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風の狼  作者: ginsui


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13/19

13

 一月前に会った時よりも、ハイラの顔はひとまわり小さく見えた。

 それだけやつれたということなのだろう。しかし声ばかりは相変わらず大きく、大狼をにらむようにしながら一言一言がなりたてる。

「おまえは、この忌ま忌ましい雪も、おまえたちの〈大主〉とやらの力だと言いたいわけなのだな」

「ああ、そうだ」

 兵舎の一室、ハイラの部屋だ。薪が赤々と燃えていた。

 ハイラは部屋の中をいらいらと歩きまわっている。昨日まで大狼がいた部屋とかわりなく、ろくな調度もなくがらんとした室内だった。副総督であるにもかかわらず、ハイラは部下たちと同じような生活に甘んじているようである。

 大狼は薪の前に胡座をかいて、ハイラの動きを目で追っていた。佐巣が側にひかえていて、両者の言葉をそれぞれに伝えている。

「あんたがたは雪解けを待っているかもしれないが、冬は続くだろう」

 大狼は、きっぱりと言った。

「帝国人が大那の侵略を諦めないかぎりはな」

「脅しをかけているつもりか?」

 ハイラは立ち止まり、片手を振り上げた。

「ただの異常気象かもしれんのに」

「もし、ただの異常気象だとしても」

 大狼は、ハイラの緑色の目をまっすぐに見つめた。

「それが、どれだけあんたがたを苦しめている? 二度の大災害で、どれだけの帝国人が死んだ? だいたい、この冬の後に、あんたがたにはおれたちと戦える力が残っていると思うのか」

 ハイラは眉間にくっきりと皺を寄せた。

「いずれ、大那に来た帝国人は全滅するぞ。なんのための犠牲なんだ。得るものは、なにひとつなかったというのに」

「収穫はあった」

 ハイラは、むっつりとして言った。

「この大陸には、金鉱が眠っている。それを報告し、援軍がやって来れば、また形勢は逆転する」

「一年がかりでか? そうしている間に、あんたがたはもうこの世にはいなくなるさ。援軍が来ても、また〈大主〉が力をふるうだろう」

「狂信者め!」

 ハイラは吐き出すように言った。大狼は、首を振った。

「本当のことを言っているだけだ。大那では、風や四季の移り変りと同じように地霊は自然のものなんだ。あんたが地霊を信じないというのは、おれが〈帝国〉やあんたがたの皇帝を信じないというのと同じことなんだよ」

