悪夢に追われる少女
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
聖騎士見習いの少女アウローラは、森の中を必死に逃げていた。
木の根っこに足を引っ掛け、つんのめりそうになりながらも、アウローラはなおも懸命に走り続ける。
「何なんですの……!? こんなこと、おかしいですわ……!」
運命に毒づきながら、それでも逃げる、逃げる、必死に逃げる。
彼女は何から逃げているのか──
「……見つけた。……逃げても無駄なのに」
「ひっ……!?」
別の、もっと幼い少女の声に、アウローラは悲鳴をあげる。
アウローラの視線の先に、追跡者の姿が現れた。
それは子供のような姿の、小柄な少女。
初等学校すら卒業していないのではないかと思うほどの幼い容姿だ。
少女の両手には、それぞれ一振りずつの短剣が握られている。
短剣はどちらも、真っ赤な血を滴らせていた。
「や……やだ……死にたくない……まだ死にたくない……!」
アウローラはまた、死に物狂いに逃げ始める。
短剣を手にした少女は、「……無駄だと言っているのに」とつぶやきつつ、聖騎士見習いの少女の後を追いかける。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……! どうして……何なんですの、これは……!?」
アウローラは逃げる。
転びそうになりながら、息が止まりそうになりながら、それでも必死に逃げる。
あの子供の姿をした悪魔は、すでに二十人を超える数の兵士や聖騎士見習い、そして正規の聖騎士すらも殺している。
それらの死体はこの森や、近隣の村にたくさん転がっているはずだ。
一緒に来た討伐部隊のメンバーで生きているのは、もはやアウローラ一人だけかもしれない。
あの殺人鬼がなぜ人殺しをしているのかなど、アウローラには分からない。
殺された人の体から何か魂のようなものが出ていって、あの少女の短剣に吸い込まれたのは目にしたが、あれが何だったのかもまったく分からない。
アウローラが知っていることは、彼女が聖騎士見習いとして、とある殺人事件の犯人討伐部隊に組み込まれたこと。
そして討伐部隊が向かった先の村で、あの子供の姿をしたたった一人の少女に、部隊全員が為すすべもなく壊滅させられたということ。
加えて、恐怖に駆られて逃げ出したアウローラもついには追いつかれて、今にも殺されようとしているということ──
アウローラも、腰のベルトに剣を提げてはいる。
だがそれを抜いて立ち向かったところで、到底敵う相手とは思えない。
何しろあれは、正規の聖騎士一人を含めた二十人以上からなる討伐部隊を、たった一人で平らげてしまうほどのバケモノだ。
対してアウローラは、剣の才能にも恵まれず、幼少よりの努力もむなしく聖騎士資格試験で毎年不合格を繰り返しているような凡愚だ。
そんなアウローラに、あんな怪物のごとき少女の相手ができるわけもないのだが──
「……さあ、追いかけっこはおしまい。……覚悟して、お姉さん」
「ひぃっ……!」
しゃにむに逃げていたアウローラのすぐ後ろから、無慈悲なバケモノの声が聞こえてきた。
あんなに小柄なのに、どうして追いついてこれるのか。
一歩一歩の地面を蹴る力も、脚運びの速さも、まともな人間のそれではない。
もうダメだ、今から十を数えるよりも前に追いつかれて、自分はあれに殺されるんだ。
なんで、なんで、なんで……!
