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夕陽亭そば勝負  作者: 杉下栄吉
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麻雀した後の昼飯 森六

3、麻雀した後の昼飯 森六

 新採用から1年たった時、引っ越しをした。最初の下宿は5つ部屋が並んでいたが杉下以外はすべて女性だった。いっしょに晩ごはんを食べに武生まで車で行ったこともあったが、男女ということでなかなか難しいところもあったので、3月の異動の時期に今立町教職員寮に空き部屋が出たので入居した。

若い先生たちばかりが8部屋に分かれて住んでいた。食事はみんな個別に作って食べていたが、中学校の先生たちは8時過ぎでないと帰ってこないので、小学校勤務の杉下の部屋で作っておいたカレーを食べるようなことも増えてきて、週に1回は杉下の部屋で夕食会になった。平日は作るのがめんどうくさいのでみんなで車に乗り合わせて武生まで出て外食をして帰りにはパチンコ屋に寄った。

 男が8人も集まると週末は何して遊ぶかが楽しみだった。杉下は大学生時代に大学にいる時間よりもマージャン荘にいた時間の方が長かったほどマージャンに打ち込んでいた。同じような先生が3人いて、毎週のように土曜日の夕方から杉下の部屋に集まった。メンバーが足りない時は学生時代からの仲間を呼んで、日曜日の朝まで打った。朝方まで麻雀してそのまま部屋で寝込んでいると、11時ごろにお腹がすいて目が覚める。

その日は芦原から金井君が来ていた。金井君は大学時代一緒によく麻雀した仲間で、地元は大野だが新採用が芦原だった。芦原に下宿していたが、週末の土曜日、5時ごろには今立まで来てくれた。せっかく今立に来てくれたので今立の名所を案内しようという事で、朝食を兼ねたお昼ご飯に「森六」へ連れて行った。

 「森六」は福井県内のそば通にはもっとも有名な店の一つで、古めかしい店の外観は江戸時代から続く歴史を感じさせる。店内は大きな丸テーブルと小上りがあり、総勢15名で満員。丸テーブルは相席で座り、注文をしてから麺を茹でるので、少し時間がかかる。駐車場は店から2軒ほど離れた場所にあり、台数は5台ほどでいっぱいになった。

 杉下たちが12時近くに4人で訪問すると、大野育ちの金井君が「おろしそば5つ」

と注文した。金井君は大野市の市街地の出身で、近くにおろし蕎麦で有名な蕎麦屋も多数あるらしい。要するに杉下のような田舎者ではなく、小さいころから蕎麦屋でおろしそばを食べてきたという事である。杉下は

「5つも食べれるのかな?それに1杯350円だから1750円もするよ。」

と聞くと

「おろし蕎麦は食事ではなくて、3時のおやつのようなものだから1杯の蕎麦の量は少ないんだよ。お腹が減ってるときは5杯くらい食べないと満足できないよ。」

と言っていた。一緒に行った中学校勤務の八木さんも角田さんも同意して全員が5杯ずつ頼んだ。しばらく店内を眺めているとこの店はおろし蕎麦とおろし蕎麦大盛りしかメニューがなかった。

杉下が「おろし蕎麦しかないってすごいな。おろし蕎麦だけでお客さんが来るという事はそんだけ有名なんだね。」

と驚いていると、八木さんが

「あそこの張り紙には『蕎麦がなくなり次第閉店します』と書いてあるぞ。」

と教えてくれた。角田さんは

「この店は朝準備した蕎麦がなくなると3時でも4時でも閉店すると聞いたよ。」

と言っていた。

そうこうしていると店の女将が

「おろし蕎麦20杯でよろしかったですか。」

と言って大きめのお盆で何回かに分けてきれいなお皿に入ったおろしそばを運んできた。大きな丸テーブルの半分は20杯のおろし蕎麦でいっぱいになった。お皿は平皿で九谷焼と思われる鮮やかな色の蕎麦ざらが使用され、中の蕎麦はごつごつとした田舎蕎麦で食べ応えがありそうだ。薬味は大根おろしと刻みネギと鰹節、七味唐辛子はかなり上等な唐辛子がテーブルに準備してある。だしは既にかけてあり、蕎麦の風味はこれ以上ないくらい香っている。

