(この世界の)人間は馬鹿だ
宿という物は、旅人や冒険者にとって必要不可欠な存在だった。
それは当然の事だろう。旅人は元より、拠点を決めてある程度の区間を活動する冒険者にとって、自身が活動する区間にある都市全てに土地を持ち、家を建てる訳にはいかないのだから……
いや、稼ぎの良い者ならそれも不可能では無いのかもしれない……だが維持費なども考えると、家という物は多額のお金がかかる事には変わりは無かった。
だからこそ、この宿という物は重宝する。
少しばかりの金銭を支払う事で、雨風をしのげる場所どころか、粗悪品とはいえ寝具まで備え付けられているのだから。
宿側も利用する客層をよく理解しているのであろう。
この世界の多くの宿が2階建て以上であり、総じて一階部分は酒屋として運営されている。
というのもギルドの依頼を終えた者……中には死線を潜った者もいるだろう……そんな彼らは、その武勇伝を肴に他の者達と盃を酌み交わしたい物なのである。
故にギルドの依頼を終え、懐にしまい込んだ小袋が豊かに膨らんだ者達は、自身が借りている宿で酒盛りをする事が通例になっていた。
この城塞都市グ・ラムスもその例に漏れない。
少しくたびれた外装の宿を前にし、リジィー・スロードは……かつて人間に滅ぼされた魔王はその扉を開ける。
後ろに続くは、リジィーに絶対の忠誠を誓う、シュリという名のエルフ族の少女……その短い金髪とサファイアを思わせる澄んだ青の瞳が特徴的な、可愛らしい女の子である。
リジィーが酒屋の中に入ると共に出迎えるのは複数の視線……この宿屋兼酒屋の主人はもちろん、酒屋にて酒盛りをしていた複数の冒険者ないし旅人の視線だ。
それはリジィーに向けられた物ではなくその後ろ、エルフ族のシュリへ向けられた物であった。
……別にエルフ族自体は珍しいものではない、この都市からは遠いが、マクジ共和国には吐いて捨てる程のエルフ族がおり、その多くが人間という種族と友好的な関係を築いている。
中には世界を見たいと考える者もおり、その者達はほか3国に籍を移し活動もしている。それとは別に多くの奴隷もいるにはいるが……それは関係のない話だろう。
少なくとも、好奇の視線を向けられるほどの存在ではない事は確かだった。
ではなぜ視線を集めているのか?
簡単だ、その力量を見定め、自身のチームに組み込めないかと画策しているのである。
それは何故かを説明をするには、少しばかりエルフの存在を知ってもらわなければいけない。
エルフ族の特徴を上げる際、多くの者が口にする二つの特徴がある。まず一つ、その特徴的な長い耳。これは対外的な特徴であり、エルフという存在を象徴する特徴でもある。そしてそれ以外にもう一つ、その魔法適正である。
エルフ族のその多くが生まれつき初級魔法、その全てを自在に操る事が出来る。また、その後も鍛錬を怠らなければ中級魔法を行使する事も可能なのである。
言わば魔法を使う為に生まれて来た存在、それが人間の共通認識である。
故にその力に目を付けるのは、死線にいつ放り込まれるか解らない冒険者にとっては当然の事であろう。
魔法というのはそれだけ貴重で、強力な物であるのだ。
一種威圧とも取られ兼ねないその荒くれ者達の視線を、シュリは受け流しつつ……いやこの言葉は正しくは無い、相手にしないというのが正しいだろう。
まるでそこには何も無い様に、その視線に対しなんの反応も示す事無く、シュリはリジィーの後ろを歩く。
その様子に驚くのは視線を向けた者達である。いかにエルフという種族が、自身達とは違う時の流れで生きているのだとしても、目の前を歩く少女……nシュリのその態度は、長い年月を経る事で培われた物だと思わせる物だった為だ。
視線を集めつつ歩くこと数秒、リジィーはカウンターに立つこの宿の主人へ声を掛ける。
「二人部屋を一つ頼む。」
そして、そこで初めて彼らは気が付く……そのエルフを連れ歩く男の正体を。
リジィー・スロード……この近くのとある村から生まれた怖いもの知らずの天才であり、その美名と悪名の数々により、伝説とされてきた男である事を……
