12 キョン子の奮闘
ここ数日、キョン子は胸がもやもやしていた。
正体は分からない。けど多分怒り。
勝手に契約されて同居することになった人間に対して怒っている。未練を晴らす手伝いをすると言ったくせに、最近は他の女に夢中らしくて全然かまってもらえない。もちろん嫉妬じゃない。だって好きじゃない。でも、嫌いではないかもしれない。
魔界では他のキョンシーに虐められて、なりたくもない冥級キョンシーとやらに進化してからは戦えだの殺せだの血生臭かった。味方がいなくて、やっと地獄から逃げ出せたと思った。
しかし、転移した先でも独りに変わらない。暗い路地でそう思った。
不安から恐怖から逃げたくて、でも逃げ場はどこにもなくて。この世界でもワタシはワタシなんだと思った時、偶然現れたのはお人好しでド低能で童貞脳なリンだった。
ムカつく。
きょんきょん言うなとかわけわからない事言うし、えっちな目で見てくるし、失礼だし、デリカシーないし、勝手に札貼ったし、部屋は狭いし、気が利くし、優しくしてくれるし、怖がらないし、不安を解消してくれるし、楽しいし、意地悪言うけどあったかいし、美味しそうにご飯食べてくれるし、文句言うけどやっぱり優しい。
超ムカつく。
頼んでも無いのに勝手に優しくしてくる。弱っちいくせに男の人から守って、女の子みたいに扱ってくる。嫌な顔せず協力するとか言って楽しいことを教えてくれる。その楽しいっていう感情は、相手がリンだからだって最近は気づいて……。それがまたムカつく。
聞きたいはずなのに、気を遣って魔界のことを聞いてこない。
ムカつく。ムカつく。ムカつく。
だから、これは、やっぱり怒ってるだけ。
中途半端に相手せず、最後まで面倒見ろって思っただけ。
ちょっぴりリンと過ごす時間を奪われたのがムカついただけで、嫉妬じゃない。
好きになんてなるはずない。なるはずない。
キョン子はベッドに潜りながら、寝たふりをしてこっそりリンを見る。
最近は毎日バーに行ってるみたいで、帰ってくると顔がにやけててキモい。
大体、あの女のどこがそんなにいいのか。猫被ってるだけのおっぱい女だ。
おっぱいならワタシもあるのになんで──とキョン子は思ったところで、自分がとんでもないことを考えていることに気づいた。別にリンが誰とくっつこうが関係ない。
でも、あの女だけは臭う。キョンシーの感がそう告げている。
だからこれは断じてヤキモチではなく、同居人を心配しているだけ。
リンが騙されればお金がどんどん減るし、美味しいものが食べられなくなるし、住むところが無くなるし、そうなったらこの部屋にあるゲームとかもできなくなる。
それが困るだけ。と、無理やり結論付けて、キョン子はすやすや眠りについた。
──明日は何を作ろうか。ほんとは嫌がらせなんてせずに美味しい物を作ってあげたい。
美味しいと言って食べてくれる顔が好きだから。胃袋を掴んでやりたいから。
っと、何を考えているんだ。これはあれだ。契約だ。朝ご飯を作る契約だから、美味しい物を作りたいって自然に脳が思ってしまうだけ。
断じて、断じて! リンのことを想っているわけではない!
