14
内臣鎌は、国守の私邸に腰を落ちつけていた。
一沙が伺いをたてると、すぐに大狼に会うという返事がきた。大狼は、一沙に伴われて鎌のいる室に向かった。
「まるで、待ち構えていたような性急さだったぜ」
渡り廊下を歩きながら一沙は言った。
「あの男らしくもなくな」
同じ狐の一門とはいえ、さして好意の感じられない口調だった。一沙も、鎌が気にくわないことにかけては大狼と同様なのだ。
「異人のことを聞きたいんだろう」
「たぶんな」
いま大那で起こっていることを、鎌はどの程度まで知っているのか。
大狼は考えた。
大王祭で偽神官をでっちあげたのは彼と大王だ。手白香の神官たちがそろって命を断ったことは承知のはず。
「おれは席をはずさなくちゃなるまいが」
一沙は言った。
「何があったのか、後で残らず教えてくれるだろうな」
「もちろんだ」
鎌は奥座敷で鎌に対峙した。
外は吹雪が続いている。
昼間だというのに室内はだいぶ薄暗く、彼の側に置かれた火桶の火だけが妙に赤っぽく浮き上がって見えた。
鎌はまだ、三十代。鼻筋の通った面長の顔立ちは端正で、同門の一沙と似ているといえないこともない。
少々のことでは動じそうにない、冷たい玻璃のようなまなざしを大狼に向けていた。こちらを常に見透かしているような、油断ならない雰囲気がある。
だが、よくよく観察すれば、彼の眼には疲れのようなものがほの見えていた。頬は削げていたし、顔色も悪い。
この何ヵ月かの間に、彼もだいぶ打ちのめされていることは確かだった。
「こうして会えたのは、幸運だったな、風嵐の大狼どの」
鎌は口を開いた、
「あの海戦で死んだものと思っていた」
「香川の戦いの時、あなたの率いる軍の中にいた。あなたは気づく暇もなかったでしょうが」
つい皮肉っぽい口調になる。
「まったくだ。知っていたら、もっと早く会えたものを」
鎌は言葉を切り、大狼の顔をじっと見つめた。
「手白香のことは舞波の稀於どのから聞いている」
「稀於どの?」
大狼は、眉を上げた。
「いつ?」
「わたしが沼多に来る直前だ。都で会った。あなたが大津波で亡くなったと思っているようだった。あなたの代わりに話さなければならないと」
「そうでしたか」
大狼は、つぶやいた。
あの少年に会ったことを、鎌に話してくれたのか。
「稀於どのは、まだ都にいるのですね」
「いや」
鎌はゆっくりと首を振った。
「羽白を捜すと言って、すぐに都を出ていった」
「羽白?」
突然の名前に、大狼はあっけにとられて目を見開いた。
羽白は龍の一門の生き残りだ。たしかにあの少年も、〈龍〉らしいが。
「申し訳ない、内臣。最初から説明してもらえませんか」
「そうしよう」
鎌の表情は、大狼が室に入った時からまるで変わっていなかった。
大狼は、彼の落ちつきぶりに、いささか腹が立ってきた。だが、これが彼流の強がりなのだろうと思い直す。
心の中の不安をさらけださないように、しっかりと仮面をかぶっているのだろう。不健康な性格だ。
「神官たちが死んだのは、一年近く前だ。大神官が、大王の前に現れた」
「大神官が?」
「ああ。あれは、死のまぎわの霊だったと大王はおっしゃる。わずかの間に、大王の精神に入り込んですぐ消えた。自分たちは、死をもって〈大主〉を呼び起こしたと。それは、大きな禍をもたらすだろうが、大那にとっては必要なことなのだと」
「〈大主〉とは、神官のつくった地霊の象徴では」
「いや、〈大主〉は存在するらしい。〈龍〉の終わりの時代から手白香に籠もり、長い年月のうちに深い眠りについていた。神官たちの霊が目覚めさせた」
「では、おれが見た少年は」
「〈大主〉というものだろう」
「神官は、異人の襲来を予知していたのでしょうか」
「おそらく」
「知らせてくれさえすれば」
大狼は、膝の上でこぶしを握りしめた。鎌は首を振った。
「異人に抗する時間はできただろう。だが、神官は、異人よりも地霊の衰えを恐れていた。いずれ、大那の地霊は消滅する。これを機に、大那を再生させようとした」
「再生?」
「焼き畑と同じだ。すべて焼き尽くす。あたらしい芽をもたらすために」
「おれたちは、雑草じゃない」
「神官にとっては、草木も人間もかわらぬものだ。地霊の大小こそあれな。神官の務めは大那の地霊を守ること。そこに生きているものたちは、地霊の付随にすぎない」
