episode:2
ー今ここにいる意味だって、何もないよ。
ヒトは常にあれもこれもと重い荷物を抱え続けるんだって。他人の為に、自分自身の為に、と。そうやって次第に耐えきれなくなって潰れてしまうんだろう?
だから、もう何も要らない。
夢や将来、希望。それってただの重荷だと思うんだ。
そんなモノ見ていたって疲れるだけだ。
どうせ誰にも気付かれずに消えていくのに。
ーただ消えていくだけなのに…
ー
(いつから俺らはこんな風になっちゃったんだろう。)
最近は無性に昔のことを思い出しては悲しくなった。
たくさん笑っていた頃の記憶。今は遠い記憶。
大人に近づくにつれて人は笑えなくなってしまうようになっているのだろうか。
いつの間にか俺らは小さい頃みたいに笑えなくなってしまっていた。
それって自分たちが成長したからなのかな?
そんな途方もないことを頭の中で考える。
特にこれといって嫌な事もないけど悲しくなるのはなんだろうね?
季節のせいだろうか。
風が頬を掠める。
ーもう何もしたくない。
心が悲鳴をあげている。
眩しい程晴れ渡る空に手をかざし、俺は思考を閉ざした。
ーそれが君の選択?
視界が暗くなる寸前に聞こえた声は、軽蔑する訳でもなく、同情のこもった声でもなかった。
ハッと我に返ったと同時に腕を強く引かれた。
驚いて瞳を開くとそこには、自分の代わりに落ちていく少女の姿が見えた。
ー学校の屋上から。
「見ろよ。これがお前のしようとしていたことだよ。」
少女は歪に笑って落ちていった。
訳が分からない。
しばらく状況が呑み込めず放心状態に陥っていた。
ようやく状況を理解すると急いで階段を下りる。
(俺のせいだ。)
不安や焦りが一気に襲ってくる。
外へ出ると一人の少年がさっき屋上から落ちた少女を叱咤している。
そう、彼女は無事だった。
「ごめん。でもなんとかなる気がしたから。」
彼女は憤慨する少年に対し、悪戯っぽく笑った。
「ごめんって、俺がいなかったら死んでたぞ、お前。」
声を荒げる彼の声を聞いてようやく気持ちが落ち着いてくる。
安心感や脱力感により、その場でぼうっと立ち尽くし、見ていると妹の空が俺の元へ駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん。死なないで。」
彼女が話したのか分からないけど、空は俺のしようとしていた事を知っているようだ。
空は泣いていた。
空の泣き顔を久し振りに見た気がした。
「ごめんね。」
空の顔を見て俺はやっと、自分がどんなに馬鹿な事をやろうとしていたのか思い知る。
「ほらね。お前は必要とされてるんだ。だから死ぬとか言うなよ。」
少女はそう言って笑った。その笑顔は歪みのない笑顔だった。
「お前が言うな!だいたいなぁー」
彼のお説教は長々続き、ついでに俺も怒られた。
でも俺は思っていた以上に周りに大切にされていたんだ。そう思うと嬉しかった。
ー
僕ってなんでここにいるんだろう。
毎日を過ごせば過ごす程、徐々に自分自身の姿が見えなくなっていく。それはまるで霧がかったように。
そんな日々を過ごしている中、ぼんやりとひとつ、影が映った。それはどこか僕に似ているような気がして、僕はぼうっとした意識の中でそれを見ていた。
でも、その影は朝が来ると同時に光を浴びて、まるで僕を置いていくかのように消えていった。
再び独り、何も無い生活がやってくる。
僕は欠伸をして呟いた。
「退屈だなぁ。」と。
ー
あの件から半年程過ぎた。
窓の外を眺めているとそんなこともあったなぁと懐かしく思う。
今思うとなんだか凄く変な話。
でもあの人たちがいたから俺は今ここにいるんだよなぁ、なんて考えているとひたすらお説教していた少年、慶介が訝しげに俺を見た。
「ねぇ、俺の話聞いてる?」
「あぁごめんごめん。ぼうっとしてた。何も聞いてない。」
「さらっと失礼なこと言うよね。」と彼は苦笑し言葉を続けた。
「空待ってる?」
「うん。そうだよ。」
「俺も理彩待たなきゃだから一緒に待とうぜ!」
理彩とは前に飛び降りて散々怒られた人だ。
彼とはどうやら幼なじみらしい。
しばらくの間、彼と世間話なんかをしながら時間を潰していると理彩が来た。
「お待たせ!」
走ってきたらしく、呼吸を整えて言葉を続ける。
「あのねっ、空遅くなるらしくて、先帰っててだって。」
「そうなんだ。分かった。ありがとう!」
「どういたしまして!じゃあ、帰ろっか!」
理彩も慶介も家が近いため、こうしてよく一緒に帰ることがよくあるのだ。
家に帰る途中、不意に思い出す。
屋上の柵を越えようとしたあの時に聞こえた声。
ーそれが君の選択?
