報告
帝都ニガリに到着したスランは、官舎に割り当てられた自分の部屋に荷物を置くと、使い魔ガドを連れてすぐさま、上級魔導士ハツカダンの元へと向かった。ハツカダンの執務室の前には、数人の魔導士が、それぞれ美人の使い魔を侍らせながら、夕日が差し込む廊下で椅子に座って待っていた。スランに気がつくと一人の魔導士が嘲り始めた。
「おい、平民魔導士、戦地はどうだった? 敵の捕虜になったそうじゃないか。どの面下げて戻って来た。この裏切り者め!」
他の魔導士たちもスランと彼の使い魔を見ながら、バカにしたように笑い始めた。
「捕虜になったことは事実ですが、私は帝国を裏切るような真似はしていませんよ。もし、裏切っていれば、今頃廃人です」スランは淡々と答えた。スランにとって、いつも通りの日常が再び始まろうとしていた。嫌がらせの毎日だ。
「敵の捕虜になってしまう間抜けな魔導士が存在すること自体が、我々に対する裏切り行為だ、このクズ! 満足に使い魔も作れないくせに、平民の分際で魔導士になりやがって! ポータルを開いて逃げることさえ思いつかないのか間抜け!」周囲の魔導士も一緒になって騒ぎ始めた。
(地面や壁に繋がれているときにポータルで逃げたら、体がバラバラになっちまうだろうが……間抜けはお前らだ)スランは思った。
スランが黙っていると、最初に絡んできた魔導士が薄笑いを浮かべながら近づいてきた。何かする気なのだろう。彼がスランに向けて何か言おうとした瞬間、ハツカダンの執務室の扉が開いた。板金鎧に身を固めた美しい使い魔が扉を支えている。そこから、面談の終わった魔導士と使い魔が一組出てきた。
「次、魔導士ソワソン殿、中へ」扉を支える上級魔導士ハツカダンの使い魔が透き通るような美しい声で呼びかけた。
「チッ……」スランに向かってきた魔導士は、舌打ちをすると扉に向かった。
ソワソンが扉に吸い込まれていくのと入れ違いに、面談が終わった魔導士が使い魔を後ろに従えて、こちらに向かってくる。
「薄汚いネズミが……」
すれ違いざまに、その魔導士はスランを罵倒した。
(いつも通りの日常が帰ってきたな……)スランは、罵倒した魔導士の後ろ姿を見ながら思った。背後からも、先ほどまでスランを嘲笑っていた連中の残酷なクスクス笑いが聞こえてきた。
(これが現実だ。できれば退官したい……自由になりたい!)
家督を継承できない貴族の次男以下が魔導士になるのが今までの慣習だったが、平民出身の魔導士であるスランが、ト・ウフー帝国の下級役人として勤め始めると、貴族だけが魔導士になれると思い込んでいた魔導士たちは、自分たちの特権を揺るがす存在としてスランを敵視した。
そもそもスラン自身もト・ウフー帝国になど仕官したくなかった。師匠の下から独立して、薬草売りとして生計を立てようとしていたが、市場で乾燥させた薬草を売っていると、官憲を引き連れた上級魔導士がやってきて、スランは強制的にト・ウフー帝国に忠誠を誓わされ、仕官させられた。当時のスランは知らなかったのだが、帝国内で薬草を販売することができるのは、国の許可を得た薬問屋だけと決められていた。
(何でこんな目に……何故、師匠は教えてくれなかったのか。そもそも師匠は何故魔導を教えてくれたのか、魔導士は特権を手放したくないはずなのに。それに、魔導士はト・ウフー帝国に仕官しなければならない決まりなのに、師匠は霧の森で静かに暮らしていた。何故そんなことができる? 魔導士は消滅するまでト・ウフー帝国に仕えなければならないはずだ。それは、エリクサーを飲んで不老不死になっても変わらないはずだ。何故だ、何故あんな自由に……)
