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風の狼  作者: ginsui


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12/19

12

「ずっとお待ちしていましたよ」

 佐巣は愛敬のある顔を向けてきた。

「あなたのことだ、きっと風嵐から逃げ出して来ると思っていましたからね」

「だとしても、おまえに会うつもりなど毛頭なかった」

 大狼は、むっつり顔をそむけた。

 津木の松林跡に建てられた、兵舎の一室だった。降り続く雪のために、帝国人たちはとうとう天幕暮らしをあきらめたようだ。ほとんどの天幕は畳まれて、代わりの兵舎が何棟か建て増しされている。それぞれ五つか六つに部屋をしきった、長屋じみた建物である。

 床は土のままで、厚い敷物が敷かれていた。部屋の中央に浅く穴が掘られていて、火だけは景気よく燃えている。煙は、まっすぐに天井の煙抜けの穴に立ち昇った。

 どういうわけか今回は、前よりも待遇がいいようだ。鎖につながれているわけでもなければ、魚臭い納屋に入れられているわけでもない。佐巣が部屋を出る時は外からつっかえ棒をしていくが、こんな造りの長屋なら、戸口を蹴破ってだって出ていくことができるだろう。

 気力体力、充分な時に限るだろうが。

 いかんせん、今は大狼の気力に体力がついていけなかった。

 佐巣に担ぎ込まれるようにしてここに来たのだ。

「あなたでなけりゃ、死んでいたかもしれませんね、若殿」

 佐巣の冗談に言い返す力もなかった。

 手足には数えきれないほどのすり傷が残っていた。身体はまさしく死人のように青ざめ、冷えきっていた。

 うつらうつらと眠り続けるだけの日が二日続き、次の日はようやく薄い粥を飲み込める程度。

 身を起こしてどうにか佐巣と話しできるようになったのは、五日目の今日になってからだ。

「だいぶ、痩せたみたいですね、若殿」

 佐巣は大狼をまじまじと見つめている。

「若殿はやめろと言っただろう」

 吐き出すように大狼は言った。

「ああ、すいませんね、つい癖で」

 佐巣は気にもかけないようにして、細い薪を火にくべはじめた。

「では、大狼さま。あなたが風嵐に連れて行かれた時は、まったく急だったのでどうすることもできなかったんですよ。ハイラは、もう少しあなたの話を聞きたかったでしょうが、捕虜全部を風嵐に送れという命令でしたからね」

