Awake:97 ネルファの過去①
ネルファの過去回想に入ります。
この話と次の話は、ネルファの過去とノルンとの出会いについてになります。
※ネルファ視点
死屍累々の戦場で、私は亡霊のように佇んでいた。
見渡す限り、この場に私以外の生存者はいない。
敵味方の区別も億劫な程に、乱雑に死体が転がっている。夥しい死体から流れた血を吸って、地面は真っ赤に染まっていた。
それは凄惨で、地獄のような光景ではあるが、まるで火災後の焼け跡のように静かだった。
私は大きく息を吐き、重苦しい甲冑を脱ぎ捨てた。
顔に掛かった返り血を拭い、強張った全身を弛緩させた。
戦いの熱狂から覚め、凍えるような虚脱感が四肢に広がる。
無我夢中で戦い続けたせいか、記憶は曖昧だった。
けれど、目の前に広がる光景が全てを物語っていた。
私は生き延びた。
たった一人、生き延びた。
敵を全て殺し尽くし、味方を全て失った。
ただ必死で、私は誰も救えなかった。
それに対する悔しさ、悲しさは勿論ある。
けれど今の私を苛んだのは、底知れぬ虚無感だった。
全てが空っぽに、大切な何かどこにもない感覚。
胸に大穴が空いてしまったかのようだ。
私は助けを求めるように、視線を頭上に向けた。
そこにあったのは、鈍色の曇り空。
けれど、まるで見計ったようなタイミングで、その厚い雲間から白い陽光が差し込んだ。
それは一条の光となって、私の下に降り注ぐ。
神聖な光を前にして、私は目を見開いた。
キラキラと光の粒子が散乱する。それはまるで、天からの救いのようだった。
すがるように、私は光に手を伸ばす。
けれど、その手は虚空を切った。
救いはない。私の手は何も掴めなかった。
◆
戦場で味方から裏切られ、私は戦う意味を失った。
裏切られて初めて気が付いたのだ。
これまでの人生に、一体何の意味があったのだろうか――と。
突き付けられた事実。
それは私が何も目的のない人生を送ってきたということだった。
振り返れば、私には何もなかった。
それは初めて剣を手に取った切っ掛けさえもだ。
何故私が剣の道に進むことになったのか。
それは単純に『剣聖』と謳われた師匠が、私の親代わりだったからである。
何かと理由を付けて、師匠は私に剣を握らせたがった。
師匠は私に圧倒的な才能があると早くに見抜き、どうにかしてそれを伸ばしてやりたいと思ったのだろう。
師匠からは戦場で殺された父親の復讐が出来ると、そう焚き付けられて剣を握らされた気がする。
でも、私の中にはそもそも復讐心なんてものはなかった。
父は戦争に行ってばかりで、家に帰ってきたことなど殆どない。私にとって、父親とは他人のようなものだった。
だから、私の中に剣を握る確固たる軸はなかった。
それでも私が剣の修行をするようになったのは、単純にそれ以外にすることがなかったからだ。
皮肉なことに、私には剣の才能があった。
それも『剣聖』を超えるほどの才能だ。
師匠から剣を教えられ、私はどんどんと強くなっていった。
特に理由もなく剣の道に進んだとはいえ、出来ないことが出来るようになる感覚は楽しかった。
だからこそ、気付かずにいられた。
自分という存在に明確な軸がないことに――。
そうして私は成長した。
剣技を極めた私は、自然と戦場に立っていた。
そして、何も考えず剣を振るい、多くの功績を打ち立てた。
デール帝国で私は英雄視され、数々の称賛を浴びる存在になっていた。
でも、私は何も満たされなかった。
それもそうだ。
私は誰よりも強かったから、何も考えずに剣を振るっていただけなのだ。
でも、これまでは何も気にならなかった。
考えたこともなかったのだ。
何故剣を振るっているのか?
何故戦場に立ち、敵兵を殺しているのか?
何故私は称賛を浴びても満たされないのか?
