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夕陽亭そば勝負  作者: 杉下栄吉
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開店1年前の準備作業

12、開店1年前の準備作業

 開店1年前の春が来た。勝山の豊田家の大きな畑に的川蕎麦を植えてもらうために20キロの種を雪がまだ残っているうちに持って行った。杉下家では第2農場のほうに小麦を撒くために畑をトラクターで耕し始めた。小麦の栽培は県立大学の町田先生が専門なので町田先生を訪ねて栽培方法をしっかり教わってきた。小麦の種類は彼が開発した「ふくこむぎ」を使用することになった。ふくこむぎはおいしい小麦で福井の気候に合っているとのことだ。地元ではラーメン屋さんがふくこむぎラーメンを開発したり、洋食レストランではふくこむぎのケーキを開発したり、いろいろなところで使われるようになっている。

 雪が消えた3月末、いよいよ小麦の栽培が始まった。ファームの3人と妻が集まって、小麦のまき方を話し合っていると、駐車場に1台の車が止まった。降りてきたのは町田教授である。ふくこむぎ育ての親としてかなり有名な人物だが、合唱もするしギター片手に弾き語りでライブ活動もしている。大学教授もしているシンガーソングライターと言う感じである。数日前に今度の土曜日に種まきをすると言ったので見学に来たのかもしれない。車から降りるなり

「杉下さん、やってますか。種まきはその前の土づくりが肝心なのでちょっとだけ心配で見に来ました。」

と大きな声で現れた。杉下は浅岡先生と井上先生を紹介したところ「3人で畑をやるというのはいいアイデアですね。畑の草取りなんかは1人ではやってられませんからね。僕なんか大学の農場では学生たくさん連れて行って皆でがやがや騒ぎながらやるから、草取りも楽しみながらやってますよ。」

と笑いながら言っていた。

「ここですね、今からふくこむぎを撒くのは。いいですね。土の状態もしっかりと起こしてあって、土の粒の大きさも細かくなってます。いい状態だと思います。この畑の広さはどれだけですか。」

「ほぼ500平米です。」

と答えると

「1平米あたり10g、500平米で5000g、5kgを均等に撒いてください。手のひらにひとつかみ取ったら目の高さにおおきく広い範囲に撒いてください。」

と心得を教えてくれた。井上先生が先陣を切って第一投をすると、堰を切ったように浅岡先生も杉下も妻も勢いよく撒き始めた。わずかな農地なので五分ほどで巻き終わってしまった。町田先生は

「九月ごろに収穫です。頑張ってください。それからこの間の蕎麦ですけど、50本だけいただいた蕎麦の苗、うまく育ちまして種は大切に保管させていただきました。あの種いいですね。蕎麦の実だけを手にとった瞬間の蕎麦の香りがほかの蕎麦と随分違います。あれは一級品だと思いますよ。今年はどこで栽培するんですか。」

と聞かれ

「実は私の義理の兄が勝山で大きな農家をしているのでそこで栽培してもらい、実にするところまでしてもらうつもりです。」

というと

「それはいいですね。勝山は蕎麦の本場です。いい蕎麦ができることを期待しています。」

と言って帰っていった。

 蕎麦、小麦、大根、唐辛子などをそれぞれの場所で頑張って育てた夏を越えて、秋がやってきた。勝山では蕎麦を収穫していただき、脱穀が終わり蕎麦の実が600kg程度取れたという連絡が入った。後日持ってきてくれるという事になった。小麦は杉下家の畑で黄金色に実った。刈り取りは自分ではできないので、同じ畑を分けてやっている杉本さんがコンバインを使って収穫し、その場で実を袋詰めしてしまうところまでやってくれた。袋に入った小麦の実は米と同じように乾燥機にかけ、籾摺りをして小麦の粒を作る。最後粉にする段階は米よりも蕎麦に近い。米は粉にせず粒のまま食べるほうが多いが、小麦と蕎麦は粒よりも粉にして食べるほうが多い。その形状によるのだろう。杉本さんで粒にしてもらったものを粒のまま保管し、店を開店する時に合わせて粉屋さんで少しずつ粉にしようと考えていた。