スランが物思いに沈んでいると、ガドがローブの袖を引いた。扉が開いており、腰に剣を吊るしている美人の使い魔を三人従えた、上級魔導士ハツカダンが彼の執務室から出てきた。使い魔二人は鎧で身を固めていたが、残りの一人は魔導士以外の役人が着用する男物の制服を着ていた。スランが周囲を見渡すと他の魔導士の姿は無かった。どうやら面談は終わったらしい。夕日が沈み、外が暗くなり始めていた。
「上級魔導士ハツカダン様、ご機嫌麗しゅう……」スランは静かに挨拶をした。
「……」ハツカダンはスランを黙って見ていたが、やがて口を開いた。
「戻ったのか。私はこれから部屋に戻って夕飯を食べる。お前もつきあえ」
「えっ……」スランはハツカダンの言葉に驚愕し、固まってしまった。これまでの面談では、美人の使い魔がスランに質問をするだけで、ハツカダンはスランと直接会話をしようともしなかったのに、いきなり晩餐に呼ばれた。
「いえ、あの……その……」スランが、辞退するための言い訳を悩んでいるとハツカダンが警告した。
「これは命令だ。従わなければ……お前を裏切り者として処分する」
この言葉にスランは言葉が出ず、ハツカダンの命令に従い、彼らの後に続いた。
官舎地上一階にある執務室を出て、六階層ある地下の第四階層まで降り、薄暗い回廊を一番奥まで進むとハツカダンの私室があった。ハツカダンの使い魔が二人がかりで重そうな扉を開けると、ハツカダンは自室へとスルスルと滑り込んでいった。
(嫌だな、入りたくないな……)スランが部屋の前で立ち往生していると、扉を支えている使い魔の一人が微笑みながら入るように促した。
「どうぞ、お入りください……」
「はい……」スランはにこやかに返答したつもりだったが、顔が引きつってしまった。
中に入ると、ハツカダンは広間の薄闇の中、暖炉の近くで安楽椅子に座り、本を読んでいた。彼の顔は、暖炉の炎で不気味に輝いている。主人が本を読んでいる間、使い魔のうち、制服を着ていた一人は夕食の準備を始めたようで、奥の厨房から野菜を切っているような音が聞こえてきた。ガドがスランを見上げたので、スランは頷いた。するとハツカダンの使い魔の手伝いをするために、ガドが厨房へと小走りで向かって行った。扉を支えていた使い魔二人は扉を閉めると、互いに協力して鎧の留め金を外しながら、奥へと消えていった。
「座れ」スランが広間の入り口でしばらく突っ立っていると、ハツカダンが読んでいた本を閉じて席を勧めた。
「この度は、お招きいただきありがとうございます。ハツカダン様……」スランが型通りの挨拶をすると、ハツカダンが右手を挙げて、挨拶を遮った。
「そんな型通りの挨拶はいらん。私はお前に聞きたいことがあって夕餉の席に招いたのだ」そう言うと、ハツカダンは読んでいた本を静かに閉じ、立ち上がって本棚にしまった。
「この本は、東の連合国家で読まれている我々魔導士の存在を否定する本で、この国では禁書扱いだ。」驚いているスランに、本の背表紙を見ながらハツカダンが答えた。「それでも、敵を研究するために、我々上級魔導士や忠誠心の確かな一部の中級魔導士は読むことができる」
(東の連合国家の奴らの考え方を学べば、やつらに復讐できるかもしれない……。奴らに生まれてこなければ良かったと思わせてやる……)スランがハツカダンの言葉で暗い閃きが生まれ、急に敵国の本を読んでみたいと思った。
「それで……お前も読んでみたくないかね?」ハツカダンは本の背表紙をなでながら、スランの思考を見透かしたように問いかけてきた。
「それは、無論……」
「そうだろう、そうだろう。しかしだ。お前は平民出身の下級魔導士で禁書を読むことはおろか、触れることも許されてはいない。ただ、私が一声かければ、人事局に掛け合って中級魔導士にしてやれるかもしれない。そうすれば、お前も禁書を読むことができる。素晴らしいことだとは思わないかね?」
