョウの物言いから、正典が何らかのファクターに成り得るのだろうと、直感で理解していた。
二人は一世の部屋の前に立ち、その扉を叩く。
顔を出した一世は、以前とは違う雰囲気を纏っているように、シイナは感じた。
「ジョウか、丁度いい所に来たな」
「ええ、私も、あなたに話しておかなければならない事があるのです」
思考の方向性を同じくした者同士の、腹を割った話し合いが、始まった。
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「くそっ、ここには安息の地なんて無いのか?!」
正典は、靴がボロボロに磨り減ってなお、荒野を全力で駆け抜けていた。
彼の背後には、野盗の駆るスートアーマーが三機。
そう、正典は運悪く彼らの縄張りに入り込んでしまい、町で手に入れた水と食料、そして残り少ない端金を全て奪われてしまったのだ。
しかし、既に無一文同然であるにも関わらず、野盗はまだ正典から搾り取れる物があると見て、彼を追い回し、今に至っていた。
「や、やめてくれ……俺は、もう、何も持って、いないんだ……!」
既に喉が渇き、声はガラガラ。
一度止まってしまったら、二度と立ち上がる事は出来ないかもしれないと、正典はそこから自らに降りかかるであろう悲劇を想像し、恐怖していた。
だが、相手はスートアーマー。正典が、敵に追い付かれるのも時間の問題だった。
十メートル前後の巨体が、遂に正典の背後に迫る。
元来土木作業用であったのだろう大型のパワーアームが、正典の背中を掠めた。
「ひっ……ッ!!」
死の恐怖が、背中から全身に伝播する。その際に足を取られ、正典は遂にその場に倒れ込んでしまった。
背後には、先程の巨腕が迫っている。
相手は正典をいたぶって愉しんでいる様子だ。
しかし、この荒野に、彼を助けてくれる存在は、皆無。
もし通り掛かった者が居たとしても、文無しの正典に助け舟を出すような物好きは居ないだろう。
つまり、彼はここでもう詰んでしまっているのだ。
何がいけなかったのか。
どこで間違えたのか。
自分のやって来た事は、何だったのか。
後悔しかない自分の人生が、まるで走馬灯のように彼の脳裏を駆け抜ける。
眼前に、再び巨腕が迫った。
だが……。
「このニンゲンに、死なれては困るんだよね」
野盗と正典の間に、突如として黒衣の少年が現れる。彼は、指先一つで野盗の駆るスートアーマーの作業用アームを受け止め、それどころか押し返して見せた。
野盗のスートアーマーは、そのまま背中から倒れ込み、起き上がれなくなる。
「な、何なんだ……お前は!?」
自分に振り向いて、その姿を一瞥する黒衣の少年に、正典は思わず後ずさる。
それもそうだろう。先程見せた一連の動作は、明らかに人外のそれだ。
こんな事が出来るモノが存在するなど、正典は知る由もなかった。
正典の眼の前に立つ少年。彼の名前はサメフ。嘗て、一世の駆るオルベイルによって撃退されたと思われていた、アナンタの使徒だ。
「フフフ、僕はね、君に力を与えてあげに来たんだよ」
不気味な笑みを浮かべながら、サメフ虚空から一機のスートアーマー……否、アルカニック・ギアを呼び出した。
それは、正典の知るアルカニック・ギアとは、明らかに異質な存在。
青銅色に染まった有機物のような、明らかなアナンタの獣の特徴を備えながら、それは間違いなく人が操る為のコクピットを有していた。
そもそも、アルカニック・ギアとアナンタの獣は水と油の関係でありながら、何故その二つが融合し、個として成立しているのか。
今の正典には考えるだけの余裕など、ありはしない。
「どうする? 向こうは、まだやる気みたいだよ?」
サメフが、何とか再び立ち上がった野盗の機体を指差し、正典に考える時間を与えない。
これに乗れば、自分は確たる力を手に入れられる。だが、それは悪魔の契約。乗れば、確実に何かを失う。
だが、今の彼には、最早失う物など、何も無い。
「分かった!」
その言葉と共に、正典はその機体のコクピットに駆け込んだ。
それと同時に、コクピットのあちこちから細い触手が正典の身体に突き刺さっていき、彼と機体を一体化させていく。
だが、痛みはない。むしろ、これまでに無い万能感と高揚感が、正典の全身を駆け巡っていた。
「コレがオレか……!」
異形の機体の双眼に、光が灯る。
正典という人間を手に入れ、青銅色の機体はアルカニック・ギアとして初めてその本領を発揮する。
野盗スートアーマーが振り下ろしたアームを、正典は片手で受け止めると、彼の意思のまま細かに動く触手が、アームの内部へと入り込み、侵食していく。
「ひっ! な、何なんだよ、これは!?」
「これまでいたぶってくれた礼はさせてもらうぞ」
触手がコクピットまで達し、決して広くない空間を、触手達が埋め尽くす。当然、乗り手は物言わぬ屍となったのは、言うまでもない。
「これが、この力があれば、奴らに復讐出来るのか……!」
「そう、そして彼らは僕と君にとって共通の敵でもある」
「ハハハ、なら話は早い!」
「そう、共に倒そう。あの憎きアルカニック・ギアを」
こうして、悪魔と、堕ちた騎士は手を組んだ。
そしてそれは、ジョウが未来予測で垣間見た最悪の展開の序章でもあった。




