悪魔を讃える詩
誰もが眠る夜の空を薄く広がる雲が覆っている。切れ目からのぞく月は三日月だが、月光は大地まで届かない。薄い闇が鍋の底に溜まるように濁っている。
アルバストン墓地――午前1時。
死に絶えたように生物の気配はない。小さな風が吹き、草花だけがその身を揺らしている。
墓地内を東西に伸びる通路を東の入り口から西へクロエとシロネを先頭に私はその後ろを歩く。二人の背中にはリュックが背負われ、クロエの手にはカンテラがつかまれ辺りをぼんやりと照らす。左右にはプレート型の墓石が草地の中に無作為に散らばっていた。前に進むつれて墓石は劣化していき、苔やカビが付着している。
「ここを曲がってっと……」
特別な目印は置いてなかったがクロエは下見で訪れた際に目的の墓の位置をしっかり頭に刻み込んでいたらしく迷うことなくある地点で右に曲がり、墓と墓の間を進んでいく。
「あった。ここだ」
足を止め、カンテラを墓にかざすと間違いなく昼間確認したサイラス・クラウディー子爵の墓であった。暖色の光に照らされ、闇の中に目の線刻が浮かび上がる。
「それじゃあ、掘るぞ」
「あいよー」
二人はリュックを下ろし、飛び出た持ち手をつかんで中からシャベルを取り出す。
「んじゃ死神は見張りよろしく」
「頼んまーす」
「了解しました」
墓石の前の地面を掘り出した二人から距離を取り、辺りを見回す。近くには薄いベールのような闇が広がっているが遠くには街の輪郭がおぼろげに見え、街灯がほんのりと空を照らしている。
後ろには土を掘る音。シャベルの先端が地面に差し込まれ、雑草ごと土が持ち上げられる。土は端に捨てられ小山を成していく。
掘削音が交互に生まれ、単調だが小気味のよい音楽を奏でていた。途中、二つの掘削音が同時に耳に入ったがおそらくクロエがペースを乱したのだろう。体力や反射神経などの運動能力の面でクロエはシロネに劣る。しかし、情報を収集して分析し推測する作戦立案能力においてはクロエの方が勝っていた。
頭脳労働担当のクロエと肉体労働担当のシロネ。
お互いがお互いの短所を補っているこの姉妹だからこそ今までやってこれたのだろう。
能力的な意味でも精神的な拠り所としての意味でも。
墓を荒らすことは人間の倫理においては悪であるらしい。死者を辱しめ、死者の尊厳を穢す行為だと忌み嫌われている。さらには山賊や海賊など盗賊からも軽蔑されているらしく外道の恥ずかしい行いだと蔑まれていた。私などの人外からすれば五十歩百歩であるように思うが、もしかしたら自分たちより最低の存在を作ることで心の安寧を図りたいのかもしれない。
されど疑問に思う。
死者とはすでに動かなくなった者。あらゆる生命活動を永遠に停止した者のことだ。根幹をなす魂はここにはない。冥界へと連れて行くのが私たち死神の役目であるのだが、ではなぜ死者に尊厳が与えられ、守るべき者として扱われているのか。どれだけ辱しめようとも、死者が屈辱を覚えることはないのだ。
では、誰が屈辱を感じるのか。
それは遺族であり、生前の死者とつながりがあった者だ。親しき者を穢せれれば屈辱を覚えるのは当然といえる。また悪人も善人も関係なく誰もが必ず死に向かう。死者となって初めてこの世の束縛から解き放たれるのだ。死を通過することで安寧の楽園が手に入る。そこから考えると死者が眠る墓を暴くというのはその眠りを妨げることであり、悪人も善人問わず眠りを妨げられることに不快を覚えるというのも納得がいく話である。
だから、嫌われる。善人はもとより悪人からもあらゆる人間から嫌われる。
それが墓を荒らすということなのだろう。