大狼は唇をかんだ。だからといってこのまま焼き尽くされるわけにはいかない。
「どうすれば……」
「大神官も、すべてが地霊に還ることをよしとしたわけではない。その前に〈大主〉を鎮めなければならないと言ったそうだ」
鎌は言葉を切り、大狼を見た。
「最後の〈龍〉の琵琶弾きが、〈大主〉を鎮めることができるらしい」
大狼は、はっとつぶやいた。
「羽白」
「大神官は、その名を大王に示したそうだ」
大狼は、あいかわらず端然として座っている鎌を見つめた。
「稀於どのにも、同じ話をなさったのですね」
「稀於どのは、たしかに羽白ならばできるかもしれないと言った。宮廷からも、大那の四方に人を出している。羽白を捜すために。しかし」
鎌は、息を吐き出した。
「いったい、羽白にそれだけの力があるのだろうか」
「わかりません」
大狼は、首を振った。
「でも、羽白は龍の一門の生き残りだし、霊鎮めの琵琶を弾ける。おれたちよりはずっと、霊的な力を持っている」
「結局は、〈龍〉か」
鎌は乾いた笑い声をたてた。
「何千年たとうとも、大那は龍から逃れられないわけなのだな」
いくぶん自嘲ぎみに、
「羽白に頼るしかないわけだ。異人よりも、〈大主〉が脅威になるとは」
「内臣」
大狼は、背筋を伸ばして座り直した。
「異人はなんとかなるかもしれません」
鎌は、かすかに眉を上げた。
「と言うと?」
「おれは、一月異人の捕虜になっていました。異人も、だいぶ痛手を受けていた。雪に食糧難に大那方の奇襲、この状態が続けば、いずれ異人は全滅か、〈帝国〉に逃げ帰るかするでしょう」
「それを待っている」
「待っててはだめだ」
大狼は、きっぱりと言った。
「大那は、〈帝国〉と和平を結ばなければならないんです」
「和平?」
鎌は、はじめて声を鋭くした。
「今更なぜだ。異人の敗北は眼に見えている。こちらから折れる必要はない」
「ところが、ある」
大狼は、今まで頭の中でまとめてきたことを熱意をこめて鎌に語った。
大那が生き延びるためには、閉ざされた地霊の循環を断ち切り、外に向かって手を広げなければならないのだ。
「いままでの大那は、ひとつの円の中にある閉ざされた世界だったんです」
大狼は言った。
「この円の中にいる限り、おれたちは滅びなければならない。たとえ〈大主〉を鎮めることができたとしても、やがてまた地霊は衰えるだろうから。だったらいっそ、円を壊すしかないでしょう」
「壊す」
鎌は、ほとんど聞き取れない声でつぶやいた。
「ああ、壊さなければならないんです。大那は、〈帝国〉に屈するわけじゃない。〈帝国〉を取り込んで大きくなる。円を開けば、世界はどこまでも広がります。大那は変わる。地霊の質だって、もしかすると以前とは違ったものになるかもしれない。世の中、変わらないものなどなにひとつないんだ。大那は、新しい時代を迎えなけれはならないのです」
室の中は、いっそう薄暗くなってきたようだった。火桶の火明かりが、鎌の整った顔を、仮面のように見せている。
「しかし、大狼どの」
鎌はようやく口を開いた。
「異人は大那を欲している。あなたの話では、大那の金は彼らにとってこのうえなく魅力的なものらしい。そのような異人が、和議で満足するだろうか。再び大那に攻め込んでこないとは言いきれまい」
「おっしゃる通りだとは思います」
大狼は、正直になところを口にした。
ハイラも言っていたことだった。彼自身は和議を望んでいるが、本国がどういう態度で受けとめるかはわからないと。
ハイラならば精一杯のことはしてくれるだろうが、結局は〈帝国〉の皇帝の決定しだいというわけなのだ。
「ですが、内臣。〈帝国〉までは、半年の航海です。帝国人が再び大那に現われるまで、一年以上の時間がある。万一、和議を拒まれた場合の準備もしておけるでしょう」
鎌は低く笑った。
「一年後の大那がどうなっているか、見当もつかないと思うが」
「ひとつひとつが、賭けなんです」
大狼は、語気を強めた。
「羽白が〈大主〉を鎮めることができるかどうか、〈帝国〉が和議に同意するか否か。そんなことは、誰にもわからない。ただ、賭けに勝つためには、やるだけのことはやらなければ」
言葉を切って、じっと鎌を見すえ、
「〈帝国〉の件は、内臣のお力しだいだと思います。あとは大王と〈帝国〉との駆け引きになるでしょうから」
「皮肉を言われているようだな」