酷く冷たく、色のない声。
あれは理彩の声ではなかった。
心当たりはない。誰だったんだろう?
(まぁ…いっか。)
家につき、明かりをつける。俺はどこか違和感を覚えた。
(空はまだ帰って来てないはず…)
誰かが家にいるような気がして辺りを見渡しても何もない。
「ただいまぁ~!」
機嫌良さそうに空が帰ってきた。
「お帰り、空。随分と機嫌良さそうだね。どうしたの?」
「そう?なんでもない。」
そう言いながらも空は楽しそうに笑った。
何もないことはないんだろうけど、言いたくないならまぁいっか。
さっきまで感じていた違和感も気がつけばなくなっていた。
ー
その日はなんとなく寝苦しい夜だった。
強い違和感を感じ、身体を起こす。
誰かに見られている。
(空ではなさそう…。)
辺りを見渡す。そして、窓際を見て息を呑んだ。
綺麗な月明かりに照らされ、影が人の形に浮き出ていたからだ。
(確実に、誰かいる!!)
影はまるで月明かりに照らし出されるかのように輪郭をはっきりさせて、そして薄ぼんやりと少年の形を作り出した。
暗くてよく見えない。ただ、彼の狂気じみた真っ赤な目だけがはっきりと見えた。
ー
おかしいな?
僕は誰とも関わる事の無い存在であるはず。
形も輪郭もなく、霧のような存在。
それなのにどうして…どうして彼はこっちを見ている?
視線を下に向けると確かに二つの足がここにあった。
自分に輪郭がある?
手を見ると、その手は透明度をなくしていた。
自分に、形がある?
頭はようやく理解に達する。
どうやら傍観者であった筈の僕は唐突に、この世界に放り出されてしまったようだ。
理由は分からない。
僕はどうすれば良いのかわからなかった。
この大きな世界で自分は、まだ何かすべきことがあるの?
心当たりが無い訳ではない。
ただ、もう全て、捨てきった筈なのに。
ぼんやりとしていた僕の中の何かが再び、凍り始めていくのを感じた。
僕は、このままがいい。
例え世界が何度も自分を巻き込もうと輪郭を描いても、何度だって消すよ。
僕はもう、自分自身を捨て去ったのだから。
ー
昨日はあまり眠ることが出来なかった。
まだ眠い目を擦って洗面所へ行き顔を洗って部屋に戻ると、また違和感を感じた。
昨夜のことを思いだし窓の方を見ると、窓の下に見覚えのない少年がうずくまっていた。
扉の開いた音に反応し、少年が顔を上げる。
細い身体に異常なほど白い肌、狂気じみた赤い瞳。
まるで人形みたいで、とても人には思えなかった。
俺は直ぐに分かった。
彼は昨夜見た人影だ。
「君はー」
俺が口を開きかけたところを彼が遮るように言った。
「見えるの?」
「えっ?」
いきなり投げかけられた声につい聞き返す。
「僕のこと。」
彼の口から放たれる感情の無い冷ややかな声はとても聞き覚えがあった。
「怖い?」
彼はぽつりと呟いた。
「幽霊。」
その言葉を聞いて改めて彼を見る。
確かに彼は幽霊だ。
見て直ぐに分かる。人とは明らかに違う。
でも不思議と恐怖は無かった。
「怖くないよ。」
自然と笑顔になってそう答えると彼は「そうなんだ。」と呟いて、再びうずくまった。
彼について気になることは色々あったが、かける言葉が思い浮かばずそうっとしておくことにした。
身仕度をしドアノブに手を伸ばした時、不意に彼の声が聞こえた。
「…ユウ。」
振り返ってみても彼はうずくまったままだった。
ユウ…名前だろうか?
