交渉
1
カトルは、ナメ砦を出てから、僅か一週間ほどでト・ウフー帝国第二の都市、エンドンにたどり着いた。このト・ウフー帝国唯一の海運都市は、西をアツン・アゲー公国、東をアブラゲー公国、南は海に囲まれた重要な交易都市で、帝国の経済を一手に担っていた。この都市が陥落すれば、帝国は戦争どころか、国を維持することすら困難になるだろう。
(エンドンを包囲すれば、ト・ウフー帝国の魔導士が出てくると予想はしていたが、あまりにも手際が良すぎる……)カトルはテーブルの向かい側に座っている魔導士を見ながら思った。
驚くべきことに、東の連合国家とアブラゲー公国が、エンドンの包囲を開始してすぐに、ト・ウフー帝国の魔導士が和平交渉を持ち掛けてきた。しかも、エンドンの郊外に交渉用の天幕を張ったので、そこまでご足労願いたいとまで言ってきた。罠ではないかと疑ったが、早くこの戦争に決着をつけたいと思っていたカトルは了承し、護衛の兵士を三千人連れて交渉のために用意された天幕にたどり着いた。
天幕に入り、用意された席に座ると、カトルは目の前にいる不気味な魔導士、ハツカダンが何を言い出すのか、好奇心と恐怖が入り混じりながら、彼の発言を待っていた。
「我々は、霧の森より南、ソイミル河以東の土地を明け渡す用意がある。もちろん、東の連合国家と領有を巡って争っていたウマキミ山脈南部も完全に放棄すると約束する。賠償金の支払いも貴国の希望にそうように努力するつもりにて……」
魔導士の発言は、カトルの目的に沿うものだった。ただ一点を除いて。
「海運都市エンドンの所有権も放棄していただきたい」カトルの左隣に座っていたサー・ナリド・マレ将軍が口を開いた。
「それは、出来かねます」魔導士が即答した。
「……」サー・ナリド・マレ将軍から厳しい視線を送られたカトルは魔導士に向き直った。
「ハツカダン殿、エンドンを放棄していただけなければ、我々はあなた方と和平を結ぶわけにはまいりません」
カトルが魔導士に告げると、魔導士の隣に座っていた男——隣国アツン・アゲー公国の宰相ブラックベリー公が送り込んできた特使、タネル・オレンが口を開いた。
「カトル殿、それはあまりにも酷というもの。ト・ウフー帝国は既にウマキミ山脈南部を放棄しているのですよ。これ以上、ト・ウフー帝国に負担をかけると賠償金の支払い能力が無くなってしまいますよ……」ここまで言って、特使はマレ将軍に向き直った。「マレ将軍、ト・ウフー帝国と同盟を結び、我々からの資金援助を受け取っていたアブラゲー公国が何故、戦勝国側で偉そうにふんぞり返っておられるのですか? しかも、エンドンの領有権をト・ウフー帝国に手放せとは……。まったく、恥も外聞もないとは、このことですな」
「敗戦国になるよりはマシですよ、特使殿」マレ将軍は怒りで真っ赤になっていたが、冷静に返答していた。マレ将軍は意外と冷静だなとカトルが驚いていると、特使が口を開いた。その口調は静かだが、内容は威圧的だった。
「もし、これ以上、ト・ウフー帝国の領土を奪うつもりならば、アツン・アゲー公国には本格的に軍事介入する用意があります。この戦争で我々は、ト・ウフー帝国及び、アブラゲー公国への資金援助という形でのみ参戦していましたが、アブラゲー公国をはじめとする諸外国が我が国と国境を接する可能性がある以上、自衛のためト・ウフー帝国に大規模な軍を派遣することになります。もちろん、海の向こうのト・ウフー帝国を宗主国として敬っている都市国家群にも参戦していただきますよ。それでもよろしいか?」
「……」特使の問いかけに対して、マレ将軍は黙って耐える他ないようだった。
「ハツカダン殿、我々は貴国の魔導士を一人捕虜にしております。もし、エンドンを割譲していただけるならば……」カトルはエンドンを放棄させようと切り札を出したが、上級魔導士ハツカダンが即答した。
「魔導士? ああ、あの平民のことですか。魔導士は解雇できないので、左遷という形で戦場に送って厄介払いしようと思っていたのですよ。そうですか、そうですか、捕虜になってしまいましたか。まぁ、この和平条約とは何の関りもありませんな。そちらで処分していただいて構いませんよ。どうぞ好きになさってください」魔導士はカトルの提案を問答無用で切り捨てた。
カトルは、これ以上のト・ウフー帝国への要求は無理だと判断し、ト・ウフー帝国の提示してきた条件を飲むことにした。
