13 仲直り
なんだか夢を見ていたようだ。
記憶は残っているが、ここ数日の俺は自分が自分じゃないみたいだった。
きっかけは咲耶さんだろう。今まで何とも思ったことなかったのに、咲耶さんに接触されて以来、咲耶さんのことしか考えられなくなった。
その洗脳は、きっと咲耶さんが大好きだと錯覚するものだったんだろう。
でも今ならハッキリ言える。俺は別に咲耶さんのことを何とも思っていない。
……可愛いし一緒に過ごせて嬉しかったのは本当だけど(これは内緒だ)。
まあとにかく、俺は正常な俺に戻った。それで、俺は一体何を見せられているんだ?
「この腹黒サキュバス! ばーか! ばーかきょーん!」
「い、言いましたねこの性悪キョンシー! ばかって言った方がばかなんです!」
何故か口喧嘩をしている。その割に二人ともぜえぜえ息を切らしていて戦った後みたいだ。土まみれだし転んだのかな? ていうか、なんでキョン子もここに?
「だいたい、きょんってなんですか! きょんきょん五月蠅いんですよ!」
「お前だって色目ばっか使って気持ち悪いきょん! きょおおおおおん!」
威嚇するキョン子。咲耶さんはどうやらサキュバスだったらしいけど、キョン子を知ってるからそこまで驚きはなかった。てかお前ほんときょんきょんうるせえよ。
「弱いキョンシーほどよく吠えるって言いますよね」
「む。お前嫌いきょん──かぷっ」
「きゃああああ! 痛いです! この小娘、噛みついてきました! やだやだ腕が腐っちゃいます! 呪われたくないです!」
咲耶さんが喚きだす。普段の凛としたイメージとは大違いだ。
「あははっ、いい気味きょん。助けてほしかったらワタシに謝──」
生き生きと煽り散らすキョン子が制止する。俺がもしもの時に持ち歩いている札を、キョン子の額に貼り付けてやったのだ。その結果。関節が曲がらなくなって尻餅をついてしまう。
「きょん──っ!」
「うふふっ、あら可愛いじゃないですか。お人形さんみたいですよ、キョン子ちゃん」
「ぐむむむむ、何するきょん! リンはまだ洗脳されてるきょん⁉」
「いや、治ったぞ。でもちょっと暴れすぎだ、話聞こうぜ」
きっと俺が罠にかけられそうになったのをキョン子が助けてくれたんだろう。キョン子とは喧嘩をして酷いことも言ったのに、やっぱり根は良い奴だな。
俺が仲裁すると咲耶さんが、
「鈴人くん、信じてましたよ。私には鈴人くんしかいません!」
自分を一番かわいく見せる角度で見つめてきた。
「えっと、嬉しいですけど俺にはもう通じませんよ?」
洗脳が解除されたばかりからか、咲耶さんは素敵だと思うけどそれ止まり。
「ちっ」
あれ、舌打ちした? え、怖いよ咲耶さん。
「コイツやっぱり腹黒きょん。悪い魔族は懲らしめた方がいいいきょん!」
キョン子がにやりと笑うと、
「きゃああああああ! 腕が! 私の麗しい腕があああああああ!」
咲耶さんの麗しい腕が青黒く変色を始めた。キョン子の噛みついたところだ。
どうやら噛みついてマーキングした部分に、遠隔で呪いをかけられるらしい。
「りりりり、鈴人くん!」
「な、なんですか咲耶さん」
「私に尿をぶっかけてください!」
「は、はいぃ⁉」
「おしっこ浴びせてください!」
「ぶふっ! げほっ、げほっ! そういう趣味をお持ちなんですか⁉」
いきなりびっくりした。何を言い出すんだこの人は。
「だ、だって、キョンシーの毒を治すなら童貞の尿が効くって!」
「な、なるほど……じゃなくて、嫌だよ!」
「私だって嫌ですよ! ですが背に腹は代えられません。ほら、早く脱いでください!」
美人な咲耶さんが俺のズボンを脱がそうとしてくる。
や、やめて。俺さっきから実は我慢してるんだから!