「はぁ……そうかもしれませんが、私の通常業務の成績はご存知でしょう。その上、今回の戦争で捕虜になってしまいました。そんな私が中級魔導士に昇進できるはずがないと思うのですが……」
「確かに、確かにその通りだ。しかし、私の推薦があれば可能だ。中級魔導士の資格は、必ずしも業務の成績や試験の成績で得られるわけではない……コネだ、コネだよ、君。むしろ上級魔導士の推薦だけで、中級魔導士の位は簡単に得られる。業務成績と試験の結果が良くてもコネが無ければ昇格できない。そうでなければ、大貴族出身の魔導士の大半が下級魔導士止まりで、荘園を持つことができるコンリュウ教司教の職を得るのは困難だ。もし、得られなければ大貴族が文句を言うだろう。彼らの次男坊以下の食い扶持が無くなるからな……」
「しかし、私は大貴族ではありませんよ……」
「その通りだ。平民は逆立ちしても貴族にはなれない……婚姻関係を結べばなれるかもしれないが……」ゆっくりとした足取りで、暖炉へ向かったハツカダンは安楽椅子に腰かけた。「しかし、手続き上、お前を中級魔導士にすることは不可能ではないと私は言っている。どうだね、中級魔導士になりたいかね?」
(何かあるな……)スランは、ハツカダンが何故自分を中級魔導士にしたいのか理解できなかった。
「どうするね? 中級魔導士になりたくないのかね?」黙って下を向いているスランにハツカダンが尋ねた。
「私を中級魔導士にする理由をお聞かせ願えますか、ハツカダン様?」スランは疑問をハツカダンに投げかけた。
「お前がそれなりに能力のある魔導士だと分かったからだよ。お前、サー・ユラハ・アーニンを知っているか?」
「はい、先の戦いで右翼軍を率いていた連隊長閣下です。それが何か?」
「私の弟の孫だ。彼女は幼い時に両親を失ってね。私が育ての親になったのだよ。お前のことは彼女から聞いたのだ」
「そうですか……」嫌な予感がする。
「私はお前を見誤っていたようだな。お前の所属していた課の責任者から送られてくる、お前の業務記録を見ると、何一つ満足にできた仕事は無かったな。しかし、戦場ではそれなりに活躍したようではないか。お前が送られた大隊での敵補給線を断つ作戦は見事だった。アーニンの命令で友軍が撤退するまで橋を維持し、撤退が完了した後、焼き払うという目的も達成している。まぁ、捕虜になったのは問題だがな。しかし、情報は漏らさず、自力で逃げ出した。これなら、戦場での働きを理由に中級魔導士への推薦は可能だ」ハツカダンがスランに笑いかけた。
「はぁ、しかし……」スランが返答に困っていると、ハツカダンの使い魔たちと錬金術でスランによって生み出された使い魔のガドが料理を運んできた。鎧を着ていた使い魔二人も役人の制服に着替えて料理を運んでいた。三人とも腰に長剣を吊るしたままで……。
「料理が来たな。では、食べるとしよう。話は後だ」ハツカダンがスランの返答を遮って席に着いた。
料理を運び終えると、使い魔たちも席に着き、食事が始まった。木製の食器の擦れる音と食べ物を咀嚼する音だけが聞こえる。ハツカダンの食卓に並んだ料理は、スランが普段食べているものとほとんど変わらなかった。乾燥豆に根菜の入ったスープに堅パンだ。スープに入っている根菜の種類は多かったが……。料理を食べ終え、緊張が少しほぐれると部屋を観察する余裕が生まれた。ハツカダンの部屋にある家具は、魔導士の清貧を体現するように必要最低限で質素な作りの物が多く、官舎の各部屋に置かれているものとよく似ていたが、妙に高級感があった。材料に使われている木材が違うのかもしれないとスランが思っていると、ハツカダンが使い魔たちに食器を片付けるように命じ、話の続きを始めた。
