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神には届かない  作者: 空野
神には届かない
56/93

AM 08:12(3)


 深く考えるより先に足は地面を蹴っていて、殆ど転ぶように、手近の教室へと転がり込んだ。

 瞬間、今まで立っていた位置に、目的にしていた階段方向から飛んで来た銃弾が突き刺さる。


 後方でトーラスと見回り組の撃ち合いが始まっていた。そして、それに合わせて階段に潜んでいた1名が攻撃してきたのだ。


(……流石にヒヤリだな。ちょっとでも判断が遅れていたら確実に死んだ)


 思わず片手を胸に当てつつ、視線は素早く転がり込んだ室内を見回す。


(教官準備室)


 目を付けていた階段に一番近い教室の、ひとつ手前の部屋らしかった。教室ではなく教官用の準備室で、室内には教材である雑多な器具の他、ソファや給湯設備、そして何やら生徒なり教官なりが獲得したと思しきトロフィーや表彰状の収まったガラスケースなどがある。


 ただ、そのガラスケースは破壊されていた。

 ケース内に飾られていたと思しき内戦時の表彰状が床に落ちていて、何度も踏み付けられた足跡がある。

 内戦における議会軍の立役者であるデアロック議長のサインがあるから、見回りの際にでもテロリスト達が不愉快に思ってやったのだろう。


(……やれやれ)


 努めて冷静に肩を竦めながら、扉横に移動し、壁に背を付けて外の様子を伺う。

 少しだけ、耳の内側では鼓動の音が聞こえる。


 後方では、トーラスと3階から下りて来たと思しき見回り組のテロリストが牽制し合っており、そして前方の階段には、やはり1名が潜んでいる気配がある。


 迂闊に動けないな、と思った時だった。


「サンダース・クレイガン」


 前方の階段から、声がした。


「そこにいるのは、〝英雄〟だな?」


 若い男の声だ。若く静かで、けれど妙な威圧感がある声だった。


「大当たりだな、おめでとう」


 一瞬、逡巡してから、サンダースは意図して素っ気なく答えた。


「それで、サインでもいるかね?」


「欲しがると思うか?」


「よく欲しがられるんだ」


「おめでたいことだ」


 鼻で嗤う暗い声が響いて来る。


「〝英雄〟扱いされて調子に乗ったか?随分とイキった返しが出来るようになったな、クレイガン」


「まるで過去の私をご存知のような台詞だな」


 トマスの戦況をチラリと伺いつつ答えた。今はまだ、膠着。しかし見回り組3人の内、1人でもこちらに来れば、事態は少しややこしくなる。


(早くケリをつけなければ)


 どうしたものか、思案していると。



「過去、お前に会った」



 聞こえた返答に、ピクリと眉を寄せる。


「過去に?」


 内戦期にどこかの戦場で戦ったのだろうかと、視線を戻した暗い階段の先。



「議事堂戦だよ、サンダース・クレイガン〝中佐殿〟」



 バクン、と、心臓が跳ねた。


「……生き残りがいたのか」


 無意識に、自分にすら聞き取れないほどの低く小さな声が出た。


あの戦いで、独裁軍側にも生き残りがいる可能性は、とっくに承知していた。

 けれど、いざそれが目の前に現れたならば。


(……まるで亡霊でも見たような気分だな)


 バクン、バクン、と心臓はゆっくり、けれど重く強く脈打っている。

 痺れるほど冷え切った頭の奥で、思う。


(……生き残りということは、あの日、あの場にいたということは、この男は)


 無意識に、自分の手の中の銃を強く握り直す間に。


「お前が、俺達諸共に何を焼き払ったか、俺は見た」


 暗い暗い嗤い声に、一瞬、息を止めた。


「部下を、同志を、焼き払って生き延びた姑息な男が〝英雄〟か!まったく、この国はおめでたい!」


 肺の中で無数のガラスが割れていく錯覚。言葉のひとつひとつが、肺を突き刺し、心臓を凍り付かせる。


(この男は、知っている)


 〝英雄〟が、決して知られてはならない過去。

 内線の終わった日、病んだこの国を支えるために政府が抹消した、たった1日の出来事。


 サンダースが、一生、隠して、隠し通して、背負い続けねばならない秘密。


 音を立てないように、何とか深呼吸をしようと試みる。

 けれど、穴だらけの錯覚に染った肺は上滑りして、吸い込んだ空気から得られる酸素は僅かばかり。あるいは、その息苦しさすら、凍えて冷え切った脳髄が見る錯覚なのかもしれなかった。