 10月15日には豊田家から蕎麦の実を軽トラックに載せて運んできてくれた。600kgは米で言えば10俵、小麦は150kg収穫できたので二八の割合から言えばぴったりであった。蔵に蕎麦の実を運び入れながら豊田憲明さんにお礼を言い、蕎麦を栽培していただいたお礼として30万円を支払った。豊田さんには来年度分の種として別に30kgを保存してもらっている。来年度も栽培してもらう事をお願いした。

 蕎麦店開店に向けて、おいしい蕎麦にするために、そして蕎麦打ちの技能を上げるためにも、練習しなくてはいけないので、とりあえず蕎麦粉8キロ、小麦粉2キロを粉にしてもらうことにした。毎年蕎麦粉を買っていた高橋製粉にお願いすることにした。高橋製粉所へ電話すると

「蕎麦と小麦の製粉ですね。毎度ありがとうございます。喜んでさせていただきます。いつでも当社にご持参ください。」

と喜んでもらえた。

後日、蕎麦の実と小麦の粒を持っていつもの高橋製粉を夫婦で訪ねると、工場からいつものおかみさんが出てきた。おかみさんが蕎麦の実を見ると怪訝な顔をした。見たことのない蕎麦の実に驚いたのだろう。すぐに旦那さんと思われる社長を呼んで蕎麦の実をしげしげと眺めていた。社長は

「この蕎麦は杉下さんのところで栽培されたんですか。何と言う品種ですか。」

と質問してきたので

「私の勝山の親戚のところで栽培してもらったんです。品種は的川蕎麦と言います。50年ほど前まで永平寺町浄法寺地域で栽培されていた品種らしいです。小粒で香りが強いという事なので復活させようと思って栽培しました。」

というと

「なかなか素晴らしいですね。50年の時を越えて復活する伝統の蕎麦の味という感じですかね。心を込めてひかせていただきます。30分ほど待っていただければ仕上がりますがどうしますか。」

と言うので

「それでは待たせていただいて作業工程を見させていただいていいですか。」

とお願いして工場の中に入らせていただいた。入るにあたって給食当番のような白衣と頭にかぶる帽子、マスクと白い長靴で異物を持ち込まないような格好をさせられた。

 工場に入ると大きな機械が所狭しと置かれていた。その中で群を抜いて目立つのが石臼の粉ひき機だった。かなり大型の石臼が設置されていて、しかも米粉用と小麦粉用と蕎麦粉用と別々になっていた。石臼の中まで清掃することは難しいので、別のお客さんの商品が混じらないように分けているのだろう。しかしどうしても同じそば粉同士だと前のお客さんの蕎麦粉が何グラムか混じることは仕方がないのだろう。

 社長が手際よく8キロの蕎麦の実を石臼の上のロート状の投入口にセットしてスイッチを入れた。こころよい石臼の音を鳴らしながら回転し始め、石臼の間から外側の殻と粉が出始めた。最初に出てくるのが一番粉、端粉とか花粉とかいう事もあるが、たんぱく質が少なく、蕎麦打ちするときの打ち粉として利用することが多い。打ち粉が終わると本格的な蕎麦粉が出てきた。8キロ程度ではうまくいかないかもしれないが、毎年利用する常連という事でやってくれている。あっという間に蕎麦粉が挽けた。同様に小麦を2キロ挽いてもらった。これは小麦粉専用マシンでやってもらったがもっと早かった。挽く粉の量が少なすぎて前に挽いた利用者の粉が少し混じっているかもしれないが我慢しよう。挽くことで出来上がった粉は8割程度に少なくなったが、これは仕方がない。米でも精米すると大幅に重量が減ってしまう。夫婦で製粉工程を見て、蕎麦粉が出来上がるために多くの人の手が関わっていて、その人たちの思いが蕎麦粉に込められている気がして、丁寧にやらないといけないなという思いを新たにした。そして意気揚々と挽き終えた粉を持って高橋製粉所をあとにした。


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