と、キョン子は自分に言い訳するのだった。
そして迎えた、鈴人が咲耶とデートをする当日。
キョン子はそんなこと知らずに朝から味噌汁と明太子入りの卵焼きを作っていた。生卵やバッタの天ぷらなど、流石にやり過ぎたと思っている。バッタは食べれなくはない味だったが、もう少し喜んでもらいたい。
あくまで居候させてもらっているのだから、最低限の礼儀は持ってもてなすべきだと思ったのだ。別にこれ以上やったら本当に嫌われそうとか思ってるわけではない。
きょんきょん鼻歌を歌いながら朝食を作り終えると、リンが起きた。
「今日は豪華だな」
「きょん」
雰囲気は少し険悪。キョン子は二人分よそって、ちゃぶ台に運ぶ。最近はほとんど会話をしていない。でも、毎日いただきますとご馳走様は言ってくれてちょっぴり嬉しかった。
「……うまかった。やっぱキョン子は料理上手だな」
「きょん! ……はっ」
つい弾んだ声を出してしまったが、キョン子は慌てて怒っているような顔を作る。
リンは気にした様子も無く食べ終わった皿を洗うと、いつも通り大学に出かけた。
なぜか今日はオシャレをしている。いつもより少しかっこいい。
一人になったキョン子は大抵大人しく遊んでいる。ネットで昼間からゲームしている奴らとバトり、タブレットでニュース記事や現代の知識を蓄えているとすぐに昼になる。自分で作って食べると、また午後はダラダラ過ごす。日が落ちた頃に、リンが帰ってくる。
鍵の開く音が聞こえるといつも嬉しい思いがするけど、今日は違った。
「俺、すぐ出かけてくるわ。夜も自分で作って食べてくれ」
ぶっきらぼうにリンが言うと、髪の毛をセットし直し、すぐに出かけてしまった。
いつもは夕飯を作ってくれて、一緒に食べる。
その後バーに行くのだが、今日は嫌な予感がした。もちろん、一緒に食べられないのが寂しいわけではない。そうではなくて、キョンシーの感が告げていた。
リンが、危ないと──
「まったく、リンはワタシがいないと全然ダメきょん」
キョン子は外を慎重に見て、太陽が沈んでいるのを確認する。勝負服であるキョンシーの衣装に着替えると、札をだらんと下げたまま尾行作戦を開始した。
尾行は思ったより簡単だった。街中は人が賑わうため隠れやすい。標的であるリンを十メートル後方から視界に収めて追っていると、もう一人のターゲットである咲耶と接触した。
二人とも気合の入った格好で、いかにもデートという雰囲気。
キョン子はギリリと無意識に奥歯に力を入れ、観察する。
リンはデレデレ鼻の下を伸ばしていて気持ち悪い。
咲耶の方も照れたり不慣れな仕草をしたりするも、どうもきな臭い。そして、やはり咲耶からは他の人間と違う『何か』を感じる。その正体が掴めないからこうして出向いたわけだが、こうもまざまざとデートを見せつけられるのは腹立たしかった。爆発しろと思う。
二人はあらかじめプランを決めていたのか、すぐに移動を開始した。
ここから先はこちらも慎重に行動した方がいい。
キョン子は隠密性を高めるために、自身に魔法をかけた。
「きょん!」
別に詠唱とかではないが、なんとなくこの掛け声は気合が入る。使用したのは会話を盗み聞きする魔法と、気配を薄くする魔法。前にリンと街を歩いた時はチラチラ見られたが、魔法を使用すると見向きもされなくなった。この程度の魔法は初歩の初歩で、魔界にいる魔族ならば子どもでも出来る。二人の会話に意識を集中させ、盗み聞きをする。
なんだかスパイになったみたいで楽しい──と思ったのは一瞬だった。
二人の指が触れ合い、絡み合い、まるで恋人のように手を繋ぎ始めたのだ。
「えへへ。俺、今日が楽しみ過ぎて眠れませんでしたよ」
「私もです。鈴人くんと一緒にいられて幸せです」
いつの間にこんな関係が進んでいたんだ。気持ち悪い。他のどのカップルを見ても感じない不快感を抱く。何よりムカついたのは、
「私、初めてのデートが鈴人くんでよかったです」
「俺も女の子と遊ぶの初めてなんですよ。なんか緊張しますよね」
自分との思い出を無かったことにされた。キョン子にとって特別だった夜が、他の女に上書きされていく。それが堪らなく不愉快にさせた。理由は分からないけどムカムカする。
もうやめようかなと思ったけど、気になってしまった。後を追う。
最初に入ったのは映画館。キョン子も観たいと思っていた恋愛映画だが、内容は全く入らないまま上映が終わる。
