六
暴力の表現がありますので、苦手な方はご注意ください。
時は少し遡る。
竜神が同胞との話を終え、渋々子供たちの相手をしながら夕餉を気にしていた頃。
ふと、近づいてくる足音に気が付いた。人ではない。馬だ。顔を上げると、馬に乗った希旺がこちらに向かってくるところだった。
竜神の前で、希旺は馬を止めた。雄大と砂仁が歓声を上げて希旺にまとわりつく。だが、青年はそれにかまわず、馬上から何かを探しているふうだ。
地面に絵を描いていた竜神は、持っていた石を投げ捨て、話しかけた。
「もう少しすれば夕餉の時間だが、食べていくか? 我は作れぬが」
希旺は馬から降りると、荒い息のまま竜神に掴みかかった。
「美和は! 家にいるか?」
あまりの勢いに一歩後ろに下がった竜神は、首を傾げる。
「美和なら、那津の屋敷に行くから、今晩は返ってこぬそうだ」
「くそっ」
それだけ言い捨てて、希旺は身を翻した。その形相も、額の汗も、尋常ではない。
希旺の腕を、竜神が捕まえた。
「待て。何ごとなのだ」
落ち着いた声に、希旺は鋭いまなざしを向けた。
「あんたに話したところで、何もできん」
「話せ。美和のことなら、なおのこと」
竜神は自分とほぼ同じ目線の相手を睨みつける。美和の幼馴染みは、わずかな逡巡ののち、口を開いた。
「……美和が那津の身代わりとなって、領主の屋敷に行ったらしい。領主の北の方を選ぶ宴に、各村から娘が招かれている」
希旺が納屋に隠れていた那津を見つけたのは、偶然だった。問い質したところ、泣きながら事実を話してくれた。すぐに太郎を呼び、大人たちが見つけられない場所に那津を移す手配はしたが。
「領主は理性を失っている。嘘をついて潜り込んだ美和の身に、何が起こるかわからない」
早口の希旺に、竜神は眉をひそめた。
「美和は、領主のことを賢君だとたいそう褒めていたが」
「領主は変わった。嫡子がかどわかされ、行方不明らしい。屋敷で働く者に暴力をふるったとか、酒におぼれているだとか、ここ一年の領主にまつわる噂で、いいものはない。そんな所に、ただでさえ村で差別されている美和が行ってみろ」
意味もなく辺りを見回し、希旺は乱暴に地面を蹴った。
「あいつはまったく、おせっかいで、どうしようもない。このままでは、村の体面も守れないし、あいつ自身にとっても悪い結果しか待っていない」
「悪い結果? 美和は、どうなるのだ」
静かな竜神の声。
希旺は手綱に手を伸ばしながら、苛立たしげに吐き捨てる。
「最悪、領主を謀った罪で殺されるかもしれん。ここにいないのなら、誰にも正体がばれずに領主の屋敷に潜入できてしまったのだろう。とにかく、一刻も早くあいつを連れ戻さなければならん」
希旺は勢いをつけて騎乗しようとした。
しかし。
不意に感じた肌があわ立つような感覚に反射的に後ろを振り返る。
青年は驚愕した。
竜神の髪が、風もないのに揺らめいている。目の中の瞳孔は縦に長くなり、白目の部分がなくなっていた。体から、かすかに金色の光がにじみ出ている。腕組みを解いた腕の指の先には、いつの間にか長く伸びた爪。
明らかに、人ではない何かがそこにいた。
「美和が殺される? そんなことは断じて許すわけにはいかぬ」
竜神が目を細めて呟いた。今までのように低い美声というだけでなく、頭の中に直接響くような、不思議な心地の声、いや、音だ。
希旺の愛馬が、大きく鬣を揺らし、嘶く。
「領主の屋敷とは、どこにある」
問われ、希旺は無意識のうちに、小高い山を指差していた。
「あの山を越えて最初にある町の中心、四角い塀で囲まれた大きな屋敷だ」
竜神はついと視線を向けた。紅葉で斑に色が変わった山の向こうへ、日の光が沈み始めている。
「我を連れて行ってはくれぬか」
頼まれた言葉に、否やを唱えるという発想が欠片も出てこなかった。頭の中を支配されたかのように、希旺は頷くことしかできない。
そこに、必死な声が割って入った。
「一緒に、連れていって」
背の高い二人を見上げるその相手に。
「よかろう」
何を思ったか、竜神が了承した。