だがその男は既に死んだと噂されていた。だからこそ、その顔と名前が今の今まで一致しなかったのも無理は無いだろう。
「貴族殺し……」
「馬鹿野郎!! 死にたいのか!!」
誰かが呟き、叱咤する言葉がすぐさま被せられる。
しかしその言葉は、沈黙が支配していたこの空間では雷鳴のごとく響き渡る。
リジィーは一つため息をつくと共に、その声が聞こえた方へ顔を向け、その場に座っていた二人へ笑顔で言葉を掛けた。
「その名を知っているのなら……あまり俺を怒らせない方がいいって、知っているよね?」
形容するなら凍てつく笑顔だろうか……その笑顔と、声に込められた敵意を受けた二人の冒険者は、まるで蛇に睨まれた蛙の様に硬直するのであった。
リジィーの笑顔を見ると石になる……そんな噂が流れ始めるのは、その後暫く経ってからの話である。
◇◆◇◆◇◆◇
リジィーは懐の小袋から金貨を1枚取り出し、この宿を管理しているであろう体格の良い男に手渡す。
しかし彼はその金貨を手にし、少しばかり眉根を寄せていた。
その反応から一瞬足りなかったか……という考えが頭をよぎるが、すぐにその考えを捨てる。
何故なら金貨一枚というのは、この世界に売られている物……その多くが買える貨幣であったからだ。
いくらこの宿が相場から高いのだとしても、金貨1枚の価値を超えるとは思えなかった。
「すみませんねぇお客さん……実は今銀貨を切らしてるんですわ。銅貨でお返しするにしても……9900枚、お荷物になってしまうでしょう? できれば銀貨でお支払い頂けないでしょうかね? ああ、宿代は一宿銀貨1枚でさぁ。」
「ああ、そういう事か。」
その願いを聞き、小袋を開き中を確認する。しかし運が悪い事にその全てが金貨であった。
「すまない、それしか出せないようだ……」
「そうですかい……なら申し訳ないですが、他をあたってください。」
「いや、待ってほしい。これは提案だが……後日、銀貨が用意出来次第私に返すという形を取れないか? もう既に日は落ち始めているからな。他が見つからなければ目も当てられない。」
「そういう事でいいのならこっちは構いませんぜ。銀貨なら明日には用意できると思いますんで、昼を超えてからまた声を掛けてくだせぇ。」
「ああ、ありがとう。」
軽い契約を交わし、主人から鍵を受け取り二階へ向かう。
鍵に示された番号……それと合う部屋を探し出し、さっそく中に入った。
……其処は少々狭い部屋だった。窓は一つしかなく、差し込む光の角度からだろうが、部屋全体が薄暗い。部屋の中央には小さな丸テーブルが置かれ、その上には夜間に明りを確保するための小さなランプが置いてあった。ベッドは二つ、窓を真ん中に置き、部屋の左右に一つずつ置かれている。
これも少しばかり小さめの様で、シュリが横になる分には問題ないだろうが、自身の体躯では少し足がはみ出してしまうだろう。
(まぁ、銀貨一枚ならこの程度か……)
部屋に入り、間取りを確認しながらリジィーは結論を出す。
別に不満は無い、もしこの場所に不満が出るのなら。初めから上流階級向け……貴族を客層にしている宿に泊まっている。
……なら窮屈な思いをしてまで何故そうしなかったのか? 勿論貨幣が無かった訳では無い。単純に目立ちたくなかっただけなのだ。
リジィー・スロード……既にこの世界では多くの人が知っているであろうその人が、エルフ族の少女を連れ、上流階級の者が使う宿に二人で泊まる……勿論、上流階級向けであるため、個々の部屋の防音などの設備は万全であり、中で何が行われているかは解らない……
……嫌な噂がたてられる予感がしてならなかった……
……青い果実食らい……とかそういった系統の……
まぁ、その点ここならば問題は無いだろう。こういった宿に泊まるのは基本的に冒険者であり、チームを組んだ仲間である。
仲を疑われこそすれ、大きな噂にまではならないだろう。
俺はこれ以上、自身の根も葉もない噂を作りたくは無かったのだ。
……既にさっきの二人組の冒険者の一件で手遅れな気がするのは気のせいだろう……気のせいだと思いたい!!