しかし、墓荒らしの言い分にも理解を得ることはできる。貴重な物品を死者と一緒に埋めたところでその価値を無碍にするだけだと。この世のありとあらゆる者は生きている者のためにある。死者のためにあるのではない。死者が指輪を身に付けて何になる? 死者が剣を持って何になる? 死者は着飾ることも剣を振り下ろすこともできないのだ。
クロエとシロネ以外の墓荒らしにも会ったことがあるが彼はこう言っていた。
『なら、自分が再び世に戻してやろう。価値ある宝物をこの世に舞い戻し、その真価を発揮してやろう』
その方が世のためになるのだ、と。
この二人にそのような信条があるかはわからない。それでも守るべき倫理を踏みにじっても墓荒らしを続けねばならない理由が彼女たちにはある。
後ろ指を差されても叶えたい願いが。
『うっうわあ……』
背中から届いてくる二人の漏れでたような声に思考を打ち止め、私は思わず振り返る。
「しっ死神ーちょっと来てくれー!」
「ちょっと見てよーなんかヤバイの出た!」
二人は掘り返した墓穴のそばに立ち、シャベルを土に差して杖代わりにしていた。
クロエの声は震えていたが、シロネの声はそこまで怯えているようではなかった。
「一体、何が出たって言うのです?」
「いっいいから見てみろ」
「驚くと思うから」
何だろう、と疑問なまま墓穴を覗き込む。
石でできた棺桶があった。
表面の中心には三重の円に六芒星という魔法陣が描かれ、空いたスペースを埋め尽くすようにびっしりと文字が描き込まれていた。
「なるほど……」
思わず声が漏れる。
ここまで狂気……否、執念を感じる棺を見たのは初めてだ。
「魔法陣に、詩ですねこれは」
『詩?』
「天使を批判し、悪魔を賛美する詩。もしかしたら賛美歌なのかもしれません」
天使がいかに愚かで、悪魔がいかに正しいのかが叙情的に読まれている。
黒魔術に嵌まる者など悪魔信仰に陥った者がほとんどなので悪魔賛美はそれほど不思議なことではないが、二人にとってはこのような棺を見るのは初めてなのだろう。
「本当か? 開けたらトラップ発動ということは?」
「雷ドッカーンとかないよね?」
「……ありうるかもしれません」
正直に述べると二人は苦虫を噛み潰したような顔をした。ここまで掘ったのに、という感情がありありと見える。
「ホラホラ、かわいい顔が台無しですよ。元気出して」
『チッ……』
舌打ちされた!?
もしかして、こいつ使えねえなとか思われてるのだろうか……。
「それでどうするんです? このまま埋め戻して帰りますか?」
「うう、人事だと思って……」
「何か起きたらお前のせいだからなー」
「えっ、シロネさん、それはちょっと……」
ぶつぶつ言いながらも二人は墓穴に入り、縦に並んで石棺の蓋に手をかける。
「何が出るかな何が出るかな♪」
「死神、後で殴る」
「死神、後で首絞める」
気分を盛り上げてやろうとしたのに犯罪予告をされてしまうとは……。
わかりあえないって悲しいね。
「行くぞ、シロネ」
「行くよ、クロエ」
お互いを励ますように声を掛け合い、二人は腕に力を込めて石棺の蓋をずらした。
――その瞬間、石棺に描かれた魔法陣をなぞるように赤い光が奔る。それだけではなく赤い光は石棺の文字にまで広がり、全体に浸透していく。
「なっなんだよこれ!?」
「わかんない! 文字が赤く光ってる!」
「お二人とも上へ! 墓から離れてください!」
慌てふためく二人を促して地面へ上がらせると墓石に刻まれた目が光り、白く淡い光を放つ何かをいくつも排出しはじめた。それらはローブを着た人間の上半身という姿をしており、頭部はフードに隠されていて細部まで見ることはできなかった。
