第300話 アイシャさんのコーヒー
帰国前日の18日、レオンシュタインは皇帝シーグルズル7世が乗船している船に呼び出しを受けた。
フラプティンナは、神の前で結婚を誓ったのだからレオンシュタインとの結婚は決定している、と皇帝に話し、レオンシュタインが滞在する農園に泊まり込んでいた。
ただ、それは帝国に困った問題を引き起こしていた。長男、長女がヴェルレ公爵と癒着している証拠をヴィフトが探し出し、皇帝に訴えたのだ。事態を重く見た皇帝は、帰国した後、2人を廃嫡することを計画していた。そうなると、困るのはフラプティンナ姫の扱いだ。自動的に帝位継承権第1位がフラプティンナになってしまうのだ。
すでに、ヴィフトは姫の滞在する農園に3回も訪れていた。けれども、フラプティンナの決意は変わらない。
「私はすでに結婚した身です。帝位継承権は消滅ですよ」
「それでは帝国に跡継ぎがいなくなってしまいます。フラプティンナ姫の継承権は存続させることになるでしょう」
「ヴィフト……。法の遡及は違法ではありませんか?」
「姫さま。帝国のために、どうか……」
ヴィフトはフラプティンナを説得しようとするが、姫はどうしても頭を縦に振らない。そのため、急遽、皇帝とレオンシュタインの会談が帝国の船上で行われることになった。
レオンシュタインは船上から、ユラニア港の向こうに広がる海を眺めていた。もうすぐ夕方になろうという景色が、レオンシュタインは好きだった。明日がいい日になるだろうと思うようになってからは、なおさらだった。そんなレオンシュタインの横には皇帝が屹立し、一緒に夕日を眺めていた。
「レオン殿、わしは別にフラプティンナの結婚に反対ではないのだ。それというのも、以前貴殿の国から帰ってきたロスの悲しそうな顔を忘れられんのだ。よほど、おぬしの国が楽しかったのであろう。買ってきた服をよく抱きしめていた、とメイドから何度も聞かされてな……」
手摺りに寄りかかりながら、シーグルズル七世は呟くように話す。
「それに……。一時でも魔族と共に過ごしていたとなれば、口さがないものたちの噂になるであろう。あの姫は穢れている……と。それを気にしないのはレオン殿だけだと思っている」
「私は全く気にしません。気にする方がおかしいと思いますが?」
「レオン殿は相変わらずだな」
皇帝は安心したように、寂しい笑いを浮かべていた。魔族と過ごしたという事実が、様々な中傷を引き起こすことは目に見えている。
「あれは昔からよくできた娘だった。美しさがよく喧伝されるが、深い思いやりをもった優しい娘なのだ」
「それはよく知っています」
「どうか、娘を幸せにしてやってほしい」
世界でも有数の皇帝が頭を下げていることに、レオンシュタインは恐縮していた。それくらい皇帝シーグルズル七世にとって娘は可愛いのだ。まして一番可愛がっていたフラプティンナ姫だ。皇位継承権よりも娘の幸せを願って重い決断を下したのだ。
「でも、皇位継承権は……」
「なあに、新たな后を見つけるよ。まだまだワシはいけるぞ!」
「そ、そうですか」
皇帝は片目をつぶる。レオンシュタインは、もはや笑うしかなかった。
§
「レオンシュタイン殿、それでは出発いたします!」
ヴィフトの声で外洋船『スキールニル(輝く者)号』が港を離れていく。見送るのは、グライフ公爵ウルリッヒと息子のルドルフ、そして正式にレーエンスベルク辺境伯となったアルフレドだった。全員、笑顔で大きく手を振っている。
「きっと、素晴らしい王国になりますね」
笑顔のレオンシュタインにフリッツも同意する。あっという間にスキールニル号は港を離れていく。あの大事件の後始末が済んだ後、皇帝は護衛のアントリとともに一足早く、グブズムンドル帝国への帰国の途についていた。
ようやく普通の日常がやってくるのだ。
船がノイエラントの港に近づくと、多くの人たちが大歓声で迎えてくれた。レネやバルバトラスも、大きく手を振っている。特にレネは、無事に帰ってくれたことを何よりも喜んでいた。
「レオンさまが無事で本当によかったです。さらにこのノイエラント帝国は発展するでしょう」
「ん? 帝国?」
レオンシュタインが怪訝な顔で尋ね直してしまう。
「レオンさま。ノイエラントは、多民族の存在、広大な領土の定義から言えば帝国にあたります。これからユラニア王国などに認証していただきましょう」
「そんな……」
一緒に帰国したみんなは驚愕の表情だ。この前までクリッペン村だったというのに……。
「忙しくなりますよ、レオンさま。まずは、ゆっくりとお休みください。それと、まずは結婚式を盛大に祝わないといけませんね」
