第53話 レオンの試練
王国歴162年10月18日 19時頃 教会近くの酒場にて――
「うるせえぞ!!」
立ち上がった男が拳を振り上げて怒り出したのを見て、レオンシュタインは演奏を止める。
「酒がまずくなる!」
テーブルの上を手で払い、落ちたグラスが砕ける音が響く。騒然となる中、常連たちはまた始まったという顔つきで酒を飲んでいた。
「眠たい音楽を流すんじゃねえ。俺は寝るために、ここに来てんじゃねえぞ」
更に大きな声で怒鳴り出す。
「元気出すためだ。虫の奴、今年は多く出やがって。明日も一日中、畑仕事だ」
呆然と立ち尽くしたままレオンシュタインは男を見つめていた。バルバトラスは椅子に腰掛け、黙って腕を組んだままだ。
「聴きたいのはそんな上品な音楽じゃねえ。おい、ルトガー。いつもの音楽を頼む」
「あいよ」
ルトガーと呼ばれた男はステージに上がるとレオンシュタインに近寄って肩に手を掛ける。
「あんたの演奏、凄えよ。でも、ここには合わないな」
レオンシュタインの耳元で囁き、顎で退場を促した。ステージを降りたレオンシュタインと入れ替わるように2人の男がステージに上がる。
「はっ!」
その瞬間、心が沸き立つようなダンスの音楽が流れ出す。
レオンシュタインのバイオリンとは違う、早いテンポがリュートとよく合っている。太鼓のリズムが心地よく、聞いている人たちが自然に笑顔になる。
「ホー!」
「ヤーハー!」
体を揺らして店の乗客たちが歓声を上げる中、4人の男女が立ち上がりその場でステップを踏む。
女性とペアになってぐるぐる回っているのは、先ほど怒鳴っていたイザークだ。罵倒したときとは顔つきが違い、心からの笑顔になっていた。
「レオン」
ティアナが心配して腕を引くけれど、レオンシュタインはそれに気付かない。テーブルに肘をついたまま手を目の前で組み、じっと舞台を眺めていた。
「放っておいてやれ」
バルバトラスは首を横に振り、ビールをぐっと飲み込む。
「いい経験だよ」
ティアナは、むっとしてバルバトラスを睨み付ける。やれやれといった表情で肩をすくめたバルバトラスは舞台の方へ向き直っていた。音楽は佳境に差し掛かった酒場はダンスホールのように、たくさんのペアが幸せのダンスを踊っていた。
レオンシュタインの一行だけが椅子に座り、動かずに踊りを眺めていた。踊っていたイザークがレオンシュタインに目を向けると、何かぶつぶつと言いながらリズムを取っている。
音楽が終わり店内が熱気に包まれる中、イザークはレオンシュタインに近寄って勝ち誇ったように言葉を投げかける。
「兄ちゃん、分かったか? お前の出る幕じゃないってことが」
「よく分かりました」
黙って立ったレオンシュタインの目に不思議な色が宿っていた。
「分かったんなら、お帰りはあちらだ」
ドアを指差されるけれどもレオンシュタインは動かなかった。
「明日!」
「あん? 明日?」
意を決したようにレオンシュタインはイザークに近づくと、その目を見ながら1つのお願いをする。
「明日、もう一度、演奏させてください」
「あ? もう用はねえよ」
イザークは驚いたが、にべもなく断る。さらにイザークに近づいたレオンシュタインは笑顔を見せていた。
「今の演奏より、いい演奏をお聴かせしますよ」
それを聞いてイザークはあっけにとられて言葉もなかった。けれども後ろにいた演奏者たちは大いに盛り上がった。
「俺たちよりもいい演奏ときたか。マスター、やらせてみなよ」
「楽しそうじゃないか。ぜひ頼むよ」
奥で演奏を聴いていたマスターはニコニコしながら了解した。それを聞き、イザークは渋々といった感じでレオンシュタインに演奏を依頼する。
「マスターがいいって言うんじゃあ、しょうがねえ。けど、つまらねえ演奏だったら叩き出すぞ」
感謝を述べたレオンシュタインは、明日の同じ時間にここに来ることを話して酒場を出るのだった。
「レオン。どうするの?」
後ろを追いかけてきたティアナが慌てて聞いてくる。バルバトラスは酔ったのか、ふらふらしながら歩いてくる。
「うん。実はいい曲が思いついてさ。是非やってみたいんだ」
あの場所で作曲していた……。ティアナは驚くと同時に呆れてしまう。レオンシュタインは一人でぶつぶつ言い出し始めた。
「あのフレーズをさらに盛り上げるためには……」
こうなるとレオンシュタインは誰の話も聞こえない。そのまま教会の宿舎まで考え事をしながら歩いていった。宿舎についた3人は眠る場所に案内されたが、レオンシュタインは練習をするために教会の礼拝堂を借りていた。
「二人とも、また明日」
バルバトラスはふらふらしながら部屋に戻り、ティアナは練習に付き合うために一緒に礼拝堂へ歩いていった。
「こちらが礼拝堂です。神様も許してくださることでしょう」
お休みの挨拶をしたケイトが出て行くと礼拝堂は静けさに包まれる。レオンシュタインは調弦を始め、音が教会の隅々まで響き渡る。礼拝堂の椅子に腰掛けたティアナは、レオンシュタインの様子を見守ることにした。
「ティア。眠くなったら遠慮しないで寝ていいよ」
「私を気にしなくていいから」
優しいメロディーをレオンシュタインが弾いているため、ティアナは不安に駆られる。これではイザークさんは納得しない。
「ちょっとレオン。これじゃ、まずいんじゃない?」
「そうかな? これは、踊りの後で聞かせたい曲なんだけど」
「えっ? あんた、まさか……」
レオンシュタインは笑顔になる。
「1曲目はマズルカのアレンジ。それは、そんなに時間はかからない。2曲目は少し時間がかかりそうなんだ」
「2曲!?」
忘れてた、こいつは天才だったとティアナはため息をつく。作曲しながら弾いているのにフレーズが途切れない。集中し、朝方近くまでバイオリンを弾き続けたレオンシュタインだった。