「私の推薦など無くても中級魔導士になれると思っているのなら、それでも構わんよ。魔法の技術もそれなりにあるようだから、中級魔導士への実技試験は合格するだろう……しかし、面接ではどうかな?」
「落とされるでしょうね。間違いなく……」
「その通りだ、その通りだよ、君。なかなか賢いではないか。で、君はどうしたいね? 昇格したいかね?」
「中級魔導士になった私に、閣下が何をお命じになるかによります」
「この国では、貴族たちが暴走気味になっているのは知っているかね? 魔導士に頼り切っているくせに、自分たちは何でもできると思っている馬鹿どもだ。しかも彼らの子供たちは魔導士になっても、使い魔と昼間から部屋に籠って剣術の稽古しかしていない。にもかかわらず優秀な魔導士だと思い込んでいる。無論貴族の中には我々と協力して国の経営に力を貸してくれる方々もいるし、業績と実力で上級魔導士になる者も大勢いる。しかしだ、最近おかしな考えが貴族の中で広まっているらしい。なんでも、魔導士の政治への介入を止めさせ、貴族が政治を行うべきだとさ。この国は魔導士が切り盛りしてきたが、時代の流れで貴族がこれからは政治を担うべきだと言っているそうだ」
「それは……一大事ですね閣下……」何故、ハツカダンがこんなことを自分に話すのか、スランには理解できなかった。
「そうだ、一大事だ。だから、彼らに国政を担ってもらおうと我々魔導士は思っている」
「……?」スランは驚愕した。
「そこでだ。君には、大貴族側に所属してほしい。今の魔導士組織の仕組みに不満があるとか何とか言って潜り込め。ユラハが潜入する支援をするそうだ」
「潜り込んで情報をリークしろと?」
「少し違う。貴族どもはクーデターを画策している。我々魔導士から、政権を幼い皇帝陛下へとお返しするそうだ。そのときお前はクーデターを成功させるために働け。もちろん詳しい情報は私に知らせろ。クーデターが起きる前に我々現体制派の魔導士は自然な形で消えないとならんからな……」上級魔導士が不気味に笑った。
「クーデターを成功させてよろしいので? 政権を奪取されたら取り戻せなくなるかもしれませんよ?」スランはハツカダンの言っていることが信じられず困惑した。
「大丈夫だ。奴らは政権を維持できない……」ハツカダンの目が光った。
(大丈夫とは思えないなぁ。反乱の首謀者が分かっているなら逮捕するなり、暗殺するなり手は色々打てるだろうに……)スランがハツカダンの話を理解しようと悩んだ。
「話を戻すが、お前は中級魔導士になりたいか? それとも……」
「何故私なのですか? 断ったらどうなるのですか?」スランの、この問いかけにハツカダンは急にがっかりした表情を浮かべた。
「お前はバカなのか……ここまで話したのだ。生きて戻れるとでも? お前はエリクサーを飲んでいるようだから、消し炭になるまで焼いてやろう。それとも廃人にしてやろうか? それでも断るかね?」ハツカダンの目がギラギラと輝き、彼が右手を挙げると彼の使い魔たちが一斉に剣を抜いた。その剣は刃文が波打っていた。
「中級魔導士になるチャンスは恐らくこれが最後。もちろんお受けいたします。ただし、一つ条件があります」スランは上等な鋼で出来た剣で殺される前に急いで答えた。
「中級魔導士にしてやると言っているのに……欲の深い奴だ。何が欲しい、さっさと言え」ハツカダンはあきれ返りながらスランに言った。
「それは……」スランは、元天使に恩返しをしたかった。恐らく、これは恩返しをする最後のチャンスだ。




