one day
ある青年は記憶している。
耳殻の内側を焼く乾いた音を。
慟哭はありふれて、他人の嘆きに振り返る者はいなかった。誰かを救う為に脚を止めてしまえば、足を止めた自分に向けて銃が吼えると、誰もが知っていたから。
地獄のような地響きは日常で、だから、それに怖気て動けなくなってはいけなかった。たとえ一歩だろうとも、より遠くへ、遠くへ進もうと足掻き続けなければ、爆撃に焼かれ、戦車に挽き潰されるのだ。
いつだって耳殻を焼いていた音の数々を、彼は鮮明に記憶している。
けれど、最後に聞いた業火の唸りの中、誰かが叫んでいた、たった一言だけは、覚えていなかった。
独裁者への忠誠だったろうか。
それとも、祖国の自由への祈りだったろうか。
そのたった一言だけは、今も記憶の中で混濁して、答えが出ない。
また、ある少年は覚えている。
網膜に突き刺さる枯れた色を。
何も掴めずに落ちる誰かの袖の緑、投げ出されて二度と歩き出さない誰かの靴の焦茶。
誰かの、何かの、何色だろうとも。いつもいつも最後には真っ赤に汚れて地に落ちた。
いつだって網膜に突き刺さっていた色の数々を、彼は明瞭に覚えている。
けれど、あの日に、夜明けに白む窓の外に見た、たった一本の旗の色だけは、覚えていなかった。
独善を貫く独裁軍の黒だったろうか。
それとも、血の先に幸福を祈る議会軍の青だったろうか。
そのたった一旗だけは、今でも、彼の中で曖昧に霞んでいる。
――どちらも、もう過去のことだった。
青年の耳に聞こえるものすべて、耳殻を焼く慟哭だったのは遠い日。
少年の目に映るものすべて、網膜に響く非情な色だったのは遥か前。
その時、震えていたのは誰だったか。
あの時、隠れていたのは誰だったか。
彼等がどれだけ覚えていても、全て、もう変えようがない。
とっくに、過去のことだ。