「〈帝国〉は、確固として存在している」

「地霊も、同じく断言できる」

 ハイラは焚火をはさんで、どかりと大狼の向かいに腰をおろした。立てた片膝を両手で抱えるようにする。顎を膝の上にのせ、彼はじっと考え込んでいた。

 ハイラがいままで言っていたことは、たてまえなのだ、と大狼は思った。知りたいのは彼の本音だ。彼だってこれ以上、部下たちを異国で死なせたくはないにちがいない。

「大那は〈帝国〉に支配されない」

 大狼は、静かに言った。

「だが、交易はできる。おれたちの世界は、ずっと大那だけだった。〈帝国〉の存在を知ったいま、おれたちも外の世界に目を向ける必要があるんだ」

「……」

「おたがい、はんぱでない犠牲を出している。これ以上の戦は、時間と死者の無駄だ。いつ終わるかわからない戦を続けるより、早いところ和議を結んだ方がお互いのためだ」

 ハイラは、しぶしぶと口を開いた。

「確かにな」

 大狼は、大きくうなずく。

「あんたがたが大那を引き上げるというのなら、おれは沼多に行って、奇襲攻撃をやめるように伝えよう。〈帝国〉に帰る準備の手助けも、できるだけのことはするつもりだ」

「ありがたいことだ、と言って欲しいか」

 ハイラは苦笑した。

「それは、おまえひとりの意見にすぎん。佐巣の話では、おまえはおまえの一族の長ということだが」

「ああ、そうだ」

 父なき今は、大狼が〈狼〉の惣領だった。

「たかが族長ひとりに、この大陸の王を動かすほどの権限があるとは思えん。舌先三寸で逃げて行くつもりではないだろうな」

「とんでもない!」

 大狼は、声高に言った。

「おれは、必ず大王に談判する。大王だって馬鹿じゃない。おれの言葉を聞き入れてくれるはずだ。いまの大那には、〈帝国〉が必要なんだ」

「ずいぶんと〈帝国〉に入れ込むようになりましたね、大狼さま」

 佐巣が、あっけにとられたように口を挟んだ。

 大狼はぎくりとしたが、そ知らぬふりを決め込んだ。足元を見られてはまずいことになる。あくまでも対等に条件を持っていかなければ。

 大那を守る方法を、風嵐の山中で大狼は見つけたと思った。

 大那は、長く閉ざされた世界だったのだ。その中で、地霊はひとつの環のように生死をめぐり続け、いま力つきようとしている。

 閉ざした箱の中に火を入れれば、火はいずれ消えてしまう。箱を取り去れば、消えかけた炎は再び燃えはじめるだろう。

 火が燃え続けるためには、新しい外気が必要なのだ。大那にも、それと同じことが言えるのではないか?

 外の世界との交流が、大那にいい影響を及ぼさないと、誰が言い切れる?

 世界が広がれば、地霊も新しい気を得ることができる。それは、大那の新鮮な生命力となるだろう。大那は確かな甦りの力を手に入れるのだ。

 あとは、あの少年が何ものであるか知ることだが。

「おまえが、おまえの王のもとに行くとして」

 長い沈黙の後、ハイラはゆっくりと口を開いた。

「またここに戻って来るまで、何日かかる?」

 大狼は、思わず顔をほころばせた。ハイラが話に乗ってくれたのだ。

「沼多に寄っても、六日あれば大丈夫だと思う」

「五日だ」

 きっぱりと、ハイラ。

「五日?」

「五日以内に王に会い、わたしがおまえを信用するに足る証拠を持って来い」

「そうすれば、大那を引き上げてくれるのか?」

「首尾よくいけば、だ」

 ハイラは重々しい声音で言った。

「わたしの上に総督がいることを忘れてはいかん。彼が向かいの島で金に溺れている以上、まず彼をなんとかせねばなるまい」

「そのことは、あんたにまかせる。あんたなら、うまくやってくれると思う」

「あまり、買い被らない方がいい」

 ハイラは鼻を鳴らした。

「ただし、五日以内におまえが帰らなければ、おまえをとんでもない嘘つきと見なすことにする。二度と和平を結ぶ気にはならないだろうから、そう思え」

「わかった」

 大狼は、ハイラの悲痛ともいえる表情を見つめた。彼は覚悟を決めたのだ。これ以上の犠牲者を、彼も望んではいない。

「それから、もうひとつ」

 ハイラは言った。

「われわれが無事に〈帝国〉に戻れたとしても、皇帝をうまく説得できるかどうかわからない。われわれを臆病者と罵って、新たな征服軍を送り出すかもしれん。そのことは、憶えておいてもらおう」

