第55話 少女への同情が過ぎる!
王国歴162年10月19日 朝8時頃 教会の宿舎にて――
馬たちの休養期間が終わり、レーエンスベルク辺境伯領に向けて出発する日となった。
王都へは、レオンシュタイン、ティアナ、イルマ、フリッツ、バルバトラスの5人が一緒に行くことが決まっている。
ケイトは出発を見送り、一行が見えなくなるまで手を振っているのだった。
全員が荷台だと馬が長距離を歩けないというフリッツの申し出により、交代で荷台に乗ることが決定する。フリッツの馬車は人間の歩くスピードとほとんど同じため、移動に問題はない。一人で歩くのは寂しいという意見が多く2人で歩くことになった。
トロップの門を通り抜けると、低くなだらかな茶色の丘が見渡す限り広がっていた。緑の牧草地と茶色の丘が、美しいモザイク模様を織りなしている。ただ、壊れた柵や曲がった厩舎の入り口がずっと放置されており、レオンシュタインは一抹の寂しさを感じていた。
これから3日間は泊まれるような宿がないとフリッツから教えられていた。そのためレーエンスベルク辺境伯領とコムニッツ公爵領の境界にあるディベルツに着くまでは野宿となる。それでも、フリッツの馬車のおかげで快適に過ごすことができたのだった。
ディベルツの町には旅の必需品を揃えるための店が多く立ち並ぶ。パン屋や居酒屋は店舗で営業していたが、市場は片手で数えるくらいのお店しか開いていなかった。レオンシュタイン一行は市場を眺めながら、まだ明るい16時頃に宿屋にたどり着く。
フリッツが以前に利用したという宿は、厩舎の設備が整えられるなど馬には優しいけれど、人間の料金は一人銀貨3枚と割高な設定だった。レオンシュタインが5人分の銀貨15枚を支払おうとすると、フリッツとバルバトラスはそれを押しとどめる。
「兄ちゃん、自分の分は自分で払う」
「レオンさん、私も同様です」
お礼を言いながらレオンシュタインは宿代の銀貨9枚を支払った。宿を使うとお金の減りが早く、二人の気遣いに改めて感謝する
夕食前に街を詳しく探索しようとレオンシュタインは提案するが、賛同したのはティアナだけだった。
フリッツとバルバトラスは少し休みたいと部屋に籠もり、イルマは部屋の周りを確かめることに余念がなかった。レオンシュタインとティアナは、荷物を置くとディベルツの中心へと歩いて行った。
露天商の前で、ディベルツ産の林檎の味を確かめたくなったレオンシュタインは、2つ購入しようと財布を取り出した。その瞬間、街の広場にあった露天商の1つから黒い煙が立ちのぼる。ティアナとレオンシュタインがそちらに気を取られていると、誰かがレオンシュタインにぶつかってきた。
「ごめん」
フードを深くかぶった少女が謝罪し、その場を立ち去ろうとした瞬間、レオンシュタインは手元から財布がなくなっていることに気付く。
「財布がない!」
それを聞きティアナが詠唱を始め、すぐに雷の矢が泥棒の少女めがけて飛んでいった。足を矢で貫かれた少女は広場に立ち尽くしている。褐色で年の頃は15歳ほどに見えるが、もっと上かもしれない。
少し離れた場所から、レオンシュタインが少女に語りかける。
「君はお金が欲しいのか?」
少女は黙って頷く。
「なぜだ? 人から財布を奪い、相手を不幸にしてまで金が欲しいのか?」
非難するレオンシュタインを少女はじっと見つめていた。そして、ぽつりと『薬』という言葉を出す。弟が病気のため薬を買うお金が必要なのだと、辿々《たどたど》しくしく説明する。それを聞いていたレオンシュタインの表情が険しくなる。
「 弟が病気!? だったら」
首にぶら下げていた財布をレオンシュタインは少女に放り投げていた。少女の目の前に袋が落ちジャラッという音が響く。信じられない光景にティアナは呆然としていた。
「それを使って」
それを聞いたティアナの怒りが爆発する。
「ちょっと本気? レオン!!」
「命がかかってるなら仕方ない」
「仕方なくないよ。私たちだって食べないと! 本当かどうかも分からないのに」
けれども、レオンシュタインは抗議を聞き入れない。
「足りるかい? それは僕が持っている全てだ」
少女が袋の中の金色を見て驚きを隠せない。
「金貨!?」
その言葉を聞き、ティアナはレオンシュタインを問い正す。
「ちょっと、レオン! 金貨なんてどうしたの?」
「いや、あれは」
言い争いをしている2人をよそに、少女はどうしたら良いのか逡巡していた。けれども、やがて意を決し、きっぱりと返事を返す。
「足りる」
「じゃあ良かった。早く弟を助けてやりなよ」
「そうする」
そのまま少女は走り去ってしまった。それを爽やかな顔で見送っているレオンシュタインと、冷ややかに見つめるティアナが対照的だ。
「レオン、どういうつもり?」
ティアナの目に稲妻が走っている。所持金はほんのわずかになってしまい、馬車に乗せてもらうこともできない。
「放っておけない」
「いいえ。私たちには人に恵むほどのお金はないわ」
きっぱりと話すティアナの胸に明日からの不安が胸の中に広がってくる。けれども、レオンシュタインはそれを否定する。
「お金はいつか何とかなる。でも、命は一度失われたらおしまいだ」
「何とかなるわけないでしょ。彼女だって何とかならないから、私たちのお金を盗ったんだし」
そして、ティアナはさっきから気になっていたことを聞いてみた。
「あの金貨、どうしたの?」
今までレオンシュタインは銀貨しか手に入れることはできなかったはずなのに……。レオンシュタインはしばらく黙ったままだったけれども、ティアナの様子を見て、小さな声で説明する。
「昔、もらったんだ」
あのような金貨を誰にもらったと言うのだろう? 夕暮れが迫り、辺りは薄暗くなり、夕餉の小麦の匂いがもの悲しい。明日からの旅が見通せずティアナはため息をつき、疑問に思っていたことを口に出す。
「どうして、あの子にそこまで肩入れしたの? まさか褐色の女の子が好きとか、そんな癖のせい?」
癖……。
さりげなくレオンを口撃しながらティアナは問い詰めていた。でも、返ってきた言葉はティアナを大きく後悔させるものだった。
「昔、カチヤにもらったんだ」