次に向かったのは回らない寿司屋。以前一緒に行ったのは回転寿司だったことを思いだし、腹が立った。そんなお金を持っていないキョン子は肌寒い外で一人待つ。
四十分ほど待つと、腕を組んで二人が出てきた。
キョン子は泣きそうになりながら知らない街を独りで歩く。
訪れたのはイルミネーションが綺麗な公園のベンチ。二人で並んで座って休憩するらしい。咲耶とかいう女がリンの肩に頭を預けていて凄くムカついた。理由は分からないけど。
イルミネーションはただ光ってるだけのオブジェに見えて鬱陶しい。
なんだか自分の歪んだ心を見透かされるようだ。
「きょ~ん」
自分は何をしているのだろう。どうしてこんなに苦しいのだろう。
胸が張り裂けるくらい痛い。ぶたれる時や悪口を言われる時とはまた違う痛みだ。
リンのことなんて好きじゃないのに。何とも思ってないのに。
ならなんで、こんなに痛いんだ。寂しいんだ。悲しいんだ。
それはきっと、独りになるのが怖いからだろう──
「え、えっと、咲耶さん!」
いやだ。それ以上は聞きたくない。その辺の女には興味ないって言ってたくせに。下半身だけの恋は本物じゃないとか童貞脳なこと言ってたくせに。どうして。どうしてその子なの。
おかしい。おかしい。絶対おかしい……。
「鈴人くん。私も……」
二人は、言葉ではなく行動で示そうとした。二人が背中に腕を回して抱き合う。互いに求めあうように身体を密着させる。やがて解き、咲耶がリンの頬に手を添える。
リンが咲耶の前髪を払い、耳にかけてあげる。
ゆっくり、ゆっくり近づく。
キョン子は黙って、泣きながらその光景を傍観する。恋愛映画では感じない。身体が内側から爆ぜそうだ。見たくないのに目が離せない。
もうあと数センチで恋が実る、その刹那──キョン子の視野が、人間には存在しない物を捉えた。それは、先端がハートの形をした尻尾。その繋がる先は、言うまでもない。
人間同士の純愛ならば、止める筋合いはないと思っていた。指をくわえて泣きながら見ていることしか出来ないと思っていた。だって、リンには幸せになって欲しいから。
でも、違う。なら、構わない。そこからは、勝手に身体が動いた。
「きょおおおおおおおおおおおおん!」
茂みから雄叫びを上げながら近づくと、いち早く察知したのは佐伯咲耶。
尻尾と、今よく見ると背中には小さな羽根も生えている。頭には小さな角も。
それは男を魅了して生気を吸い取る魔性の女──サキュバスだ。
「なッ、あなたいつからそこに⁉」
「うるさいきょん! リンを誑かすなんて許さないきょん!」
キョン子の剣幕に、咲耶も身を引き締める。
「やっぱりあなたは怪しいと思いましたわ! 鈴人くんは私の獲物です!」
月明かりに照らされて本性を現したらしい。
魔族は夜に活動する。でもそれは、キョンシーであるキョン子も同じである。
「リンを殺すなら許さないきょん! その前にお前が死ぬきょん!」
「え? ちょ、ちょっと待ってください! 勘違いしてます!」
「言い訳無用! お前みたいな男を騙す女の言う事なんて信じられないきょん!」
「ぐ……、わかりましたよ。そんなに言うならお相手して差し上げます!」
咲耶は空間から弓矢を取り出し、躊躇わず矢を放ってきた。
しかし矢は明後日の方向に飛んでいく。
「なんてキョンシーなの⁉」
勝手に外したくせに、咲耶はキョン子が能力で軌道を変えたと思ったらしい。
キョン子は気にせず、コンクリートをも砕くパンチをお見舞い──
「きょんっ⁉」
しようと思ったが、自分の足に躓き、顔面からずっこけた。
痛い。泣きそう。鼻血出そう。
「……ワタシの足をもつれさせるなんて、なかなかやるきょん」
そんなキョン子に咲耶はポカンと首を傾げたが、今がチャンスと見て反撃する。
戦場では、一瞬の隙が命取りだ。
「私のチャーミングビューティーエンジェルアローを食らいなさい!」
動かない的に弓を合わせ、射る。しかし当たらない。
「……こんなに強いキョンシーがいるなんて!」
仰天する咲耶。どうやら、ただのノーコンらしい。
キョン子はその隙に立ち上がり、涙を拭くと拳を振るう。
でもへっぴり腰のノロノロパンチは、咲耶が横に少し移動しただけで避けられた。
「……サキュバスってこんなに強いきょん⁉」
キョン子も咲耶の身のこなしに驚愕する。と、そんな感じで両者が茶番を繰り広げる中。咲耶の意識が完全にキョン子に向いたことで、鈴人の洗脳がようやく解けた。そして思う、
──こいつら何やってるんだ? と。
傍から見たら子ども同士のじゃれ合いにしか見えなかった。