三人は、希旺が村で用意した二頭の馬にまたがり、領主の家へと走り出した。
領主はじっくり間を置いた後、唐突に笑い出した。
「お前、どこの村の出だ」
「し、紫剋村です」
「そうか、そうか」
愉快そうに顔をゆがめた相手はしかし、次の瞬間、美和の胸ぐらをつかんで引き寄せた。強い力に、抗うこともできない。
男は一切の笑みを消す。
「お前の村は、わしを何と思っているのか。その緑色の目。鬼を差し出されるとは、面白い余興じゃ」
怖いと思っている場合じゃない。美和は自分を叱咤し、必死に口を開いた。
「わ、私の目に覚えはございませんか。私の母は、昔、前領主様にお世話になった海の向こうの者です」
領主の眉が、ぴくりと動く。しかし、彼が発したのは、ただ一言。
「そうか」
領主はふうん、と頷きながら、物珍しげに美和の瞳を覗き込む。その眼に映る感情はなく、危うい天秤にかけられているようだった。
息苦しさを感じながら、美和は相手を刺激しないよう、なんとか体をまっすぐに保つ。
「生意気な目じゃ」
領主がぼそりと呟いた。
美和の頭に一瞬、那津の「その目、嫌よ」という言葉がよぎる。
自分の意志ではどうにもならない現実に、美和はただ、唇をかむことしかできない。
そろそろと、壊れ物を触るように動いた手が、美和の首に絡みついた。そして、躊躇なく美和の細い首を締めつける。
「惟久様!」
側近の声がむなしく響いた。
誰もがこの状況についていけず、ある者は中腰になり、ある者はぽかんと口を開け、事態をただ見ているしかない。
多少の罰は覚悟していたが、まさか、公衆の面前で絞め殺されるのか。
美和は絶望的な気持ちで、苦しさに喘いだ。
頬を、生理的な涙が伝う。
それは、顎を伝って宙に落ちた直後に、真っ白な玉になった。
玉は、とんとん、と軽い音を立てて床の上を転がっていった。
篝火の中、白い玉が妖しく光る。
「し、真珠……?」
娘の一人が、呆然と呟いた。その声は、異様にしんとした部屋の中にひどく響いた。
「なに?」
領主が、手から力を抜く。美和はその場に崩れ落ちた。
ようやく入ってきた空気を吸い込みながら、美和は必死に咳き込むのを我慢した。領主の怒りに何が触れるかわからない。なるべく注意を引かぬよう、と必死だった。
こらえる気持ちの代わりに、涙が一粒、二粒と床に落ちる。
それらはすべて真珠になった。
「娘、これはどういうことだ」
顔をゆがめて呼吸を繰り返す美和に、真珠を拾った領主が膝をついて問い詰める。
「この粒は、お前が出したものだ。その緑色の目からは真珠が出るのか? いつからだ。どのくらいの量を今までに手にしている」
領主の顔は、酔いで赤らんでいながらも真剣だった。
美和は戸惑った。そんなはずはない。今までに、一度だってそんな摩訶不思議な現象が起こったことなどない。何かの間違いではないのか。
「し、知りません。本当です……こ、こんなの、初めてで」
ただ「知らない」というだけなのに、領主の怒気にあてられて、上手く言葉にならない。
領主は憎々しげに顔をゆがめた。
「嘘をつくとためにならぬぞ」
美和は強く首を振る。
「嘘ではありません!」
「……貴様の村は、この真珠を秘密裏に売買した隠し財産があるかもしれんな。これは早急に調べねば」
「領主様、本当です! 私、本当に何も知らないんです」
顔から血の気が引く。那津の身代わりを引き受けたことが、村に知れたら。那津はどうなってしまうのか。
「知らぬわけがあるか!」
領主は怒鳴ると、美和の髪をつかんだ。
「もう一度泣かせたら、もっと真珠が手に入るか。さあ、泣いてみろ。お前が知らぬと言った真珠を、たくさん出して見せよ!」
痛みに、出そうと思わずとも涙がにじむ。
殺されは、しないだろう。殺してしまったら、なぜ出るのかかはわからないが、真珠もまた、領主の手には入らなくなる。
このくらいの嫌がらせは、小さな頃に村で散々受けてきた。
暴力はいつか止む。
それでも、同等の人として扱われない悔しさや痛みは、美和の心を簡単に引き裂く。
村から距離を置いていたこの五年間、それとはほとんど無縁だったから、なおのこと。