「そっか。俺は練。よろしくね、ユウ。」
名前を教えてくれたことが嬉しくて、また笑顔になって返す。
「……。」
ユウは無言のまま顔を上げ、俺を見た。
ー
逃げるつもりだった。
もし本当にこの世界へ放り出されたというならどこか遠くへと逃げ出したかった。
でも、なんでだろうね?
あの時みたいにまた、逃げるつもりだったのにレンの笑顔を見たら、身体が動かなくなった。まるで金縛りにあったかように。
「レン…。」
ぽつりとその名前を呟く。
レンにその妹のソラのことだって、ずっとここにいたから彼らのことはよく知っている。
ーよろしくね、ユウ。
直視したレンの笑顔は眩しくて、まるで凍り始めている何かを温めるようで。
自分の中の何かが変わっていくようで、怖くなった。
ー変わりたい?
きっと僕は変われない。
繰り返す自問自答。
それは自己暗示でもあるのかもしれない。
ー
「幽霊!?」
空もユウが見えるのかな。そう思って今朝の事を話すと空は心配そうに俺を見た。
「お兄ちゃん大丈夫?良いストレスの解消法教えてあげようか?」
空のストレス解消法…それは少し気になるかもしれない。
それはともかく、空には見えないのか。
帰ったら跡形もなくいなくなってたりするのかもな。
一時的に見えてたのかもしれないし。
夢とか幻覚だったとは思いたくないな。
家に辿り着き、少し緊張気味に扉を開ける。
「ただい……」
扉を開けると階段からこちらを伺う人影が見えた。
(やっぱりいるのか。)
「お兄ちゃんどうしたの?」
空が不思議そうに首を傾げる。
「えっ?あぁいや、何でもない。」
再び階段の方を見ると、人影は無くなっていた。
(部屋に行ったのかな?)
鞄を片付けがてら部屋に行ってみる。しかし、そこには誰もいなかった。
(あれ?いない。見間違いだったのかな。)
「こっちだよ。」
背後から抑揚の無い声が聞こえ、振り返ると相変わらず冷たい表情をしている少年、ユウがいた。
「っ!?びっくりしたぁ!」
「……。」
俺の反応を無視してユウは口を開いた。
「君は、さ。」
ユウはその真っ赤な目を俺に向けて言った。
「どうして生きてるの?」
「え…」
あまりにも唐突で、直球な質問に戸惑う。
「君が辛い思いをしてるの知ってるし、自殺しようとしてたのも知ってる。でもどうして、君は生きてるの?」
悪意があって言っているのではなく、純粋な疑問を投げかけてるだけだ。表情をみればそんなこと分かった。
ユウはどこまで、俺らのことを知っているのだろう。
「君は何に幸せを見いだして、生きているの?段々と悪化していく環境に何を見いだしたの?気を持ち直したって一時的なものかもしれないよ?これから先も君はまた、辛い思いをするんだろう。」
ユウ真っ直ぐ俺を見て言った。俺は目を逸らさず、小さな笑みを添えて答えた。
「俺もずっとそう思ってた。小さなことから段々と蓄積していって、楽しいことなんてないんじゃないか。幸せになんてなれないんじゃないかって思ったよ。でもね未来っていうのは良い意味でも、悪い意味でも、誰も予測出来ないような方向に転がることがある。そう周りが教えてくれたから、かな。」
「…そっか。」
ユウはもう聞くことはないと言う様に目を逸らした。
妙な沈黙が流れ、落ち着かなくなって口を開く。
「ちょっと飲み物持ってくるよ!」
そう言って部屋の外に出て気付く。
(あれっ?幽霊って飲食出来るのかな?)