「リジィー様、それで今後どう活動して行くのでしょうか?」
嫌な未来を考えてしまう思考を現実に戻したのはシュリのその質問。
ああ、そうだなと返しつつ、片方のベッドに腰かけ、対面のベッドに座る様に指示を出す。
「まず、シュリには私の成長を手伝ってもらう。」
「成長……ですか?」
「そうだ。シュリも知っての通り、私は今、10魔族の皆よりも総じて弱い。だからこそ、私は少しでも強くなろうと思っている。」
「ですがリジィー様、今現状の力でも人間共を相手取るには、特に問題は無いという判断でしたよね? なのに何故より強くならなければいけないのですか?」
「確かに、今現状でも問題は無いだろう……だが今後の事を考えるのならそれは違う。今後、人間との戦争を起こした際、大将である私が弱いのでは守りに余分に力を割かなくてはいけなくなる。その力をそのまま攻撃に使えるとするなら、今私が努力するのも些細な労力であろう。」
「そう……ですか……」
シュリの言葉は歯切れが悪い、それも当然だろう。言ってしまえば10魔族の力量を疑われていると取られても仕方が無いのだ。
もちろん俺にはそんな思いは欠片もない、ただ純粋に今後の展開を考えるのなら自身の力が強いに越した事はないのだ。
「まぁ、守られてばかりの王というのも、情けない物だろう? これは単なる私の見栄だ。」
軽いフォローのつもりであったが、シュリはその言葉で自信を取り戻したようだった。
少しばかり単純すぎはしないかと思うが、それは俺に対する信頼の証として受け取っておく。
「さて、それでは今後の流れについて確認して置く。」
脱線した話を元に戻し、シュリに今後の流れを告げる。
「まず、シュリには魔物の駆除依頼をひたすらに発注してもらう。場所はこの都市……城塞都市グ・ラムス近郊、基本的にはゴブリン相手が主流になるだろうが、それとは別にオークなどの中型魔族も出てくるだろう……それを片っ端から片づける。その過程で報奨金とシュリの冒険者としての格も上がっていくであろうから、次の段階に進むのはその後の話だ。」
「次の段階……ですか?」
「ああ、基本的に受けられる依頼は、冒険者の格でその難易度が変わっていく……これをお前の冒険者証と見比べてくれ。」
シュリに見せたのは自身の冒険者証、その金のプレートには10本の線が刻まれ自身が現状で最高位の格であることを示している。
対して、シュリがその手にしているのは銀のプレート、そこには1本の線が刻まれている。それは初心者冒険者に渡される最初のプレートだった。
「それが私とお前の今現在の冒険者としての差だ。」
シュリは自身の知識にない事を聞き、それを理解しようと俺の話に耳をそばだてている。
「今後依頼をこなしていけば、その線がやがて10本になり、金の1本線のプレートに変わる。後は解るな?」
俺の確認に肯定を返し、シュリは物珍しそうに自身の手にする銀のプレートを目にする。
その姿を好奇心を刺激された猫の用だと思いながら。俺はシュリに最後の確認をする。
「さて、私の話は以上だが……なにか聞きたい事はあるか?」
シュリの思考は数秒、やがてその小さな口を開く。
「リジィー様の考えに対する質問……という訳では無いですが。このプレート……銀のプレートの格の名前は初級……でいいんですよね?」
それは冒険者の格についての話だった。シュリの言っている事には間違いは無い、俺が契約した時もそういった説明を受けたからである。
「まず初級の1から始まり初級の10まで上がる、そしてリジィー様のその金のプレートの1になる……それで間違いはないんですよね?」
それはさっきもした話であった。だが頭の良い彼女が、わざわざ一度聞いた事を聞きなおすとは思えない……だから其処には、何かしらの考えがあるという事を察し、何も言わずに頷く。
俺の頷きを受け、シュリは自身の質問を続ける。
「リジィー様、その金のプレートの格の名前はなんですか?」
「……中級だ。」
「そう……ですよね。もしかしてですけど……これって魔法の区分けをそのまま使っているんじゃないですか?」
そのシュリの質問の形をとった断定と共に、俺にも彼女が言いたい事が解ってきた……だが……まさか……そんな事ってあるのか……?
