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番外編 ブラン・ブノワと平凡で善良な先輩(四)

 幾つかの季節が過ぎ去り、そうして物事の終わりは呆気なく来てしまった。



 レイモンが所用で実家に帰った翌日、ブランから飲みに誘われたのだ。

 

「先輩、きっともう一緒に飲みに行けるのも、これで最後ですから。どうかこの一杯は僕に奢らせて下さい」


 明日からは夏の祭りが、貴族も平民も三日三晩楽しむ宴が開催されるから、飲みに行くのならばきっと明日のほうが最適だった。

 けれどもそれは出来ないことを、レイモンは知らされていたし、ブランも知っているようだった。


「……ブラン」


 行った先は、すっかり常連になった食堂だった。

 眉を寄せ、少しばかり寂しそうに笑ったブランは、店主に頼んで奥から瓶の酒を持って来させた。コップに注がれたそれは、甘く飲みやすい口触りで、ついつい杯を重ねてしまう。

「このお酒に合うのは、これです! 燻製肉に、それからこれとこれ合わせて…」

 勧められるがまま、差し出された料理を口にする。さすがブランが勧めるだけあって、どれも美味しくて、食べ過ぎてしまった。

 懐かしい思い出話に花を咲かせて、店主に呆れられる程に陽気に騒いだ。店主も何らかの事情に気付いているのか、それに怒る事もなく。

 そうして気が付いた時には、ブランに肩を借りて馬車に乗り込む所であった。


「……ブラン、お前と過ごすのは、楽しかったよ」


 レイモンは明日は非番だった。同じ部隊に組み込まれているブランもまた、非番だった。だから多分、街で会ったら飲んで騒ぐのだろうと、そう思っていたのに。

 貴族の権力争いとは無縁なレイモンだったが、成人をとうに越えた今、初めて巻き込まれたのだ。

 元々、成金貴族だと悪しく言われ、夜会で淫らな行為に明け暮れるふしだらな女の弟言われ、散々な評判だがしかし、ブランは時折サボったりするもののまともな職務をこなしていた男だった。

 過剰な賄賂を要求したりせず、平民や貧乏貴族と蔑んだりせず、他者に対して威張ったりなどもしない。


 良い奴だなあとレイモンは思った。


 別にブラン・ブノワが聖人君子だとは思っていない。だがレイモンにとっては、ブランは良い後輩でいた。だからこそレイモンは、ブランに対して良き先輩でいようとしたのだ。

 

「先輩、どうかお元気で。……貴方は僕に親切にしてくれました。僕はこれでも、受けた恩を忘れたりしないんですよ」


「ああ、お前も。……元気でな」


「今生の別れでもないのに、面白い事を言いますね。先輩」


 それではと、ブランは目を細めて笑った。相変わらず、本当に笑っているのかどうか、よくわからない男だったが。

 少なくともレイモンはブランに対し、友情のようなものを感じていたし、ブランもまた同じ様に思ってくれていたらしい事はわかった。

 どこか暖かい気持ちになり、レイモンは酔いからくる眠気に身を任せたのだった。


 ああ、よい夜だった。楽しい思い出が出来た。

 もうブランとこうして飲みに行く事はできないだろうけれども。


 レイモンの実家は、第二王子レオナールに付いたのだ。皇太子派のブノワ家とは、付き合いを続けるわけにはいかない。

 なによりブノワ家は、これから罪に問われるのだから。良くて爵位の剥奪、財産の没収だろうか。ブランを捕縛する事はないだろうがしかし、友人のような存在の彼の没落を、傍観しなければならなかった。

 レイモン如きが、何をしても変わらない。

 けれども、それでも、レイモンはブランに言わずにはいられなかったのだ。


 この先はもう決まっている。

 レイモンは明日も同じように騎士としての任務を遂行し、生きていくだけだ。一緒に飲みに行く気やすい後輩がいなくなっただけ。



 そう、それだけだ。




 だがしかし、夜が明ける頃、レイモンの現実はそうはならなかった。

 強烈な腹痛に襲われ、レイモンはベッド上で呻き声を上げた。動けない程の痛みに、額には脂汗が浮く。何が起きたんだと困惑していると、喉の奥から何かが迫り上がってきて、堪らず吐き出した。

