PM15:19
(……まだ、誰も出ないのか……)
グースは半ばグッタリとして心中で呟いた。耳に当てた黒い受話器の向こうでは、沈黙が続いている。時折、どこかへ接続を移しているのか、機械的なぶつ切りの物音が響くのみだ。
軍部の中でも士官学校を統括する教育部門に連絡して、その後、いくつかの事実確認をされた。
それから数回、違う部署に繋がれて同じ事を繰り返し、今に至る。
やはり、今も、どこか違うところに繫ぎ直されているのだろうか。
(ひょっとして、悪戯だと疑われているのか……?)
ベッドの上、受話器に耳を当てたまま、壁に寄り掛かる。ひんやりと冷たいそれに、すぐに背中が痛くなって離れた。
(……いや、この事件に限って、悪戯なんてありえないとは、軍部だって思うだろう)
内線で聞いたテロリストの言葉からしても、すでに彼等は軍部なり議会なりに要求を出しているはずだ。そうであれば、この事件は既に国内に知れ渡っていると考えて良い。
よりにもよって、独裁軍の残党によるテロ。しかも、国内犯罪史上最悪規模の人質立てこもり。悪戯で対策本部を混乱させるような不謹慎な輩は、そうそういまい。
まして、この国だ。徹底的に、内戦によって痛めつけられ、毎日、毎日、知った顔が血みどろになって、時に原型も留めずに死んでいく日々を超えて来たばかりの人々だ。不謹慎どころか、国中の憎悪を買うこと間違いなしの悪戯するような浅慮は人間は、現在のこの国に、生きていない、生き延びられてはいないだろう。
軍部だってそれくらいは考慮しているはずだ。ならば頭から悪戯を疑われることはないであろうし、これだけ長時間電話を接続しているなら、逆探知くらいしているはず。間違いなく士官学校内部から来ている電話であることくらい、理解していよう。
だから大丈夫だ、と、徐々に鼓動を早める心臓を押える。
その間も、受話器を当てたのとは反対側の耳は、部屋の外に誰かの足音が聞こえてきやしないかと警戒していた。
不安と恐怖が、常に低い位置で停滞している。決定的なものがないまま、爆発することも、高まることもできずに、ただ間違いなくモヤモヤと喉の下あたりで蠢く。
出口のない不快感のせいか、酸素が薄くなったような気がした。喉の下に停滞している不快感が増して、軽い吐き気を覚える。
(くそ、本当に、このままじゃ精神的にやられる)
俯いて、不快感をどこかへ追いやろうと目を閉じた。
その時。
『やぁ、聞こえているかね?』
若い男の声が、受話器から漏れた。
「はい、聞こえています!」
ハッとして飛び上がるように顔を上げると、グースは受話器を握り直した。
『グースハウザー・ラインス、君の名前は、それで間違いないかね?』
受話器の向こうの声は、淡々とそう確認する。
「はい、間違いありません。第三士官学校所属、識別ナンバーG0156、グースハウザー・ラインスです」
無意識に背筋が伸びていた。相手の情報は、声から伺えるもの――男で、おそらく若い―くらいしかないが、それでも士官候補生のグースより階級が上なのは間違いない。上下関係に厳しい環境で暮らしてきた習性で、見えないにも関わらず、ベッドの上、ピシリと姿勢を正して固まる。
『そうか』
受話器越しの声は感情の読めない口調で頷くと、一瞬、間を持って。
『君、誕生日は?』
出し抜けに、そう問い掛けた。
「え?」
グースは目を丸くして、けれど反射的に答える。
「8月15日、ですが……?」
なぜ、いきなり、と首を傾げる間もなく。
『君の友人らしい、ルイという少年、彼のファミリーネームは?』
「バーグです」
またもや反射で返答して、気付いた。
(俺が本物か、確かめようとしている……?)