2
「それにしても、誤算でした。まさか、ト・ウフー帝国の魔導士派遣政策にあれほど反対していたアツン・アゲー公国が、これほどまでに帝国を支援する姿勢を見せるとは……」
カトルが二人の男に話しかけるとマレ将軍は黙って頷いたが、もう一人の男はいきなり立ち上がると怒鳴り始めた。
「そんなことはどうでもよろしい!」
ト・ウフー帝国から提示された条件で和平が成立することは確定したが、今度は別の火種が三人の間で大きく燃え上がっていた。戦勝国内での占領地の分割という名の問題が……。
「ウマキミ山脈は土地が隣接している、我々ラムー族の物だ! 何故、一滴も血を流していないアブラゲー公国の日和見主義者どもに渡さなければならないのか!」
ト・ウフー帝国との交渉の際には一言も発せずにカトルの右隣に座っていた男が、今では仁王立ちで怒鳴っていた。このジンギ・ラムーは、東の連合国家本国から派遣されてきた全権大使で、カトルの政敵ラフティー・ラムーの甥だった。
「しかし、我々はウマキミ山脈の所有権とエンドンの領有権を保証されたからこそ、ト・ウフー帝国を裏切るという不本意な行動をしたのですぞ! どういうことですか、カトル殿!? ウマキミ山脈の採掘権も得られないのでは、何のために我々は……。これでは約束が違うではありませんか!」マレ将軍がカトルに向かって怒りをぶつけ始めた。
「全権大使殿、私はアブラゲー公国にエンドンとウマキミ山脈の領有権を渡すと約束してしまったのです。エンドンを手に入れられなかった以上、採掘権だけでも渡さなければ、東の連合国家は他国から信用されなくなります」
アブラゲー公国で産業といえるものは、広大な森林に支えられている林業しかなかった。国土の半分を原生林に占められ、西側は海に面しているものの、良港に恵まれず、経済発展が著しく遅れていた。そのため、目と鼻の先にあるト・ウフー帝国唯一の海運都市エンドンとウマキミ山脈から得られる砂鉄を喉から手が出るほど欲しがっていた。このアブラゲー公国の心理を利用して、裏切らせることに成功したカトルも、本国からの全権大使が相手では、アブラゲー公国の意向を通すのは難しかった。
「そんなことは、本国では一度も聞いていない! あなたの勝手な判断でしょう、カトル殿? そもそも遠征軍の指揮官が勝手に他国と取引するのは問題ですぞ! あなたは、我らの統領、ハゼン・カルビン様を軽んじているのではありませんか!? これは反逆行為ですぞ! もし、アブラゲー公国にウマキミ山脈の領有権が譲渡されるのであれば、私にも考えがあります!」ここまで怒鳴り散らして、ジンギ・ラムーは、ようやく椅子に座った。
「……」全権大使から告発する用意があると言われたカトルは、反論できなかった。ラムー族である以外に何の取り柄もない人物が全権大使として派遣された理由を考えると、カトルは何も言えなくなった。
カトルが黙ってしまい、これ以上擁護してもらえないと勘づいたマレ将軍は、全権大使ジンギ・ラムーの機嫌を取り始めた。
「全権大使殿、そう怒らずに、どうか我々の言い分も聞いて下さらぬか。我々の国土は貧しく、特にこれといった産業もなく……」
「今度は泣き落としですか、将軍。ですが、我々も鬼ではありません。そういえば、アブラゲー公国は農地に適した平地が北部に少しあるだけですよね? では、こうしましょう。西はソイミル河から東はウマキミ山脈まで、霧の森より南側の土地を全てあなた方に差し上げます。これで、あんた方の臣民は飢餓に困らずに済みますね」提示した土地の北半分は農耕に適さない沼地であることを知っているにも関わらず、ジンギ・ラムーはいけしゃあしゃあと言った。
「ちょっと、待ってくれ! 砂鉄を収集するための水路だけ渡されても、鉄を含む花崗岩を採掘する山が手に入らないのであれば……」マレ将軍はジンギ・ラムーに抗議したが、すぐに遮られた。
「これ以上何を求めるというのです、マレ将軍? あなた方は肥沃な農地を手に入れ、あなた方の臣民は飢えずに済む……。それとも、かつてのト・ウフー帝国のように、ウマキミ山脈南部から我々の国土に攻め入るおつもりでも?」
「……」尊大な態度を取る全権大使の発言に対して、マレ将軍は怒りで顔を真っ赤にすると、カトルと全権大使を睨みつけて、エンドン包囲陣に張られた高級士官用の天幕から足早に出て行った。