「そしてですね、金のプレートの上って今はまだ無いんですよね?」
「ああ。……だがそんな事あるのか? だとしたら人間共は相当な馬鹿だぞ?」
一種そうであってほしくないという、懇願に近いリジィーの言葉に、シュリは何の躊躇いもなく答える。
「解り切った事じゃないですか。リジィー様」
あるのは虚脱感、その現実を目の前にして尚理解が出来なかった。
「そうだとしたらさ……人間共は、上級魔法の存在にすら気が付いていないんじゃないか? 有り得るのか? 普通……だって英雄は中級魔法を、詠唱在りとはいえ使いこなしていたぞ?」
「ですが上級魔法は使っていなかったんですよね? その上でリジィー様が倒された後、その英雄が最高の魔法使いだと人間共が認識したのだとしたら?」
「中級魔法が一番上になる……という事か……それならば、中級魔法の初歩が使えただけでエリート扱いなのも頷ける話ではあるが……」
「それにですね、リジィー様から頂いたあの本……リジィー様が慕う、魔法を極められたお方の知識の一片を拝見して。あれは生半可な思考では、答えにすら辿り着けないと思いました。」
「ああ……そうか……俺は既に知っているから解っているが、そもそも、初、中級魔法に無駄が多いという部分にすら辿り着いていないというのか……」
「はい、私はそうだと結論付けました。」
どうしようもない虚脱感に苛まれた思考の中、それでも頭は回転していく。
その結果から導き出される推論が正しいかどうか、シュリに確認をとる。
「なぁ、まさか人間共はさ……英雄にしか踏み込めない領域だからって、勝手に魔法を極める事を諦めたりしていないよな……」
独り言のように呟かれたその言葉を聞き、シュリは静かに首を横に振った。
シュリの答えは解る。解り切った事ではありませんか……だ。
「まさか、ここまで馬鹿だとは……」
かつてその馬鹿に敗北した魔王は、くたびれた宿の中、額を手に当て静かに天を仰いだ。
そのリジィーの態度に、シュリは少しばかり申し訳なさそうな顔で問いかける。
「リジィー様、それとは別にもう一つ聞きたい事があるのですが……」
「……うん、何だ?」
拭えぬ虚脱感を抱えたまま、シュリの疑問に答えるためにリジィーは耳を傾ける。
シュリはリジィーの同意を得たのを確認し、そのまま続ける。
「貴族殺し……というのはなんですか?」
それはリジィーに与えられた数々の悪名……そのうちの一つだった。
この世界では、人の口が情報の発信源となる事が多々ある……いや、其方のほうが圧倒的に多い。
噂と称されるその情報は、まるでその体が空気と変わらないかのように、瞬く間に広範囲に広がり、その当人がどうしようと収まる事は無い……巻き込まれる側からしてみれば厄介極まり無い物だった。
……別に噂自体が広まるのが問題なのではない。問題なのは噂のもう一つの性質のほう。
形が変わるのだ、それも多種多様に……
例えを一つ上げるのなら。一人の熟練の冒険者がオークを一人で狩ったとする。それ自体が快挙とも言える様な事であり、それを見た人達はこぞって周りの人達に伝え回る。
初めの内は、冒険者が一人で、死闘のの末に、オークを倒した……と……
だが、どの過程でそうなるのかは分からないが、その噂はある日突然変異を起こす。
この例えで言うなら、冒険者が一人で、片腕のみを使用し、オークを倒した……位になるかもしれない。
ただの人間にはありえ無い話だ、しかしあり得ないはずのその噂が、なぜか真実として広まってしまうのだ。
それが噂の怖い所だ、この俺……リジィー・スロードに与えられた悪名も、そのほとんどが全く別の物に変化している。
……貴族殺しもその一つだ。
口の中に苦い物を感じながら、シュリへ答えを返す。
「俺の悪名の一つだ……」
「悪名……ですか」
少し困惑したかのように眉根を寄せるシュリに対し、リジィーは何てこと無い様に告げる。
「別に本当に貴族を殺した訳では無いさ。ただ、人間というのはどうにも解らん。不確かな情報を鵜呑みにし、さもそれが真実であるかのように語る。」
「そうなんですか?」
「ああそうだ。だからシュリ、お前も気を付ける様にした方がいい。一体何を元に噂をたてられるか解らんからな。」
そう忠告すると共に話を打ち切る。
ふと外を見ると既に日は沈み始め、もう間もなくすると闇が世界を支配するであろう時間帯だった。
他に質問は、と問いかけるリジィーの声に、シュリが返すのは否定の言葉。
それを受けベッドを立ちつつシュリを手招く。
「時間も時間だ、そろそろ食事にしよう。何か食べたい物はあるか?」
「リジィー様がお食べになりたい物なら、何でもいいです。」
その軽い会話と共に、二人はその部屋を後にした。