「ハイラは、おれの言った話を総督に伝えたのか」

「伝えました。でも爺さん、一笑にしただけだそうですよ。信じていれば、風嵐で金を掘りあさるなんてことはやめているでしょう」

「だろうな」

 大狼はため息をついた。あの強欲そうな爺さんに何を言っても無駄のような気がする。

 大狼は、はっと思い出した。

「総督は、まだ生きているのか?」

「知っているんですか?」

 佐巣はきょとんとしたが、すぐにうなずいた。

「そうか、あなたはあのごたごたの時に逃げだしたわけなんだ」

「誰かが総督に、鉄玉をぶつけた」

「顔を見ましたか?」

「いや、突然だったからな」

「やったのはおそらく、金色頭ですよ」

「帝国人というわけか?」

「ええ。でも、残念ながら爺さんは、かすり傷だけでぴんぴんしています。あそこにいた人間は二人も死んだそうですがね。彼は爆風で吹き飛ばされただけでした」

 佐巣はガルガの悪運の強さに顔をしかめるようにした。

「犯人を絶対に捕まえろと爺さんは激怒していますよ。でも、そう簡単に捕まるはずはないと思います。なにしろ、ここにいる帝国人はみんな彼を憎んでいますから」

 大狼は、いぶかしげに眉を上げた。

「風嵐にいた帝国人は、そんなふうには見えなかったが」

「でしょうよ。彼らはいわばガルガの親衛隊なんです。まだ戦に直接かかわったこともない。ここにいる者たちとは、立場が違う」

「なんで総督が恨まれるんだ?」

「あなたを喜ばすようなことを言うようですが」

 佐巣は気を持たせるように、ちょっと間をおいてから言った。

「兵たちはみんな〈帝国〉に帰りたがっているんです」

「ああ」

 そのことは、よく理解できた。戦の最中の二度の大被害。降り続く雪に身動きはとれず、ただいたずらに日を送るばかりなのだ。風嵐にいる、一部の採掘者を除いては。

「ここにこうしているより、戦で死んだ方がよほどましだったと言う者もいるくらいです。だいぶ病死者も出ています。こんな冬の気候には、みな慣れていないんですよ。それに、船に残っていた食糧は風嵐の方に多く行っていましてね、津木の館の倉にも手をつけていますが、どこまで持つか」

 大狼は、うなずいた。

「時々、沼多の方から大那の奇襲隊がやってきます。突然現われては、一荒れして逃げてしまう。これもなかなかやっかいで、兵は神経を使っているようです」

「だいぶ惨憺たるありさまのようだな」

 声に自然と同情がこもった。

「だから、さっさと〈帝国〉に帰ればいいんだ」

「ガルガが恨まれる所以はそこにあるんですよ。爺さんは、風嵐の金を見て歓喜しています」

 大那の遠征にあたって、ガルガは準備よく子飼いの鉱山師を何人か連れて来ていた。いにしえの海人の祖は、神々の住む楽園を夢見て大那に漂流して来たが、彼の場合はもっと現実的だった。楽園ならば当然金もあるはずと信じて疑わなかったらしい。

 はじめから戦はハイラにまかせっぱなし。津木に渡って来たかと思うと叱咤激励しただけで、捕虜をひきつれさっさと帰ってしまった。彼が考えているのは、未知なる大陸の富をいち早く手に入れること、それだけなのだ。

「黄金ぼけですよ、早い話が」

 佐巣は鼻先で笑ってみせた。

「風嵐を採掘した後は、本土にとりかかるつもりでいる。それまでに、本土の大那人たちを平らげろとおっしゃる。哀れなのは本土の兵隊です。食糧はない、仲間は病死する。総督を殺して一日も早く〈帝国〉に帰りたいと思う者が出るのも当然でしょう」

「副総督の方はどうなんだ?」

「ハイラは気の毒に板ばさみですよ。兵たちの気持ちはよくわかる。再三こちらの現状を報告していますが、爺さんは耳の穴にも金を詰め込んだようで聞く耳もたない。ガルガは総督で、つまり皇帝の代理なんです。逆らえば反逆罪として即、首が飛ぶことも考えられる。こんどの一件だって、ハイラの立場をあやうくしていることは事実なんです。爺さんはけっこうハイラの存在をうるさがっていますから、総督暗殺を命じたのがハイラだと断定でもすることになれば、ばっさり」

 佐巣は、自分の首を手刀で斬るまねをした。大狼は思わず顔をしかめた。

 佐巣は声を出して笑い、大狼についと顔を近づけた。

「ハイラはあなたが言った〈大主〉の話を気にしているようです」

 大狼の目の奥をじっとみつめるようにして、

「いったい、〈大主〉は、本当に存在しているんですか? 天気がこんなにの荒れるのも、帝国人が大那に来た怒りのためなんですか?」

 大狼は大きくうなずいてやった。

「大那が飢饉にみまわれたのは、帝国人が来る前からだったはずですけどね」

「そりゃあ」

 大狼は負けじと弁解した。

「〈大主〉は、おまえたちが来ることを予知していたんだ」

「なるほど」

 佐巣は含みのある笑みをうかべている。

「どちらにしろ、わたしはあなたの言うことを無条件で信じるつもりですよ、大狼さま。あなたは嘘を言えない人だ」

 大狼は、むっとして肩をいからせた。

「おれを、からかっているのか?」

「とんでもない」

 佐巣は彼をにらみつけている大狼に、やんわりと首を振った。

「〈大主〉を信じなければ、現在の帝国軍はにっちもさっちもいかないところに来ているんですよ。このままでは全滅してしまいます。金に埋もれて大往生ならガルガも本望でしょうが」