「……がっ…はっ…っ!?」

 水音と共に出てきたのは、真っ赤な血だったのだ。くらりと目眩がして、何が起きたのかわからないまま、レイモンは意識を失った。

 そうして魘されながらも、ようやくはっきりと目覚めた時には、自身が救護院に担ぎ込まれた事を知った。


「食当たりですね。食べ合わせが悪かったんでしょう。体力も落ちているようだし、しばらく療養が必要ですね」


 医者からの説明に、レイモンはいまいち現実を受け入れられそうになかった。何せ、特別な物を食べたわけじゃない。いつものように騎士団の詰所で出された昼食を食べ、そして夜は行きつけの食堂で酒を飲んだだけだったからだ。


「昼食の内容と、夕食の内容と、それから飲んだという酒と料理の全ての食べ合わせが、とても悪かったんですよ。まさに、最悪な奇跡です」


 こんな事ってあるんですねと、医者が苦笑いしている。

 その最悪な奇跡とやらは、レイモンの内臓を著しく弱らせた。結果、体は回復せず、一時的とはいえ騎士として働けなくなってしまった。

 そうなるとだ。レイモンは、呆気なく退団を申し渡された。年齢がそれなりに高く、そして下っ端でしかないレイモンを引き止めようとする人間はいないのだ。まあブランと仲が良かったというのも加味されているだろうけれども。

 多少なりとも療養費だといって金が渡されたので、その金と貯金を持ってレイモンは王都を離れる事にした。

 騎士団が借り上げている宿舎に住んでいたから、退団してしまうと住む所がなくなってしまう。困り果てていたレイモンを見舞ってくれた行き付けの食堂の店主が、自身の故郷は気候も暖かく療養にもピッタリだと言い、親戚の家を紹介してくれたのだ。

 とんとん拍子に処遇が決まり、レイモンは意識を取り戻してから三日ほどで、荷馬車に揺られ王都を後にしたのだった。



 荷馬車に揺られたどり着いた先で、レイモンが目減りする貯金と睨めっこしながらも療養しているうちに、いつの間にか王都では皇太子が代わり、実家からは縁を切られていた。

 何のしがらみもなくなったレイモンは、居心地の良い療養先で暮らしていこうと決心し、世話をしてくれた店主の親戚の娘と懇意になり、結婚したのだった。

 目の前に海が広がり、あたたかな風が吹くとても良い土地だった。

 大きな港があり、諸外国と貿易をしているそうで、字を書いたり計算の出来るレイモンは重宝され、騎士でいた頃より稼げるようになった。人生とはわからないものである。






 妻との間に子供が出来た頃、王家が主導した事業が大失敗し、皇太子や高位貴族の乗った船が海に沈むという大事件が起きた。しかもそれが原因で、王都では王宮に人が雪崩れ込み、何百人もの死者を出したという。

 もしあのまま騎士でいたのなら、レイモンもまた命を落としたに違いない。何せ王宮に入り込んだ暴徒は、王を広場に引き摺り出すと、斬首したそうではないか。付き従った騎士も例外なく殺したというから、相当にひどい状況であったのだろう。

 レイモンはあり得たかもしれない己の未来に、ブルリと体を震わせた。


「アンタ、本当に良い時に騎士を辞めれたわよね」


「追い出されただけだけど」


「それでも良かったじゃない。こっちの方が、暮らしやすいでしょ」


 赤ん坊をあやしながら、妻が笑う。その通りだったので、レイモンは曖昧に笑みを浮かべるしかできない。

「今日は外国へ出る船が何隻かあるんでしょ。忙しくなるわね」

 レイモンの最近の仕事は、出港する船の荷物の管理だ。目録と見比べて、キチンとそれが船に積まれたかを確認するものだ。

 通常ならばそこまででもないが、最近は他国へ亡命しようとする貴族を厳しく取り締まる動きがあったのだ。

 新政府から派遣された代官は、特に諸外国へ向かう船の乗客や荷物に目を光らせている。

 先日、レオナール皇太子の妻達とその家族は隣国へ亡命したと新聞に載っていたので、きっとそのせいだろう。新聞にはリチャード大公を王に据えるべきだと書かれてもいた。

 それを見て、もし本当にリチャードが王になったら、すぐに殺されてしまうのではないかと、レイモンは思った。なにせ新政府を樹立した人間達は、少しでも気に入らないことがあったら、平民差別主義者だなとかなんとか難癖をつけ、貴族どころか裕福な商人まで監獄に入れ処刑しているそうなのだ。