なんでこんなことに──
「えっ……?」
そのとき唐突に、アウローラの足元の地面が崩れた。
崩落。滑落。
アウローラは足元にぽっかりと開いた大穴に、真っ逆さまに落ちていく。
「きゃああああっ! もう、何なんですのぉおおおおっ!?」
急な斜面をごろごろと転がって、アウローラは滑り落ちた。
あちこち擦りむきながらも、どうにか無事に底までたどり着く。
「痛たたぁ……。な、何ですの、ここは……地面の下に、空洞……? 遺跡……?」
アウローラは立ち上がり、周囲を見回す。
石造りの部屋。
天井の一角が崩れ落ち、そこから日の光が降り注いでいた。
と、その崩落した天井の上から、短剣を持った少女がこちらを覗き込んでいた。
状況を確認して、小さく舌打ちをしてから思案顔になる短剣の少女。
自分も飛び降りようかどうか、迷っているようだ。
「ま、まずいですわ……! どこか逃げる場所──あった、あの通路に!」
アウローラは部屋の一面から通路が続いているのを見つけ、そちらに向かって慌てて駆けていく。
それから少しして、背後で誰かが着地する音。
アウローラはそれに構わず、一目散に通路を駆けていく。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
──ボッ、ボッ、ボッ、ボッ、ボッ。
アウローラの行く手を照らすように、通路の壁に設えられたたいまつに、ひとりでに火が灯っていく。
だがそれを疑問に思っている余裕など、今のアウローラにはない。
恐怖に駆り立てられるように、少女は走っていって──
ゆく先に見える小部屋に、それを見出した。
「あれは……剣……? 聖剣……?」
小部屋の台座に、一振りの豪奢な剣が突き刺さっていた。
片手剣にしては刃も柄も長めという、バスタードソードの形状。
アウローラが「聖剣」という言葉を思い浮かべたのは、その剣が燐光を放っていたからだ。
あの剣がどういうものであるか、アウローラには分からない。
だが直感的に、あれにすがるしかないと思った。
「お願い──!」
小部屋に駆け込んだアウローラは、台座に突き立った剣の柄をしっかりとつかむと、それをひと思いに引き抜いた。
剣は、望みどおりに抜けた。
そして──
「力が……! 私の体に、力が注がれて……!」
剣から力の源のような何かが、アウローラの体の中に注ぎ込まれる。
それは少女のお腹の内側あたりに吸い込まれてから、一気に全身へと行き渡る。
──ゴウッ!
目視できるほどの強い闘気が、アウローラの全身から放たれた。
だが次の瞬間、アウローラは背後におそるべき殺気を感じる。
「くっ……!」
振り向きながら、目視もせずに剣を横薙ぎに一閃するアウローラ。
「……っ!?」
振るわれた剣の軌道には、驚きの表情を浮かべる短剣の少女。
少女はとっさに二振りの短剣を交差して、アウローラの剣を受け止める。
火花が散り、光が弾けた。
「……ぐっ、押され──きゃぁああああっ!」
ガードは押し切られ、短剣の少女は吹き飛ばされた。
──ドゴォンッ!
少女の体が石造りの壁に激突し、壁が大きくひび割れる。
壁に激突した短剣の少女は、ずるりと崩れ落ちた。
「はぁっ……はぁっ……な、何が……今の、私がやったんですの……?」
剣を振るった姿勢のまま、呆然とする聖騎士見習いの少女。
すぐ近くには、壁に激突して崩れ落ちた姿の短剣の少女が倒れている。
そして自らの手には、一振りの光り輝く長剣が。
自らの体からは、溢れんばかりの闘気が立ち昇っていた。
そのとき、短剣の少女が息を吹き返す。
「……ぅぐっ……げほっ、げほっ! ……よ、よくもやって……それは……それも神器なの……?」
一時的に意識を失っていただけなのか。
短剣の少女は、よろりと立ち上がる。
それを見てアウローラは、慌てて剣を構えなおす。
「神器、ですの……? 何だか分からないけど、この力があれば……!」
「……その力は、危険。……仕方ない、ここは退く。……でも次に会ったときには、必ず殺す」
短剣の少女はくるりと踵を返し、アウローラから逃げるように猛然と通路を駆けていった。
「ま、待ちなさい……!」
アウローラはそう声をかけたが、追いかけようとはしなかった。
同胞たちを殺された憎しみよりも、ずっと殺されそうになっていた恐怖と、どうやらその死の恐怖から逃れられたのだという安堵のほうが強かったのだ。
──そうして、一つの事件がひとまず幕を下ろした。
これが聖騎士見習いアウローラと、聖剣との出会い。
この後、たった一人で聖都ディヴァルディアに帰還したアウローラは、特例として聖騎士の資格を与えられることとなる。
そして、このときから一ヶ月ほどの時が過ぎたある日のこと。
聖剣使いの聖騎士アウローラは、聖斧使いの冒険者ダグラスとの出会いを遂げることとなる。