「俺は、カーン・ハーウェン。タインズ軍中佐。この立て篭り作戦の司令官だ」


 階段の向こうから、亡霊が囁く。


「お前の正体を知っている。担ぎ上げられた偽の〝英雄〟、お前の過去を、汚点を、知っている」


「汚点などとは、思わない」


 落ちた声は、存外に平静だった。

 肺も脳髄も冷え切っているくせに、口も喉も、他人のように白々しく平静だった。 


 白々しく、たた本音を落としていた。


「あの作戦は、私の汚点ではない」


 そんなものではない。決して。決して。



(あれは、俺の罪だ)



 あの炎の記憶は、サンダースの、罪。 

 その唯一の贖罪こそが〝英雄〟であること。



(私は〝英雄〟でなければならない)



 なってみせると誓ったのだ。その為に、あの日、あの場所は、大切な、大切な、大切なものは、燃え落ちたのだ。


(だから、私は〝英雄〟でなければならないんだ)


 そう思えばこそ、そう誓えばこそ、肺も脳髄も冷えていた。

 その誓い、その贖罪。あの日、炎に消えた戦友達の思いを、全て瓦解させるかもしれない亡霊が、目の前にいる。


 一生涯、隠し通して、背負っていかねばならない秘密を知っている亡霊が、目の前に、いた。


 固く握り締めた銃を、左手に持ち替えようとする。

 きっと、右手は痙攣していて、使い物にならないだろうから。


 けれど。

 ふと見下ろした先。


(黒)


 黒い銃身に、別の無機物を重ね見た。

 つるりとしていて、ゆるく曲線を描く、そのフォルムを。


 黒い受話器の、その残像を視た。


(……ああ、そうだ)


 たったの、ひとり。たったの、ひとりだけれど。

 全て知って、それでも、サンダースを英雄と呼んだ子供が、いたのだった。


 右手で銃を握り直す。

 指先は、きちんと動いて、確かに手の中の武器を掴み直した。



 もう、震えてなど、いられないのだ。

 英雄は、怯えてなんて、いられないのだ。



(……落ち着け。落ち着け。俺は、大丈夫だ)



 負けてたまるかと思う。こんなところで、負けてたまるものか。


 これはただ、〝サンダース〟として、負けられない勝負なのだ。


 サンダースの肺と脳髄が温度を取り戻す間に、後方、トマスのいる物置の方面では、再び銃声が上がった。


「少将!そっちに、1人行きます!」


 鋭いトマスの声に、視線だけ振り返る。


 見回り組らしき男がひとり、こちら側へ廊下を走って来るところだった。


 トマスは、残りの2人を食い止めるので手一杯。


「ゲームオーバーだな、〝英雄〟」


 カーンの声が嗤う。


「我々は常に1つ手榴弾を所持している。一階で使ったのは俺の物だ。そこにいるルアンは、いつでも、お前がいる教室目掛けて手榴弾を投げ込めると言うわけだ」


 カーンのいる階段方向を音で伺いつつ、サンダースは視線で後方、こちらへやって来た見回り組のルアンを観察した。

 確かに、その手には手榴弾が握られている。


「まずは、武器を全て廊下に投げ出せ」


 カーンの要求に、ふむ、と少し考え込む。


(……武器を捨てろ、か)


 相手も元は正規軍人というのか厄介だった。こういった任務において、どんな武器をどれくらい携行しているか、あらかた予想できる相手なのである。


(……下手に誤魔化そうとすれば、バレるな)


 ナイフは手元に残しておこうだとか、半端な誤魔化しは通じないと考えた方が良さそうだった。


「早くしろ、1分以内だ」


「焦る男はモテないぞ」


 努めて軽い声で応じながら、仕方なく装備一式を外し、廊下に蹴り出す。


(……あれくらいしか、使えそうにないな)


 蹴り出しながら振り向いたのは、すぐ側。

 壊れたガラスケースから投げ出された、軍刀だった。


 式典用の華やかな軍刀だが、投げ出されて少し鞘から抜けて見えている刀身は、間違いなく本物だった。


(……銃を持った相手に対してアナログどころの話じゃないが。……まぁ、無いよりマシだ)


 廊下ではルアンが素早く蹴り出された装備を回収し、内容に違和感が無いか確認しているところだった。


 それを見ながら、足だけでソッと軍刀を引き寄せる。そうして、いつでも使えるように鞘から抜いて、ルアンや階段から見えない位置にそっと置いておく。


「おそらく素直に全部出したでしょう。妥当な内容です」


 外ではルアンが階段に向けて頷いていた。


「本当に全ての武器を出したか、クレイガン?」


 カーンの声に、ああ、と返答する。


「不安なら上着も脱いで投げ出してやろうか?」


 努めて軽く平静な声に、カーンは数秒間を置いた。

 それから、次の要求が、廊下に響く。


「10秒以内に、そこから廊下に出て来い」


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