ー
僕とレンは似ている。
そう思っていたけど、違った。
レンは独りではないから。妹や気の合う友人だっている。
ー『他人』という存在は『自分』という存在に大きな影響を与える。
レンが言いたかったのはそういうことだろうか?
レンにとっての妹…。
そうだ。そういった存在は僕にもいたな。
でも僕は、自分にとっての唯一の『他人』であった存在を引き剥がした。
ねぇ、そういう場合はどうなるの?
「………。」
ぐるぐると思考を巡らせていると、どっと疲れが襲ってきた。
おかしいな…前まで疲れなんて感じなかったのに…。
ー
気がついたら朝になっていた。どうやら眠ってしまったようだ。
ふと肩に違和感を覚え肩に触れると、肩には毛布がかかっていた。
顔を上げるとレンの姿は無かった。
時計の方に目をやると、ちょうどレンとソラが家を出る時間だ。
「……。」
まだ少し眠たい気もする。毛布をギュッと掴み、もう少し眠ろうかと考える。
でもどこか落ち着かなくて起きることにした。
レンの部屋を出てリビングへ行くと、テーブルに何か置いてあることに気付く。
「これは…?」
レンの弁当だ。もしかして忘れたのかな。
「………。」
レンの弁当を見つめ、しばし悩む。
自分の姿はレン以外には見えないようだから、届けるのは問題ない。
でも外には出たくなかった。
外は眩しいから…。
不意に脳裏に何かが過ぎった。
背筋が凍るような、悪寒がする。
悩んでいる暇は無い。僕は慌てて家を後にした。
ー
しばらくして、レンの姿を見つけることが出来た。
急いでレンの元へと駆け寄り、レンの背中を強く押す。
それと同時に暴走した車がさっきまでレンがいた場所に突っ込んできた。
「っ!?」
状況が理解出来ず、レンもソラも唖然としていた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
震えた声でソラが言った。
「う、うん。」
レンもようやくといった感じで声を出した。
(あぁ、そうか。あの時と同じだ。)
僕は、自分に関わろうとする人たちに対して無意識に牙を剥いているようだ。
これが他人と関わる事が嫌になった僕の選択だから。
これ以上関わらないで欲しい。僕は独りが良いんだ。そう決めたんだよ。
声にならない声でそう言った。
ただ、声に出たのは的外れな言葉だった。
「ごめんね。」
ー
「空、ちょっと先に行ってて。」
「えっ?あ、う、うん。」
空に先に行ってもらって顔を上げると、ユウがいた。
(やっぱり。背中を押したのはユウなんだ。)
ユウはとても、悲しそうな瞳で俺を見ていた。
それは初めて見る表情で、ユウにも感情があるんだとどこか安心した。
「ユウは悪くないよ。」
悲しそうにするユウに向けて放った言葉は心からのものだった。
「………。」
「悪い人は、ね。こんな風に俺を守ってくれない。」
「………。」
「もし君が悪霊だとするなら、そんな顔はしないよ。」
無言を貫くユウの思っている事はなんとなく、想像がついた。
ユウはきっと、他人と接することが怖いんだ。
だから他人が近付けば牙を剥ける。
「ねぇ、ユウ。君は独りじゃないんだよ?空はユウのこと見えないみたいだけど、俺は見えるじゃんか。怖がらないで。俺はユウを見捨てたりしないから。」
ふっと笑って言葉を続ける。
「もし不安なら、また守ってよ。空のことも、さ。」
ユウは頷いて、静かに笑った。とても可愛らしい笑みだった。
ほんの少し、ユウが感情を露わにする様になった気がして、嬉しくなる。
(空がユウのこと見えてたら、どんな反応したのかな。)
そこは少し残念に思うけど見えないものは仕方ない。
「ありがとう、レン。」
不意にユウが小包を俺に差し出す。それは俺の弁当だった。
「あれ?俺忘れてたんだ。」
「あんまり…手間かけさせないで?」
冗談めかしてユウが笑う。嬉しくなって俺も笑い返した。
不幸になったって、きっと幸せになれる。ユウが心配することないよ。
心の中でそっと呟いた。