「ぎゃああああああああ!! 幽霊ぃいいいいいい!」
「クロエ、落ち着け。ただの死神もどきだよ」
「シロネさん、あれと一緒にされるとさすがに傷つくのですが……」
一応神だぞこっちは。
クロエは恐怖からかシロネに抱きつくがシロネは取り乱すことなく「おーすげー」と宙を回る異形どもを眺めていた。
「クロエさんはだいぶ怖がってるようですけど、シロネさんは怖くないんですか?」
「んー、あたしは幽霊よりも生きている人間の方が怖いと思ってる派だから」
だからと言って死んだ人間や幽霊が怖くないというのもおかしな理屈である。
双子の姉妹とはいえ、姉と妹という立場の違いによってここまで差異が出るとはなかなか興味深い変化だった。
「見たところ、こいつらはレイスのようですね」
「レイス? 幽霊の仲間? だったらこいつらを冥界に連れて行くのがお前の仕事じゃないの?」
「ちょっと違いますね。私が連れて行くのは魂です。だけどこいつらは魂ではない。決定的に違うのはその在り方です」
「在り方?」
目はどんどんレイスを生み出していく。
淡い光が宙を舞う光景は見る人が見れば幻想的に映ることだろう。
「こいつらは魂の一部を使って作られた人工霊です」
「そんなことが可能なの?」
「ええ、黒魔術の秘法で、魂を分割する術があるのです。それを応用すれば可能ですよ。あまり表には出ませんがリッチと呼ばれる死霊魔術師は魂を肉体から取り出して分割し、いくつかの聖句箱と言われる箱に分けているそうです」
それなら肉体が死んでも本体の魂は別にあるため、そこから魔術で肉体を操り行動することができる。人の道を踏み外してまでこの世にいたいという執念。それが彼らを生み出したのだ。
「触れるとヤバイ?」
「ええ、ヤバイです。生気が奪われます」
「マジで?」
「マジです」
ゲッと顔をゆがめたシロネは地面に差しっぱなしのままのシャベルの持ち手をつかみ、もう片方の手で震えるクロエの頬をぺちぺちと叩く。地味に痛そうなビンタだった。
「おいシロネ、しっかりしろ。あの幽霊どもは死神がなんとかしてくれるって」
「ええ、まあ。約束でしたから」
黒い大きな鎌――デスサイズを具現化し、両手で握って腰をひねり、下段の構えを取る。
間合いに入ったらバッサリだぞコノヤロー。
「ですので、お二人にはフリアグネの短剣をお任せします」
「ん、ああ。私は大丈夫、私は大丈夫……よし、復活!」
自己暗示で自分の精神状態を立て直したクロエは、シロネに抱きついていた身体を放すとすでに赤く染まっていた頬を軽く叩く。
「お帰りクロエ。うん、依頼は何としても果たさないといけないからねー」
「そういう意味もありますが……」
宙を飛ぶ数十匹のレイスのうち、一体が襲い掛かってきた。爪の伸びた干からびた両手を広げて突っ込んでくる。
「えいっ」
腰と両腕を振り、大鎌を横に薙いでレイスを切り裂く。上下に真っ二つに分かれたレイスはすぐさま鎌の刃に吸収されその姿を消した。
「やるぅー!」
「おお、美事」
クロエとシロネが珍しく賛辞を送ってくれるが――その時、石棺が重い音を立てた。
蓋が外れ、ドサッと土の上に落ちる。
「……嫌な予感しかしないぞ」
「なになに!?」
「これはこれは……」
クロエとシロネ、振り向いた私の視線の先、墓の主である子爵の上半身が起き上がる。そのまま膝を曲げ、手を突いて立ち上がった。その手には黒一色の片刃の短剣が握られている。鍔のない短めの直刀。刃にはヒビの入った太陽のマークが描かれていた。
「サイラス・クラウディー子爵……」
起き上がった死者を見て、クロエが呆然とその名を呟いた。