「たとえそうなったとしても」

 大狼はハイラをじっと見つめ、心から言った。

「おれは、あんたができるかぎりのことをしてくれたと信じるよ」

 ハイラは眉を上げ、ふんと小さく鼻先で笑った。

「あまり先々のことは考えない方がいいかもしれん。今はまず、手近な目的にとりかかることだ」

「その通りだな」

 大狼は、にっと笑って請け合った。


「それじゃあ、大狼さま」

 佐巣が言った。

「お待ちしています。五日後に」

 佐巣は、大狼を津木の出口まで見送りに来たのだった。

 あつい雲の隙間から、かろうじて朝日が射し込んでいた。一面の雪景色は、黄味を帯びた光をきらきらと放った。

 こんなことは、前にもあった。

 沼多をめざして馬を走らせながら大狼は思った。

 都の狼屋敷だ。こんなふうに佐巣に見送られて手白香に向かったのは、せいぜい三月前のこと。

 なのに、もう十年もたっているように感じられる。あれから、実にさまざまなことが起こったのだ。

 もう、たくさんだ。

 大狼は考えずにはいられない。むかし通りの穏やかな日常を、取り戻してもいいころだ。大那に平穏が戻るなら、自分はどんなことでもするだろう。

 大狼の願いを嘲笑うかのように、雪が舞いはじめた。

 木々をどよもし、風も強くなってくる。じきに吹雪の様相となった。

 馬を励まし励まし、大狼は先に進んだ。と言っても視界はひどく悪く、どこを進んでいるのかすらわからなくなってしまう。

 大狼は、とうとう馬から降りた。横なぐりにたたきつける雪から顔をかばいながら、手綱を引いて一歩一歩、歩ませた。

 しばらく行くうち、道が広くひらけたことに気がついた。目をこらして前方を見ると、ゆるやかな斜面の下は、視界のかぎり雪原だ。

 大狼の胸は、はっと痛んだ。ここは、香川の川原だったところなのだ。

 地は裂け、川水がのたうって、死人の浮かぶ泥沼と化した場所だった。いまは雪の白が、きれいにつつみ隠している。

 大狼は、膝まで雪に埋もれながら、吹き曝しの雪原を横断した。容赦のない吹雪は、顔に痛いくらいだった。馬が哀れっぽく、しきりと鼻を鳴らしていた。

 やがて、前方が登り斜面となり、斜面の上に木立が見えてきた。大狼は、やれやれと風を避けて木立の中に入り込んだ。

 その時、数人の人影がばらばらと木立の間から現われ、大狼のまわりをとりかこんだ。

「待て、どこへ行く」

 中の一人が、太刀を抜き放ったまま言った。

「おい!」

 もう一人が驚いたように叫んだ。

「おまえ大那人か?」

「ああ、そうだ」

 大狼は、ほっとして彼らを見まわした。

「しかし、ここから先は異人しかいないはず」

「捕虜になってた。おれは風嵐の大狼」

「風嵐の若殿?」

 彼らはまだ、驚きを隠しきれないでいる。

「正真正銘本物だよ」

 大狼は、にやりと笑って見せた。

「ちょうどよかった。おれを沼多まで連れて行ってくれ」

 大狼を見つけたのは、津木の見張り役たちだった。その近くに仮屋が建ててあって、沼多にいる者が交替で帝国人の動向をさぐっていたのだ。

 彼らのひとりが、大狼を沼多まで連れていってくれた。彼は大狼の身に起きたことを知りたかったろうし、大狼も沼多の様子を尋ねたかったが、互いにそれどころではなかった。歯を喰い縛り、吹きすさぶ雪の中を進むしかなかったのだ。

 二人は、それでもようやく沼多の国守の館に辿り着いた。

 大狼を入り口の誰もいない板間に通すと、彼は報告のためにもっと奥の方に入っていった。

 大狼は、壁にもたれて座り込み、ひと息ついた。

 国府の事務官たちの仕事場だったらしく、長い机がいくつか並べてある。墨の匂いがそこかしこに染みついていた。火の気はなくて寒々としていたが、外の吹雪よりはずっとましだ。

 しばらくすると、どたどたと足音がして、誰かが室の中に飛び込んで来た。

 大狼は、彼と顔を見合わせた。

 痩せていっそう険しくなった顔つきだが、まぎれもなく、

「一沙どの!」

 大狼は、顔中を笑みにした。

「大狼」

「あなたも沼多に来てたのか」

「ああ、そうだ」

 遠海の一沙は大狼の前にどっかりと座り込んだ。まだ信じられないとばかりに、じっとその顔をのぞき込む。

「どうやら、これは生身らしいな」

「あたりまえだ」

 大狼は、胸を張った。

「生きてはいないと思っていた」

 ため息まじりに一沙は言った。

「てっきり、海で──」

「異人の捕虜になっていたんだ」

「逃げてきたのか?」

「いや。いろいろあって」

 大狼は、くしゃりと髪の毛をかきむしった。

「一沙どの、いまの沼多の責任者は誰だい?」

「内臣だ。あの戦以来、ずっといる」

「ちょうどいい」

 大狼は、腰を浮かしかけた。

「会わせてくれないか。話したいことがある」


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