「とんでもない」
「まあ、いい」
鎌は唇の端をちょっと歪めた。
「策士と言われるのは慣れている。〈帝国〉にとって利があるのは、大那との戦いよりも交易だと思い知らせればいいわけだな」
「そういうことです」
鎌は腕組みし、天井を仰いで目を閉じた。彼がはじめて見せる、妙に人間くさい動作だった。
「今夜一晩、待ってもらおう」
鎌はやがて、大狼に視線を戻して言った。
「よく考えてみる。返事は明日の朝だ」
「それで、脈はありそうか?」
一沙が言った。
「言うだけのことは言ったつもりだ。あとは待つしかないさ」
その夜大狼は、鎌と同じ邸内に寝所を与えられた。一沙の宿舎は国府内にある別の建物だったが、大狼と鎌の話が終わるのを待って尋ねて来たのだ。
二人は向き合って火桶を抱え込んでいた。燈台の明かりが、互いの顔を照らし出している。
奥の方に柔らかな布団が敷かれているが、大狼は自分が最後に布団に寝たのはいつだったのか思い出せもしなかった。
大狼は、両手を火にかざした。
「好かない人間だが、才覚は認めているよ」
「おれもだ」
一沙は、しぶしぶと同意した。
「この陣も、なかなかうまくまとめてはいる」
「津木の奇襲も、内臣がさせていることかい?」
「ああ。効果はだいぶあるようだ」
「だいぶどころか」
大狼は肩をすくめた。
「一昨日、おれはあやうく焼け死ぬところだった」
一沙は目を見開いた。困ったように額をこすり、
「運がよかったようだな、お互い」
「お互い?」
「津木を襲ったのは遠海隊だ。おれが率いていた」
「一沙どのが」
大狼は、唖然として一沙を見た。
あの鮮やかな引き際を思い出す。大那人も戦慣れをしたと感心したものだが、率いているのが一沙だったのなら、なんとなくうなずけた。
一沙は苦笑しながら、冗談っぽく言った。
「おまえさんを焼き殺していたら、舞波の稀於どのに切り刻まれてしまうところだった」
「稀於どのがそんなにまでしてくれるなら、おれも死んだ甲斐があったというものだがな」
笑いながら答え、ふと彼女の名を心の中でつぶやいた。
稀於。
今ごろ、どこにいるのだろう。一人で羽白を捜しあてることができるのだろうか。
大狼は、笑みを消して髪の毛をかきまわした。
「羽白……」
「羽白か」
一沙はつぶやき、眉をよせた。
「まだ生きているんだろうな」
大狼は、ぎょっとした。
「というと?」
「羽白は〈龍〉だ。地霊の少ないところでは生きられない。〈大主〉が目覚めた時、地霊は一気に衰えたわけだろう」
「ああ。だが、しかし」
大狼は、当惑して首を振った。
「今はもとに戻っている」
「もとに戻るどころか、増えているさ」
一沙は深いため息をついた。
「冬は終わらない。大那は、これまでにない大飢饉だ。おれも、ずっと沼多に詰めっぱなしだから、くわしいことはわからない。だが、綾織や俊目の方では、全滅した村もあると聞く。悪い病も流行っているようだし、死者はかぞえきれない」
「そんなに……」
「地霊は、充分増えていると思う。龍が翔んでもおかしくないほどだ。今ならば、羽白も生きていけるだろうが」
「生きているさ、もちろん」
大狼は、自分に言い聞かせるようにささやいた。
「なんとか、乗り切ってくれたと思うよ」
「そうだな」
一沙はうなずいた。
「すまん。つまらない心配をした」
一沙は、大狼と夜明け近くまで話しこんだ。宿舎に帰る彼を見送り、戸を閉めかけた時、大狼はふと視線を止めた。
渡り廊下の向こう側に見える鎌の室には、まだ明かりがともっていた。
翌朝早く、大狼は鎌から返事を得た。
彼はぶ厚い封書を大狼に手渡した。
「これを大王に渡してくれ」
「では」
「大王にお知らせしたいことは、みな書いてある。あとは、大王のご決断を待つ」
鎌は一晩悩み抜いた後の、爽快ともいえる表情で言った。
「勅命が下りるまで、津木への攻撃は止めておく」
「ありがとうございます」
大狼は鎌の書面を懐深くに押し込み、国府を出発した。
風は止んでいたが、まだ小雪がちらついている。春の気配など、まったくない銀世界だ。
乗っているのは鎌の持ち馬で、ハイラに借りた津木の馬よりも栄養状態はいい。雪道を力強く走ってくれた。
ハイラとの約束は五日以内だ。
急くこころを押さえて、大狼は一途に都をめざした。
天に広がる雪雲が、頭上に重くどこまでものしかかってくるようだった。




