PM13:12(2)
その時、風向きが変わった。
途端に、ハッとした表情で、ルイが足を止める。
「おい、グース、臭いが」
風の流れてくる方向を睨み、ルイは低く唸る。グースも、無意識に眉間に皺を寄せた。
「……ああ、血の匂いだ」
内戦中に散々、嗅ぎ慣れたこの臭いを間違えるはずもない。
「かなり濃厚に臭うぜ?」
「……何か事故でもあったのか?」
顔を顰めるルイの言葉に頷きながら、グースは瞬時に臭いの原因を予想した。士官学校は、その性質上、少なくとも年に1回くらいは血生臭い事故も起きる。
「事故の可能性も十分にあるっちゃあるが」
ルイはペロリと唇の端を舐める。それが緊張している時の癖であることを、グースは知っていた。
「普通、流血沙汰の事故があるとしたら、演習場だろう?」
「確かに」
2人がいる抜け道の近くにある施設は、西棟と呼ばれる建物のみだった。西棟には座学教室と教官の控室などの他には、厳重に鍵の掛かった訓練用の武器保管室しかない。
「流血沙汰の事故があるとすりゃぁ、保管室だが……」
渋い顔をしたルイの懸念は、グースにもすぐに理解できる。
「あそこは厳重に鍵が掛かってる。教官達だって必要なければ近寄らない。……保管室で事故が起こる可能性なんて、本来なら物凄く低い」
呟きながら嫌な予感がして、思わず舌打ちが漏れた。
「……事故じゃない、事件かもしれない」
グースの結論に、ルイも苦い顔で同意を示す。
「……どうするよ?」
「どうするって言われても……」
グースは、一瞬、西棟の方角を見てから、首を左右に振った。
「寮へ向かうしかないだろ?」
何か事件があったとしても、それは教官が処理すべき問題。
「俺達が下手に野次馬根性で近寄ったら、とばっちり喰らうかもしれないし」
普段から無愛想だとか、淡泊で物言いが冷たいとか言われているグースだが、裏を返せば、大概の事には動じない冷静な性質だということで。淡々と落とした結論に、ルイは、少しホッとしたような顔をした。
「……それも、そうだよな。抜け出したことバレてもヤバイし。うん、寮に戻るか」
調子を取り戻して、ニシシ、と笑って。ルイは寮のある北棟方面に向けて歩き出した。
「寮に戻って素知らぬ顔しておけばいいよな」
「そうそう」
続いて歩き出しながら、グースも釣られて笑って、知らずに緊張していた肩から力が抜けるのを感じる。
不穏な臭いではあっても、それはどこか別世界、他の誰かの出来事。
すっかり割り切って、薮の中をぞろぞろと、進んだ時だった。
「抜け道発見、どうぞ」
聞こえたのは、見知らぬ男の声だった。そして、その声に続いて、ざぁ、と、機械的なノイズの音が響いて。
『場所は?どうぞ』
やや潰れた音声、おそらく、無線と思われる音で、別の声が聞こえた。
「西棟端の薮の中だ。そうだな、大人でも通れるぞ、こりゃ。あのデブ、ここから逃げる気だったようだ。どうぞ」
『早急に対処してくれ。どうぞ』
おい、と。ルイが押し殺した声で囁きながら、咄嗟に背を曲げて身を低くした。
「ああ」
グースも背筋に走った何か強烈に嫌な予感に従って、同じ様に身を低くして背後を振り返る。人の背丈ほども茂った薮と、金色の葉をこれでもかとつけた木々のせいで、すでに抜け道は見えない。
おそらく、その見えない場所に、声の主はいる。
「こりゃぁ、他にも似たような抜け道あるんじゃねぇか?どうぞ」
『念のため、人質のガキ共を絞り上げて確認しよう。どうぞ』
会話は、続いているらしかった。
「人質?」
「おい、こりゃ、なんか、嫌な予感しかしねぇんだけど」
いつの間にか、鼓動が早くなっていた。ルイの顔には、笑みなのか驚愕なのか分からない表情が張り付いて引き攣っている。
「これ、塞ぐのに少し手間かかるな。誰か応援よこしてくれ。どうぞ」
『北棟方面から、既にそっちに1人、向かっている。どうぞ』
背後の会話と同時に、今まで向かおうとしていた北棟方面から、微かに足音がしたような錯覚。
「おいおいおいおい、おい、これ、絶対にヤバくないか、おい」
ルイが乾いた笑い声を漏らす。
「状況わからんなりに、俺の勘は、ヤバイ、とりあえず逃げとけ、って言ってる」
「俺もだよ」
頷いて、グースは音を立てずに舌打ちしながら、辺りを見回した。
(この薮を抜けたら、北棟まで隠れられるような物陰はない)
もしも本当に誰かが向かって来ているなら、鉢合わせる事になる。
「……ルイ、西棟に隠れよう」
「引けず進めずなら、横に逸れる、それしかねぇわな」
血生臭い風の流れてくる西棟には、不吉な予感しかしない。しかし、消去法は必然的にその選択肢を掲示。
「……行こう」
正体不明の危機感に急かされるようにして、2人は西棟の方角に向け、足音を殺して駆けだした。