最初の1杯を食べ始める。箸立てに刺されている割りばしは安物ではなく、日本製の間伐材を利用したしっかりしたものが利用されている。その割りばしで全体の蕎麦とだしと大根おろしをまんべんなくかき混ぜてから、最初の一口分を掬い取って口に運ぶ。冷たい水でしっかりと〆られていて、歯ごたえがあり、ゴムを食べているような感覚すらある。蕎麦の香りが口から鼻に抜けて香ってくる。しかも大根おろしの辛さはそばの風味を引き立て、冷たい状態で食べるのはこの大根おろしの辛さが蕎麦の風味に合うためだという事がはっきりとわかった。

あっという間に1杯目を食べ終えた。蕎麦の香りも素晴らしいが、この店のだしは特に素晴らしい。甘すぎず辛すぎず、だしがしっかりきいている。全部飲み干して2杯目に入ろうとして横を見ると金井君は1杯目の食べ残しのだしを飲み干さず、次の2杯目に継ぎ足している。

「そんな方法もあるのか。」

と感心して次はやってみようと思いなおし、2杯目に入った。2杯目は唐辛子を少し多めにしてみた。唐辛子の辛さと大根おろしの辛さ、お互いに違う辛さだが、強烈な刺激が蕎麦のインパクトに負けない強さをもたらす。

2杯目を食べ終えると3杯目の皿に残っただし汁を継ぎ足して食べ始めた。今度は唐辛子を入れずに食べてみた。2杯目の残り汁から唐辛子が入ってしまったので、唐辛子の辛さも残っていた。しかし少なめの唐辛子でも大根おろしの味がしっかりしていておいしい。

3杯目を食べ終わったところでおかみさんが蕎麦湯を持ってきてくれた。

「これはどうやって飲むのがおいしいんですか。」

と聞くと、

「そのまま飲んでもいいですが、残っただし汁をお好みで混ぜていただいてもおいしいと思います。」

と教えてくれた。やってみようという事でみんな出てきた蕎麦湯のそば猪口に3杯目の残っただしを入れて飲んでみた。ドローとした感触だがほのかな甘みがあり、蕎麦からでるたんぱく質が解け出た栄養素を感じる味だ。

最後には4杯目と5杯目を一気に食べて、お腹がいっぱいになった。ビールも飲まず蕎麦だけで満足した。支払いの段階で1750円は高いなと思った。でも、今立に赴任してこの地の代表的なお店を訪れたことはその後の杉下に大きな影響を与えた。

 その年の大晦日、実家に帰るときに「森六」でテイクアウトのお蕎麦を持って帰ることにした。杉下は実家の母に

「今年の年越しそばは僕が今立で買ったやつを持って帰るからね。」と電話で伝えておいた。「森六」には電話で8人分を注文した。兄と姉は既に結婚して家を出ていたので、4人家族で2杯ずつの計算だった。31日のお昼ごろ「森六」さんへ行くと店は臨時休業でお持ち帰りのみの営業だった。

「電話しておいた杉下です。」

というといつもの女将さんが

「杉下さんですね。今準備します。」

と言って店の小上りに広げてある薬味の袋詰めとだしの瓶づめを準備し、麺も袋詰めされた8人分をまとめて大きな袋に入れてくれた。はいどうぞと渡されて支払いの段階で

「350円の8人分 2800円です。」

と言われた。だしから薬味、ねぎすべてそろっているので仕方ないが、店で食べないのに定価なんだなとちょっと思ったが、待望の森六の年越しそばである。黙って2800円払って家路に急いだ。