考えてみれば当然だった。お国柄、悪戯の可能性は低いとしても、テロリストによる成り代わりは十分に警戒される事態のはず。
理解して、グースの背中は、緊張に強張った。
もしも、何かおかしな受け答えをすれば、偽物と判断され、通話を切られるかもしれない。
そうなれば、と無意識に室内を見回した。この眩暈を覚えるような息苦しい不安の中で、たった1人、命の賭かったかくれんぼを続ける事になるのか。
(無理だ、そんなの、無理に決まってる)
外部の情報が全くない、いつ救助されるかの見込みも立たず、完全に孤立無援なんて、考えるだけで絶望的だった。
無意識に受話器を握り絞め、息を詰めるグースに、男の声は、また淡々と問い掛けてくる。
『君の身長は?小数点以下一桁まで』
「174.4センチです」
意識せず固くなる声で答えながら、そっと深呼吸する。
(大丈夫、俺は俺、本物なんだ。普通にしてれば、大丈夫、大丈夫なはずだろ……!)
徐々に早くなりつつある鼓動を押さえつけ、そう冷静を保とうとするグースに、受話器越しの質問は続く。
『ルイ・バーグの髪の色は?』
「茶髪です」
『彼の家族構成は?』
「姉が1人。しかし入院中で、しばらく会っていない、と」
『では、君の寮部屋の番号は?』
「22-97号室です」
『君の同期である、ギャスパー・ラッセルのあだ名は?』
「ブラッディ・ギャスパーと呼ばれていました」
淡々と質問を続ける男は、それに対するグースの返答に、一切のコメントをしなかった。
その反応の薄さに、グースの中ではますますと不安が募っていく。
(……全部、間違えては、いないはずだ……)
しかし、ひょっとして、自分は何か大きなミスを犯したのではないか、何か既に男の中で偽物と断じるに十分な間違いを答えたのではないか。
焦りが、膨らむ。
そんな中で、およそ20秒ほど、沈黙があった。
そして不意に。
『君の同期の、アラン・ブルネイ。彼の恋人の名前を、フルネームで』
投げられた質問に、グースの息は、一瞬、止まった。
「アラン……」
確かに、同期だ。ノッポのアラン。縦にヒョロリと長くて、少し臆病な。手先が器用で、機械に強い。銃の解体整備なども得意である。それで、記録会前には狙撃銃の整備を頼んだりするから、ルイに次いで親しい友人だった。
けれど。
(恋人なんて……いたのか?)
そんなこと、知らなかった。
男ばかりの士官学校だ。そんなものが出来る機会なんて限られている。まして、要領は良いが臆病気味で奥手そうなアランに、そんな話は聞いた事がない。
(……どうしよう)
グースは不穏に乱れ始めた脈拍を押えるように胸に手を当て、思考する。
(……予想して、あの人かなって答える事は、できるけど)
男ばかりの士官学校だからこそ、そんな環境でアランが関係を深められそうな女性は限られる。街の女の子達の誰かだとするなら、必然、アランと一緒に街に出る事の多いグースならば、心当たりは絞れる。
けれど、それはあくまでグースのカンによる予想だ。
(間違っているかも、しれない……)
あるいは、女の子とも限らないというのもあった。男っ気ばかりの軍隊に付きもので、士官学校の中にも、毎年、何組か同性でカップルが出来る。隠しているものも含めたら、おそらく、そこそこ多いのではないか。
アランにその気があるなど聞いた事はないが、だからこそ、実は男の恋人だからグースにも言えずに隠していたという線は否定できない。
疑い出せば可能性は山のように膨れ上がって、予想で答えようにも、もはや、その予想の収拾がつかない。
(間違えれば……答えられなければ、疑われる……!)
頭の中でグワングワンと雷鳴でも鳴っているようだった。
(どうしよう……)
この沈黙すら、懐疑を強める材料になっているかもしれないという焦燥の中、グースは、引き攣る喉から、ようやっと、言葉を絞り出す。
「……俺には、わかりません」
喉から漏れた声は、震えていた。結局、膨大な予想の中からたった1つの正解を引き出せる気なんて少しもしなくて、ただ正直に漏れた言葉だった。