けれど、気付いてしまった。
私のこれまでには、何の意味もなかったのだと。
空っぽになったのではない。
自分自身が空っぽだったことを自覚したのだ。
私にとって本当に大切なモノは、この世界に一つもなかった。
それに気付いた瞬間、これまで積み上げてきた自己のセルフイメージが根幹から崩れ去ってしまった。自分を形成していた全ての足場がなくなって、私は現実という荒野に放り出されてしまったのだ。
そこで私は、正真正銘の脱け殻になった。
私が本当の私になるために、必要なものが何かは分かっている。
私が満たされるために必要なのは、これまでの生き方を肯定してくれる何かだ。
そう。意味が――意味がなければならない。
だから、私は意味が欲しかった。
これまでの私の人生が、決して無意味ではなかったのだと――。
そう肯定してくれる意味が欲しかったのだ。
けれどいくら願っても、それは私の前には現れない。
それが分かっていたからこそ、私は無意味に生き続けるという選択をした。
◆
戦いの後、私は素性を偽って冒険者となった。
戦場で死んだことになっていたのは、私が素性を偽って生活する上では好都合だった。
けれど、冒険者になった私は無気力だった。
つまらない依頼を受けては、些末な金銭を得る。
冒険者としての目標など端からなく、私はしばらく日々の食い扶持を稼ぐだけの生活を続けた。
無味乾燥な毎日だった。
感情の起伏は平坦で、空っぽの私に変化は訪れない。
空虚な心を満たすものは何もなく、まるで自分が息をするだけの固形物のように感じられた。
魂が渇れている実感があった。まるで亡霊だった。
そして、酷く虚しかった。
実際、何度も死のうと思った。
生きる意味を失った私には、死を受け入れる行為は容易いと思っていた。
けれど、それは違っていた。
私のせいで戦場で無念に散っていった同志の命。
生きたくても生きられなかった彼らの想い。
それを間近で見届けた私には、この命を無意味に終わらせることを許されてはいなかった。
最早生き続ける意味はない。けれど、死ぬためにも相応の意味が必要だった。
そんな冒険者生活がしばらく続いたある時、衝撃的なニュースが世界を駆け巡った。
なんと、予言されていた世界を壊す魔女――【終わりの魔女】が覚醒したのだ。
戦争をしていた各国は慌てて休戦し、魔女への対策を練り始めた。
そんな各国に先駆けて、冒険者ギルドは【終わりの魔女】の情報収集に取りかかった。
しかし、魔女は覚醒してからすぐに結界の内側に閉じ籠った。
そこで冒険者ギルドは、僅かでも魔女の情報を得るべく調査隊を結界内に派遣することに決めた。
調査隊の募集は、ギルドを通じて冒険者達に広く通知された。
冒険者ギルドの掲示板に張られたその依頼文。
それを目にした私は、その場で調査隊に参加することを決めた。
「これだ」と、私は直感的に思った。
伝承で語られる魔女は、この世界にとっての大災厄。
そんな圧倒的な力を持つとされる魔女の存在に、私は久し振りに枯れた心が揺れ動くのを感じた。
世界を滅ぼすとされる魔女との戦いは、私の死に場所に相応しいのではないか?
そんな思い付きが、頭から離れなかった。
だから、私は調査隊に参加した。
調査隊として複数の冒険者達が、結界内に送り込まれた。けれど、私はすぐに他の冒険者達と別行動をとった。
他の冒険者と協調する気など更々なかった。
私の目的はギルドの依頼を達成することではない。
私は死に場所を求めて、魔女に挑むことが目的だったのだ。
◆
結界内を無心で進み、私は王都・アロンヘイムに辿り着く。そして、遂に白亜の城を視界に収めた。
その城はまるで孤島のように、湖の中心に聳えている。
あの城こそが、【終わりの魔女】の拠点に違いない。
私は水辺の縁から、その城を睨み付けた。
そして、ふと私は視線を足元に落とした。
思わず目に入ったのは、湖面に映った己の姿。
自分の姿を見たのはいつ以来だろうか?
思い返せば冒険者になってから、私は鏡を見た記憶がない。
だからか、私はこれが今の自分だと知った瞬間、思わず自嘲してしまった。
水面に映る私は、本当に酷い有り様だった。
身に纏うのは襤褸の外套。長らく手入れをしていないボサボサの髪。艶のない肌。生気の失せた瞳の光彩。
かつての私を知る者からすれば、今の私の姿は驚きに値するのだろう。
自分の容姿にすら気を回さなくなるほど、私は落ちぶれてしまっていた。
けれど、その事実を今さら客観視したところで、私は何も変わらない。
私は水面から視線を外した。
そして、私は白亜の城を目指す。
磨耗した心を引き摺るようにして、私は死に場所を求めて歩みを進めた。
城の内部をひたすら進み、広いホールに辿り着く。そこで私は、遂に目的の人物と邂逅した。
侵入者たる私を出迎えたのは、可憐な白髪の少女だった。
「お前が【終わりの魔女】か?」
「ええ、そうよ。私の名前はノルン。初めまして、『紅剣』・ネルファ」
「私のことを知っているのか?」
「まあね。私の部下は優秀なの。貴方が『紅剣』と呼ばれる有名人で、ここに向かってきてることを教えてくれたわ」
「……そうか」
私がそう呟くと、彼女は言った。
「貴方がここに来た理由は知ってるわ。私を殺しにきたんでしょ?」
「そうだ。私はお前を殺しにきた」
「念のために聞いておくけど、話し合いは無理かしら?」
「話し合いだと? そんなものは不要だ」
話し合いという言葉が出て、私は少し驚いた。
世界を壊すとされる魔女は、私の想像したような邪悪な存在ではないのかもしれない。
けれど、私はそんな彼女の提案を即座に切り捨てた。
私はただ、ここに死に場所を求めてきたのだ。
話し合いという選択肢は、最初から持ち合わせてはいなかった。
私の言葉に、少女は淡々と答えた。
「そう。なら仕方ないわね。貴方が満足するまで付き合ってあげるわ」
こうして私と彼女の戦いは始まった。
魔女という強者への挑戦に、私は全身の血が沸き立つのを感じた。
私は今を生きている。
久し振りに得た生の実感に、私は純粋な新鮮さを感じたのだった。