 大惨事を引き起こしたレオナールの兄であるリチャードを王として受け入れるだなんて、到底無理なことのように思えたのだ。

 もっともレイモンは、貧乏貴族ですらなくなったので、新政府に対して何か言える立場でもない。


 厳しい視線を向ける代官の近くで、船に積む荷物と目録を確認していた時、それに記載されていない馬車がある事に気が付いた。

 小型の馬車だが、それなりにしっかりした造りの物だった。最新の流行のものでもないしと首を傾げつつも、代官に何か言われる前にとその中を確認するため扉に手を掛けた。

 こうした馬車や大きな箱の中に、美術品や金塊などを入れて持ち出す金持ち連中がいるのだ。

 レイモンとしてはその辺は勝手にやってくれと思うのだけれども、船が揺れて傷付いただの盗まれただの、後から文句を言ってくる輩がいる。

 だから船に積み込む前に中身を確認し、何があってもこちらは責任を負わないという契約書を持ち主と交わさねばならなかった。


 馬車の扉を開けると、中には何もない。

 ごく普通の馬車の内装で、レイモンはさらに首を傾げた。わざわざ船で運搬などせず、現地で購入もしくは作らせればよいのに、金持ちの考える事はよく分からない。何かしらの拘りでもあるのだろうかと、徐に馬車の座席に触れた時、少しばかりそれが動いた気がした。

 座席の立て付けが悪いのかと揺らしてみると、実にあっけなく外れてしまう。壊してしまったのかと焦るが、それを持ち上げた瞬間、レイモンは息を呑んだ。


「チャオコーリー夫人、素敵な思い出話をありがとう」


「いいえこちらこそ、私のお話に付き合って頂いて、嬉しかったです、代官さま。この馬車は私と主人の思い出の品なのですわ。ふふ、だから私の我儘で、ハイロンに持ち帰る事にしたのです」


 話し声が聞こえて来て、レイモンは慌てて馬車の扉を閉めてふり返った。そこには代官と親しげに話す女の姿があった。


 癖のある黒い髪に、憂いを帯びた垂れた目尻に、黒子が二つ。肉厚な口元にも黒子が一つ。豊満な胸に、くびれた腰。一度見たら忘れられない、艶かしくも美しい女。


 間違いなく、そう間違いなく、彼女はショコラーテ・ブノワだった。


 呆然とするレイモンに、代官が険しい顔をして何か問題でもあったのかと声を掛けて来た。

「それはこちらのチャオコーリー夫人の馬車だ。下手に触ったりするんじゃない」

 名乗った名前は、知らぬもの。けれども間違いなく、日傘を差して優然と微笑む彼女は、ブランの姉のショコラーテだ。

 だってレイモンは、鍛錬場で実際に彼女の事を見ていたから、知っているのだ。

 固まっているレイモンに、チャオコーリー夫人と呼ばれた女は、にっこりと笑って言った。


「あらまあ、何か問題でもありまして? その馬車の中には、内緒で絵画や金塊など、積んでいませんわよ」


 冗談めかして笑う夫人の横で、少し焦った様子の代官がレイモンのそばへと足速にやってきた。

「それに関しては私も確認している。馬車の一台、目録に追加しておけ。…それから、彼女はハイロンの豪商の娘さんだ。荷物は丁重に扱うんだぞ」

 チャオコーリー夫人は美しい笑みを浮かべてレイモンを見ていた。目を細めているから、本当に笑っているのかよくわからない。ああブランにそっくりだなと思いつつも、レイモンははいと頷いたのだった。



 日傘をさして船へと乗り込む彼女は、隣に立つ夫らしき男を甲斐甲斐しく世話をしながら乗船していく。夫の方はどこか怪我をしているのか、まだ若いだろうに杖をついて歩いていた。

 彼女達の向かう先は、隣国の植民地である東洋の島国ハイロンだ。ここからはとても遠い。船が出港してしまえばもう、新政府が樹立したばかりでボロボロなこの国の人間は、追う事が不可能だろう。