「カトル殿、この件は全て統領に報告いたします」マレ将軍が出ていくのを確認し、薄笑いを浮かべながらカトルに告げると、ジンギ・ラムーも天幕を出て行った。
全権大使を見送りながら、東の連合国家の中枢部がラフティー・ラムーによって占有されているという現実に、カトルは天幕の中で一人、暗澹たる気分に沈んだ。
3
「えーと、何でしたかな、オレン殿。何を譲渡すればよろしかったか?」ト・ウフー帝国側の交渉人として和平交渉に参加していた上級魔導士ハツカダンが問いかけてきた。ここは、ト・ウフー帝国が交渉のために用意した天幕だ。東の連合国家の司令官もここに座っていた。
「ですから、我々が望んでいるのは、コンリュウ教に収めるお布施を現在の半分にしていただきたいのと、貴国から派遣されるコンリュウ教の司祭、つまり魔導士の方々が我が祖国アツン・アゲー公国の政治に干渉するのをご遠慮していただきたいと申しているだけでありまして……。別段、貴国から何か頂きたいわけではなく、我々の負担を軽くしていただきたいとお願い申しているだけでございます、魔導士様」アツン・アゲー公国の特使、タネル・オレンは言葉を慎重に選びながら、飄々とした年齢不詳の魔導士に返答した。
「はいはい、そうでした、そうでした。もちろん、よく覚えておりますよ。貴国が和平交渉で我々を助けるための条件でしたからなぁ。はいはい、えー、もちろんです、覚えております。ただですね、あまりにも大雑把な口約束でしたので、細かい調整を致しませんと……。本来なら、両国がお互いに派遣している大使を通じて交渉すべき問題ですから……。ねぇ?」若くもなく、年老いているわけでもない、飄々とした態度の魔導士が、話を煙に巻こうとしているようだった。
「ですから、何度も申し上げておりますが、コンリュウ教に収める額を半分に……」
「あー、その件でしたら、拙僧も理解しているつもりでございます。拙僧も聖職に身を置いておりますれば、手痛い損失と思いもしますが、致し方ないと理解してございます。ただですね、この内政不干渉の部分はどの程度控えればいいのか……拙僧には分かりかねます……。拙僧は貴国に派遣されたことがございませんので。あー、しかしですね、ここはアツン・アゲー公国とト・ウフー帝国の両国で調査委員会を設置して調べてみてからの方がよろしいのではないかと、拙僧は考えている次第でして……」
「では、はっきり申し上げますが、アツン・アゲー公国内の信徒たちを焚きつけて、ト・ウフー帝国への援助を我が国に強要するといった行為を止めていただきたいのです。また、我が国の国政を司っている評議会に魔導士の方を送り込むのは……。この評議会での議決が、我が国の国家元首たる大公閣下の決断に大きくかかわりますので、どうかご遠慮していただきたいのでございます、ハツカダン殿」
「はぁ、しかしですね、現状を理解できない拙僧の一存では……。その、判断しかねるわけでして……」
「分かりました。内政干渉の件はまた後日話し合うということで……。もう一方の件、コンリュウ教に収める額は、今までの半額にしていただくのは可能ということでよろしいのですね?」
「はぁ、一応大丈夫だと思います。ただですね、拙僧はコンリュウ教への寄付金の減額には相応の理解を致しておりますが、他の上級魔導士や、皇帝陛下、諸侯をはじめとする大貴族の方々にも納得していただかないと……。なので、すぐに、というわけには……。もちろん減額に関しては拙僧が責任を持ちますが、いかんせん、時間がかかってしまうものと理解していただきたいのですが……。よろしいですかな?」
「できるだけ早く、返事をいただきたいのですが……。ご返答を頂けるまで帰ってくるなと宰相ブラックベリー公より厳命されておりますので……」
「そうですか、そうですか。それはご苦労様です。拙僧もこれから急ぎ帝都へと戻り、あなた方の期待にそうように努力いたします。それまでの間、帝都にておくつろぎください。では、失礼いたします」魔導士はすべるように天幕から出て行った。
「あっ、ちょっとまだ話は……」タネルは魔導士を呼び止めたがあっという間にいってしまった。(あの魔導士は食わせ物だ。おそらく、我々の希望通りにはいかない……)
タネルは、いつ本国に帰れるのだろうかと途方に暮れた。