「鈴人くんのおしっこが欲しいんです! 早く出してください!」
「ちょ、大声出すなバカ! 人聞きが悪いだろ! この!」
学校では冷静沈着でお堅い人だと思われてるが、もうすっかりそんなイメージ無い。
「おいキョン子! なんとかしろ!」
「きょんっ」
「知らん顔するな! ほら、さっさと治せ」
ふんっ、と顔を背けるキョン子。俺は札を剥がして、動けるようにしてあげる。
すると渋々、嫌々、仕方なくといった感じで咲耶さんの腕に吸い付いた。
「ちゅる……じゅじゅ……ずずず……ちゅぱっ」
音を立てるくらい勢いよく毒?を吸い上げるキョン子。
咲耶さんが恍惚した顔になって、熱い息を吐き始めるとキョン子は口を離した。
腕はすっかり元通りになっている。
「あ、ありがとうございます……? 違いますね、あなたのせいでした!」
「細かい事気にするなきょん」
ひとまずは矛を収める二人。俺は近くの自販機でジュースを三つ買ってきた。
咲耶さんは一口飲むとため息を吐く。
「まったく、鈴人くんを狙ったのは間違いだったみたいですね。こんな用心棒がいるなんて反則です。というか、どうして人間とキョンシーが?」
俺はキョン子に視線をやって、キョン子がペラペラ話し出す。
魔界とか、契約とか、その他諸々。一通り話し終えると、
「なるほど、キョン子ちゃんは私と同じ魔界から来たってことですね」
どうやら出身が同じらしい。魔界は混沌としており、咲耶さんを含め食糧難となったサキュバスたちはこの世界に移住して生活しているようだ。
バーのマスターも向こうの人で、こちらの世界で生きていく拠点にしているのだとか。人間界を征服しようとかは無く、細々と共存しているらしい。
「キョンシー軍といったら一二を争う大帝国じゃないですか。あ、でもあなたはキョンシーのくせに弱っちいですね」
「お前に言われたくないきょん。ばーか」
「ふん、私たちサキュバスは戦闘狂じゃないんです。ばーか」
いがみ合う二人。口ではこう言ってるけど、多分打ち解けてると思う。
でも取っ組み合いを始めそうになったから俺が間に入る。
「えっと、咲耶さんはどうして俺を狙ったの?」
「え、普通に女慣れしてなくてチョロそうだったからですけど」
なんだろう。俺すっごく悲しいです。
「私たちサキュバスは甘い記憶や感情が好物なんです。恋愛してる時の言葉に出来ないモヤモヤとかですね。なので、短時間で自分に恋させて、全部食べちゃおうって感じです。あ、別に生気を全部吸い取って殺したりはしませんよ? 自分に惚れさせる術はたくさん持ってますけどねっ」
咲耶さんは小悪魔みたいに微笑んで、ウインクしてくる。
……確かに、俺は咲耶さんにメロメロになってたっけ。
「食事ってことか。じゃあ、ちょっと悪い事しちゃったかな? ごめんね」
「うふふ、平気ですよ。男ならこの世にたくさんいますし」
じゅるりと、唾液を啜る咲耶さん。肉食の顔だ。
「まあ、記憶や感情を食べると言っても全部奪う必要もないんです。ちょっとずつ食べれば誰も傷つきませんし、私たちも生きていけます」
「なら俺を落とそうとしたのは? あ、もしかして本気で俺に恋して?」
「わー、とっても面白い冗談ですね。かなりギャグセンスが高いとお見受けします」
「……ごめんなさい」
この人怖い。
「んふふ、その方が美味しいですからね。短時間で成熟させた恋は極上の蜜です。私は超可愛いですけど小悪魔なので、たまには人間も利用しますよ。それに童貞さんに夢を見せてあげるのは大事なお仕事ですっ」
ちくしょう、責められねえ。定期的に相手して欲しくなっちまうじゃねえか。
「俺の隣に越してきたのも?」
「ドキドキしましたよね? 夜な夜な妄想しちゃいましたよね?」
「え……いや、夜な夜なって……咲耶さんこそど、どうなんだよ」
「ふぇえええええええ⁉」
「あれ絶対動画だよね? 咲耶さんこそ俺を小馬鹿にしてるけどもしかして……」
「はっ、はぁー何をおっしゃいますか。わ、わた、私なんてヤリまくりに決まってるじゃないですか! サキュバスなのに経験ないから知識付けておこっかなーとか、そんなの全然思ってないですからね? い、いやだなー、これだから童貞さんの妄想は」
じー、っと、キョン子と俺が無言で見つめる。
どうやら、キョン子にもあの声が聞こえてたみたいだな。
「お、おっといっけなーいです! バイトの時間になっちゃったので行ってきます!」
わざとらしく狼狽すると、咲耶さんは顔を真っ赤にして逃げてしまった。
嵐のような波乱が過ぎ去り、俺はキョン子と二人きりになった。
「あ、あの……さ、キョン子」
なんだか顔を見れない。理由は分んないけど。
「助けてくれて、ありがとな」
あんなに悪態を付かれたのに、嫌われたと思ったのに。
それでもキョン子は知らない街を一人で歩き、俺を心配して助けようとしてくれた。
少し勘違いもあったけど、必死に俺のために動いてくれた事実が堪らなく嬉しい。
「別に……盗まれた財布を取り返したようなものきょん。リンがいないと生活できないし、退屈だし……契約だから仕方なく助けてやっただけきょん」
「そっか。さんきゅーな」
「きょん」
手を差し出すと、キョン子は微かに頬を染めた。
差し出した手を、キョン子は捕まえるように握ってきた。
仲直りの握手。
言葉にするのは素面では難しいけれど、俺の生活の一部にはもうキョン子が当たり前のように存在している。その日常が戻って来て、俺は嬉しい。
「帰るか」
握手した手を離すと、キョン子はちょっぴり寂しそうにした。でもすぐに隣に並ぶ。
きょんきょん鼻歌まで歌って楽しそう。こんなご機嫌なキョン子は久しぶりに見る。
「あ、そういえばキョン子ってやっぱ運動音痴なんだな」
「きょんっ⁉」
「だって、さっきの喧嘩? も子どもみたいだったじゃん。ボーリングも壊滅的だったし本当に最強のキョンシーなのか?」
怪力は実際に見たけど分かりやすい魔法とかは見ていない。
まあ、そのおかげで咲耶さんも無傷だからいいんだけど。
「む、信じてないの? もし本当に悪い奴らが攻めてきても助けてやらないきょん」
「そん時は俺が守ってやるよ。キョン子みたいに転んだりしないからな」
「きょおおおおおおおおおん!」
ははは、と笑い合う。うん、悪くない。
ただ……俺とキョン子は、盛大なフラグを立てたことに気づかなかった。