 船が動き出し、だんだんと沖へと向かっていくのを、レイモンはただただ見詰めていた。


 レイモンは結局、チャオコーリー夫人の馬車の中で見た事を、誰にも言わなかった。彼女と代官が言った通り、馬車には高価な美術品や金塊は、なかったからだ。

 だが取り外せた座席の下には、別のものが潜ませてあった。


 そこに居た、その顔を、レイモンは知っている。


 この場にいる誰もが知らなくとも、知ることはなくとも、レイモンは覚えていたのだ。


 生まれて初めて、高貴なる血筋である王族と話したのだ。貧乏伯爵の三男が、皇太子殿下と言葉を交わしたのだから、忘れられる筈がなかった。


 あれは鍛錬場に皇太子がやって来た時の事。

 ブランと知り合いらしく、会話しているのを見ていたら、何故かレイモンにも声を掛けられたのだ。ブランと良い先輩後輩の関係を築いている事を驚かれ、少し話をしてみたいと言われたのである。


「あの女も弟も、あそこの家の人間はすべて恐ろしい。レイモン、お前はそれをわかっていないから、ブランと友人で居られるのかもしれないな」


 それが、かつて皇太子だった彼からの言葉だった。

 そうなのだろうか。そうなのかもしれないが、レイモンにはわからない。わかっているのは、ショコラーテは美しい女で、ブランは可愛い後輩だったという事だけだ。

 それ以上の事は、レイモンには必要もない。


 あの馬車には、他にも何人か居た。

 きっと、リチャード大公と一緒にいた側近達に違いない。どうせこの国に居たところで、彼らを待ち構えるのは戴冠の後の断頭台だろう。ならば逃げて、どこかで暮らした方がいいとレイモンは思う。貴族だからだとか、王族だからだとか、そんなもの、生きるか死ぬかの時には関係ない。


 たどり着いた先で、心穏やかに過ごせれば良いなと、レイモンは船が見えなくなっても、ずうっと海を見ていたのだった。





「ああアンタ、やっと帰って来たのね」


 家に帰ると、妻が赤ん坊を抱いて待ち構えていた。何かあったのかと聞くと、今から妻の父親が訪ねてくるのだそうだ。

 妻の父親はレイモンの職を世話してくれた、この港町で運送業を営む商会の会長だった。ちなみに王都で店を営んでいる店主の兄なのだそうだが。

「父さんが仕事の事で話があるんですって。悪い話ではないそうよ。でも何かしらね」

 昼間の事で何かあったのかと一瞬身構えたが、妻の言葉にすぐに違うようだと安心する。

 少しすると義父がやってきて、商会の支店を作る予定である事を話してくれた。

「それで、その支店を任せたくてな。本音を言えば、この国は色々とガタガタになっちまっただろう。だから支店に身内がいれば、いざという時そっちに逃げる事もできるし、その逆もしかりなんだ」

 新政府に対して思うことがあるようで、妻は義父の話に目を輝かせていた。新天地へと向かう事には大賛成らしい。

「お前達だけじゃ不安だろ。だから私の弟、ほら王都で店を出してたあいつも一緒に行かせるよ。王都の治安はかなりひどい状態らしくてなぁ。新天地で店を開くって意気込んでいるんだ」

 どこか他人事のように聞いていたレイモンは、取り敢えず聞かねばならぬ事を義父に訊ねた。

「あの、その支店を出すのは一体どこにですか?」


「ああ、ハイロンだよ」


 王都で発行されている新聞を届けるという取引のある商会の主人が、色々とハイロンの情勢を教えてくれるという。

 一時期は魔都ハイロンだなんて呼ばれる程の治安だったが、新しい知事の働きによりだいぶ改善されたのだそうだ。

「余りにひどいようだったら戻ってくれば良いだけだし、試しに行ってくると良い」


 義父と妻の笑顔に、レイモンは頷くしかなかった。




 ちなみにレイモンはその後、王国の地を再び踏む事なく、ハイロンで一生を過ごしたという。

 なにせハイロンには、行き付けの食堂もあったし、畏れ多い友人が何人も出来てしまったし、それから一緒に飲み歩く後輩もいたので。

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