 大狼は、佐巣をにらみつづけた。あいかわらず、どこまで本心か、どこまで自分をからかっているのかわからない顔つきだった。

「ハイラはあなたに会いたがっていました。風嵐から、あなたひとりを連れて来るわけにもいかないと考えていたようでしたが、わたしが請け合ったんです」

 佐巣はすまして言った。

「風嵐の狼は、きっと逃げ出して来るってね」

「おまえに見つかったのは、おれの失敗だった」

「さっきと同じことを言い合っていますね」

 佐巣はくすりと笑った。

「でも、わたしはちゃんと予測していたんですよ。首尾よくあなたが渡ってくるとすれば、あの磯だってね。で、毎日お待ちしていたわけなんです」

「毎日?」

 大狼は眉を上げ、歯をむきだした。

「閑人め!」

「待っていただけの価値はあったでしょう。こうしてお助けできたんですから」

「おまえに助けられなくとも、おれは生き延びていたろうさ」

 大狼は、悔しまぎれにそっぽを向いた。

「もう少し横になっていた方がいいですよ」

 佐巣は笑いながら立ち上がった。

「夜になったら、ハイラを連れて来ます」

「ハイラを?」

「ええ。あなたが元気になるのをずっと待っていました。彼に〈大主〉のことをもう一度じっくりと話してやるんですね」

 佐巣は、大狼の鼻先に指をつきつけた。

「あと一押しです。こんどこそ納得すれば、彼なりの行動を起こすでしょう」

 彼なりの行動?

 つまり、ガルガに逆らうということか。

 しかし大狼は、まじまじと佐巣を見つめずにはいられなかった。

「佐巣」

 きつい声で問いかける。

「おまえの目的はなんなんだ?」

「目的?」

 佐巣はきょとんとしたように首をかしげた。

「大那の味方だとは言わせないぞ。おまえは一度おれたちを裏切っている。いったい、何の魂胆があって、そんなにぺらぺらと帝国のことを喋るんだ」

「魂胆なんてありませんよ」

 佐巣は両手をひろげて首を振った。

「わたしだって、早く〈帝国〉に帰りたいんですよ。貴重な五年を〈帝国〉にささげているんです。しかるべき地位をもらうか、恩給生活も悪くない。どれもこれも、命あって母国に帰ってからの話なんですから」