平和になったのに、また、いろいろ大変になりそうな気がしたレオンシュタインは、旧村長室(帝王の部屋)にて休むことになった。皇帝の寝所が丸太小屋なのは、レオンシュタインが初めてだろうとみんな噂し合った。
ただ、翌日からレオンシュタインの元気がなくなっていった。
ティアナやフラプティンナまで寄せ付けず一人で悩んでいることが多くなった。シノは心配して、ご飯を作りにくるのだが、ローレさんの店から注文しているとしてシノとの交流も避けていた。
1週間後の10月25日。
レオンシュタインは久々に外出し、喫茶『ミルク娘』を訪問する。時間はすでに午後5時を過ぎており、夕方から夜に代わる時間だった。アイシャは、もうすぐ店を閉めようとしていたところ、レオンシュタインがそっと扉を開いたのだ。
「アイシャさん、実は相談があるんです」
そう言いながら『ミルク娘』に入ってきたレオンシュタインは、そのまま黙ってしまう。アイシャは、レオンシュタインの気の済むまで考えさせてあげようと、コーヒーを入れるとそっと前に置き、自分はレース編みの続きをやり始めた。
ただ、店の入り口には「ごめんね。今日は貸し切り」の看板を置いておいた。車いすの扱いにも慣れ、普通の人と遜色がないくらいの速さだった。
「結婚って、相手が何人もいていいんでしょうか?」
ようやくレオンシュタインが口を開く。ティアナとフラプティンナに、助けるためとはいえ求婚してしまったことを言っているのだ。
「レオンさん。していいか、ではなくて、自分の気持ちが大事なんじゃないですか?」
アイシャはコーヒーのおかわりを差し出しながら答える。コーヒーを口に含みながら、レオンシュタインは、アイシャの言葉を何度も胸の中で繰り返していた。
「レオンさんは、ティアナちゃんが嫌いなんですか?」
「そんなことないです。ティアは一番大切な人で、ずっとそばにいてもらいたいです」
すると、アイシャは右手の人差し指をレオンシュタインの前に立てる。
「レオンさん。私は好きかどうかを聞いたんですよ」
レオンシュタインは狼狽するが、心を落ち着けて、しっかりと答える。
「……大好きです」
「ティアナちゃん、きっと喜ぶわ。早く話してあげなさいな」
アイシャはパッと笑顔になる。嬉しそうに話すアイシャを見ながら、レオンシュタインは言葉をつなぐ。
「でも、ロスも大切にしたいんです。とても優しい心の持ち主なのに、帝国のために自分を殺している時があるんです。ロスにはいつも笑っていてほしいんです」
「レオンさん!」
アイシャに言われて、レオンシュタインは思いきって話す。
「ロスも大好きです」
同じような会話が続き、結局、イルマ、ヤスミン、シノも全員大好きと言うことが、アイシャにばれてしまったのだった。
「あんな美人さんを5人もお嫁さんにするんですから、人からはいろいろ言われるでしょうね。でも、レオンさん。あなたは人から何かを言われるからって、あの5人と過ごすのを諦めるんですか?」
「そんなことないです」
「人の噂なんて気にしない方がいいわ。あなたに必要なのは5人への愛でしょう? それ以外に、世情のよい噂まで必要なんですか?」
アイシャはのんびりと答える。レオンシュタインは、頭を振り、コーヒーをゴクッと飲み干す。
「アイシャさんは、強いんですねえ」
「ううん。私だって、人に何かを言われたら気になるし、傷つくことだってあるわ。でもね、そんな時はレネや村の友だちのことを考えるの。そのたびに私はもの凄く幸せなんだなっていつも思うの。なんて素敵な人たちに囲まれてるんだろうって。幸せすぎるうって叫んじゃうようにしてるわ」
アイシャらしい考えだ。
「あなたの愛が全員にあげられるくらいあるなら、迷わない方がいいわ。どうせ何をしても貴方は悪く言われるわよ。でも、この喫茶店だけは貴方の話をいつでも、いつまでも聞きますよ」
レオンシュタインはようやく笑顔になる。
「アイシャさん、ありがとう。ようやく気持ちが固まりました」
最後に握手をして、レオンシュタインはその場を去って行った。
「さすが、愛しのアイシャだ。英雄の悩みを解決してしまったんだからな」
心配して迎えに来たレネは、偶然二人の話を奥から聞いてしまったのだ。
「レネ! 英雄だなんて言い方、止めた方がいいわよ。いつまでもレオンさんのままがいいと思うわ」
「そうだね」
「レオンさん。ずっと結婚できないことを悩んでいたらしいけど、あんな素敵な5人と結婚するなんて予想もしなかったでしょうね」
「そうだね。ただ、ぼく自身もそれ以上に素敵な人が側にいるから、羨ましくはないけどね」
「ええ~。本当かな~?」
「神様に誓うよ」
「ああ、嘘! 嘘! レネの事は心の底から信じている」
「だろ」
そうして、ようやく喫茶店の灯が消えたのだった。