家に着くと蕎麦類を冷蔵庫に入れたが、そばを茹でることがうまくできるかが心配だった。物は福井県でも有名な森六の商品である。出来るだけ大きな鍋でたっぷりのお湯でゆでる必要がある。そう思い、母と一緒に蔵の2階まで行ってできるだけ大きな鍋を探した。古い家では冠婚葬祭や法事を家で行ったので、こういう道具は意外とそろっていた。

夕方になり夕食の準備が始まると大鍋でお湯を沸かし始め、蕎麦の準備をした。家庭用のガスではお湯を沸かすのにずいぶん時間がかかった。30分くらいかかったがお湯が沸くと、いよいよ麺ゆでである。子供のころは麺ゆでに竹で作った麺ゆでざるがあったが、今はもうない。金属のざるを使ってすくい上げることにしたが、とりあえず麺を3人分くらい入れてみた。一気に温度が下がりグラグラ煮立っていたお湯が落ち着いたが、大きな鍋なので温度低下は少なく済んだ。すぐにお湯が沸き立ち、対流するお湯の中で麺が踊った。いい調子である。何分間茹でるかは難しい。父が

「蕎麦の茹で具合は湧き上がってきたらさし水をしてもう一度吹き上がってきたら終わりというのが昔から伝わっている。」

と言ってきたが、信用ならないので、結局は1本、あげて食べてみることにした。袋ゆで麺と違って1本1本が太くてしっかりしているので、慎重に茹でないと固すぎるので、実際に食べて確認することにしたのだ。食べてみるとまあまあよさそうだったので、金属製のざるを鍋に入れて麺全体を掬い取った。ここからは時間勝負。大きめのボールにざるごと入れて、水道から冷水をかけ、何回もごしごし洗った。ゆであがった麺が再びしまって硬さが復活した。我が家に代々伝わると思われる九谷焼っぽい蕎麦ざらに3食分をとりわけ、「森六」で買ってきたペットボトル入りのだしつゆをかけ、大根おろしとねぎと鰹節をふりかけた。大根おろしとネギは家で作ったほうが新鮮でおいしいので森六の物は使わなかった。

最初にできた3人分は父と祖母と母が食べてくれた。父は

「これはすごいな。麺のこしが違うわ。」

と言ってびっくりしてくれた。祖母も

「これはうまいわ。蕎麦屋の蕎麦やな。」

と言っていたし、母は

「こんな固い蕎麦は食べたことがないわ。」

と言っていた。次の3人分は父と祖母と杉下本人である。母は次の2人分を作る準備をしてくれた。自分でゆでて作った蕎麦は格別だった。父は

「蕎麦はやっぱり打ちたてゆでたてやな。」

と言ってくれた。杉下は心の中で

「打ちたては違うな。」

と思ったが黙っていた。ただ、

「打ち立てだともっとおいしいのかな。」

と思い、粉から作ってみたくなっていた。蕎麦屋を始めてみたいという思いはこの父との会話がきっかけだったのかもしれないと杉下は感じていた。


 主人の話に聞き入っていたご婦人たちは森六の大きなテーブルに並べられた20皿の蕎麦を連想して笑っていた。

「私も森六は行ったことあるけど、ゴムを嚙むような固い麺だったわね。森六さんは観光客が多かったけど、そのころもそうだったの。」と聞いてきたので

「その当時も蕎麦通たちは森六にたくさん来ていたと思うけど、その当時はまだ、県内の人が多かったと思います。今は県外客が大勢来ているみたいですけどね。最近は海外の人も多くなってます。」

と答えると、べつのご婦人は

「森六のお持ち帰りの蕎麦が初めて自分で茹でる蕎麦なんて贅沢と言うか、貴重ですね。」

と言ってくれたが主人は

「今考えると、麺が太くて腰が強かったので、初心者には茹でるのが難しかったでしょうね。よくわからずに茹でてましたけど」

と当時のことを思い出した。


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