「信じていいんだな?」

 佐巣は真剣な大狼のまなざしを、たじろぎもせずに受けとめた。

「いちばんの理由はね」

 ふと真顔になって、

「あなたへの好意ですよ、大狼さま。わたしは、ずっとあなたが好きでしたからね」

「からかうな!」

 思わず大狼の方が顔をそむけた。

「ますます信じられなくなりましたか?」

 佐巣は軽い笑い声を響かせ、大狼に背をむけた。

「じゃあ、行きます。ハイラの口説き方を、いろいろ考えておくことですね」

 佐巣の閉めた戸口に何かぶつけてやろうかと思ったが、あいにく手ごろなものがみあたらなかった。

 佐巣が外からつっかえ棒をかける音がし、大狼はあきらめてごろりと横になった。両手を枕に、目を閉じる。

 佐巣をどこまで信用するかは問題だが、帝国人が内輪揉めをおこしていることはまちがいがなさそうだ。

 なんとかそれを、大那の吉となる方向に持っていかなければ。

 うとうととそのまま眠り込んでしまい、目覚めた時には日が暮れていた。

 衰えかけた焚火の炎だけが、薄闇の中に浮かび上がっていた。

 大狼は、まだ節々が痛む身体をそっと起こした。焚火に身を寄せて、傷だらけの手を炎にかざす。

 と、外がにわかに騒がしくなってきた。

 なにやら、叫びかわす声が聞こえる。耳をすませば、弦のうなりやぶつかりあう太刀の音も。

 大狼は立ち上がった。

 部屋の中が、やけに煙たくなってきた。目の前の焚火のせいではなかった。この煙は、隣の壁からしみだしてきている。同時に熱気も押し寄せる。

 と思う間もなく、壁の上側の一角が黒ずみ、炎が音をたてて吹き出してきた。もろい木の壁はたちまちのうちに炎に包み込まれていく。

 大狼は戸口に駆け寄った。火は天井にも燃え移った。壁がめらめらと崩れ落ちていく。

 火の粉を払い落としながら、大狼は必死で戸を開けようとした。しかし、つっかえ棒がかかっているので戸は開かない。

 充満する煙が目にしみた。大狼は、咳き込みながら戸に体当たりした。

 力が入らない。

 後ろは火の海だった。天井が崩れはじめ、みしみしと不気味な音をたてていた。

 大狼は、もう一度体当たりを試みた。がたんと、棒がはずれたようだ。

 助かった。

 大狼は、そのまま倒れ込むようにして戸を押し開けた。炎上する兵舎から転がり出、溶けた雪に足をすべらせて尻餅をついた。

 天井が崩れ落ち、大狼のいる場所まで燃える木屑を飛び散らした。

 別の兵舎からも火の手が上がっている。

 闇を舐める炎の中、戦う人々が影絵のように動きまわっていた。

 奇襲隊の攻撃は、しかし短いものだった。一人が片手を振って合図をし、十人ばかりの他の者がすばやく身をひるがえして駆け去っていく。むろん、大狼には気づかなかっただろう。

 大狼は、なかばあっけにとられて彼らを見送った。大那人も戦い慣れしたものだ。

 帝国人は火を消し止める気力もないように、兵舎が燃え尽きるのを待っている。

 佐巣の言う通り、彼らも疲れ果てているのだ、と大狼は思う。

 帝国人は〈帝国〉に帰るべきなのだ。

 大狼が逃れ出て来た兵舎は、もう屋根がすっかり崩れ落ちていた。渦巻く炎の中に、ひしゃげた柱が黒々と浮かび上がっていた。

 大狼は、ぞくりとした。あの時つっかえ棒が外れてくれなかったら、自分はもう生きていなかっただろう。 

 兵舎の前に、急いで駆け寄ってきた者がいた。

 彼は、その場に立ちすくむようにして炎に目をこらした。金色の髪が熱風にあおられている。

(佐巣?)

 大狼も、あの炎の中だと思い込んでいるにちがいない。

 佐巣の肩が震えていた。彼は両手で顔をおおうようにした。大狼を閉じこめておいたことを後悔しているのだろうか。

 このまま気づかれないように、逃げだすこともできそうだ。だが、本気で自分の死を悲しんでいるような佐巣が、だんだんと気の毒になってくる。これからハイラとも会う必要があるのだし。

 そこで大狼は、ふらふらと立ち上がって佐巣の後ろに歩みよった。

「佐巣」

 と、声をかける。

 佐巣は弾かれたように振り返った。

「大狼さま」

 最後の方は声にならなかった。彼の目は、濡れて青く光っていた。

 しかし佐巣はすぐに瞬きし、なにごともなかったかのように言った。

「とっくに丸焼になっているかと思いましたよ」

「狼の丸焼というのは、いただけないな」

 佐巣はようやく彼らしい笑みを浮かべた。

「水責めの後は火責めとは、あなたもさんざんですね」

「まったく……」

 大狼がよろめいたので、佐巣は急いで彼を支えた。

「とにかく、よかった」

 佐巣はつぶやいた。

 大狼は、なんとなく彼を信じてもいいような気がしてきた。


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